第7話:海の見える別荘。

決して裕福とは言えない家庭に育った莉子はセレブと聞いて 「玉の輿」という

言葉が一瞬頭をよぎった。

でもそれはすぐに否定した。

それよりそんなことを一瞬でも考えた自分が恥ずかしかった。


あの人と私とは住む世界が違う。

今度の土曜日の約束はしかたないとしても、それ以上はあの人に関わっちゃいけないと思った。


そして土曜日の朝、忠彦からLINEが入った。


「もうすぐ到着します」


莉子は支度して玄関を出た。


迎えの車は、この間お迎えに来た時のポルシェ911カレラだった。

車にはさほど興味がない莉子でもポルシェはかっこいいと思った。

高い車なんだろうなくらいのことは分かる・・・。

あの人が乗る車だもの・・・


「おはよう・・・」


そう言って忠彦は運転席から降りてきた。


「おはようございます」

「オフィスウェアやライダースーツじゃない君も素敵だよ」


その日の莉子のいでたちは白のシフォンブラウス 。

黒のスリット入りのタイトスカート。

特別仕様というわけではなかった。


ポルシェの助手席に埋もれた莉子は、なんだか自分もリッチな気分になった。

こんな感じ、嫌じゃなかった。


そして30分ばかり走って到着した忠彦の別荘は目の前に海が見える真っ白な豪邸

だった。

中に入ると、だだっ広いワンルームに洒落た家具や真っ白なグランドピアノが置いてあった。

そしてワンルームの向こうにガレージらしき部屋が見えた。


「いいところでしょ、ここ、海が見えるところが気に入ってるんだ」


「なんだか、こんな立派な別荘、敷居が高いです」


「普段は使ってなくて、パーティーの時くらいしか使わないからね」

「誰もいないから、リラックスしてくれたらいいよ」

「さ、座って」


莉子は勧められるままに高級そうなソフャに座った。


「今日は来てくれてありがとう」


「最初に申し上げておきますけど、これで最後にしてください」


「来るなり、それ?」

「僕のこと嫌いじゃないよね」


「そうじゃないですけど会社の社長と、いち従業員じゃ釣り合い取れません」

「それに私、普通でいいんです」

「慣れていない場所にいると緊張して疲れます」

「特に背伸びしたいわけじゃないですし・・・」


「欲のない人だね、ますます興味深い・・・」


「私なんか、何も知らないし、何もできないしつまんない女ですよ、相手にしても、すぐ飽きると思いますけど・・・」

「だから、もうこれ以上、誘わないほうがいいと思います」


「自分で自分の値打ち下げてどうすんの」

「でもさ、最初に君を見た時から、僕の時間は止まってるんだよ」

「あの時からね」


「それを一目惚れって言うんだろうけど、ここで君を失ったら僕は一生後悔する」 「この人って思った人が目の前にいるのに、ただすれ違っていくなんて」

「その時、声をかけないと永久に他人のままなんだよ」

「それって自分にとってすごく損失だと思わない?」


「最初はあんなふうに君に近づいたけど、僕にとっては、ああするほかに手立てが

なかったんだ」

「それに、付き合ってみないと、何も分からないでしょ」


「それは、そうですけど・・・」


半ば上の空で莉子は窓越しに海を見た。

その景色だけは、これからも見てたいって思った。


「ねえ、莉子さん・・・聞いてる?」


「あ、はい聞いてます」


「僕の印象って、初めて会った時から何も変わってない?」

「いいえ、あの時は変な人って思いましたけど、今は少しだけ違います」


「どうやったら君に認めてもらえるのかな?」


「認めるって・・・分かりません」


「でも、ここに来てくれたんだから、僕たち前に進んでるって思っていいよね?」


「そうですね・・・たしかに・・・」

「最初の頃よりは好印象ですよ」


「本当に?・・・それ聞いて安心した」


「ところで・・・あのピアノ忠彦さんがお弾きになるんですか?」

「あ〜あのピアノただの飾り・・・子供の頃はピアノ習ってたみたいだけど・・・」

「だから、今は弾けない・・・」


「君は?」

「多少は・・・」


「へ〜、弾いて聴かせてよ」


「いいですけど・・・・」


莉子もピアノに触れるのは久しぶりだった。

莉子は知ってる曲を忠彦に弾いて聴かせた。

美しいメロディが部屋中に響き渡った。


忠彦は莉子が弾くピアノの音にすっかり魅了されていた。

そして莉子がピアノを弾き終わると、忠彦は拍手をしながら言っ た。


「すばらしい、今の曲、僕も聴いたことがある・・・」


「ポールモーリアの涙のトッカータです」

「父が好きだった曲です・・・私も好きですけど・・・」


「僕も好きだよ・・・莉子ちゃんと同じくらい」


「からかわないでください」


「からかってなんかいないよ」


「もう一曲何か弾いてよ」


次もポールモーリアの曲だった。

莉子が弾き終わると忠彦は言った。


「ああ、この曲もいいね〜・・・素敵だ」


「そよ風のメヌエットって曲です」


「きっと君が弾くとどんな曲も素敵になるんだ」


「そんなことありません・・・」

「もともと、いい曲だから、下手な私が弾いてもよく聴こえるんです」


「謙遜・・・とってもすばらしかった」

「もっと君のピアノ聴いてたいもん」


「もういいでしょ」


「あ、喉乾いたでしょ・・・何か飲み物、持ってくるね」


忠彦は莉子が弾いた曲を、うろ覚えに口ずさみながら、キッチンに

引っ込んだ。

ソファに戻った莉子は、忠彦のその後ろ姿を見て思った。

ふいに目の前に現れた男・・・少し強引だけど、くったくのない笑 顔。

広くて暖かい背中・・・そして私には優しい。

その男が現れて以来、今までの莉子の世界にはなかったように織り

なす情景。

それは、実は見せかけだけで、いつか崩れてしまうんじゃないかと

莉子は不安に思った。

ここから見える海は静かで水平線はどこまでも遠く、蜃気楼の向こ

うに

船が数隻見える。

穏やかな日常・・・まるで、すべてがまどろんでるように・・・

なにもかもが霞んで見える。

莉子は自分と忠彦もまた幻で、ほんとは何もなくて、現実に立ち返

らないまま

ただ夢を見てるだけのような気がした。

それほど莉子にとっては今いるここは違う世界なのだ。


To be continued.



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