その日、シノハラアクアクリエイションJPNは賑わいを見せていた。何せ、新生・深海ふかみこんのお披露目が明日に迫っているのだ。


「明日の配信は私も手伝うからね!」

「社長、アバター設定するのちゃんと忘れないでくださいよ? 大切なお披露目の日に放送事故はダメですからね?」

「そんなに私は信用ないかい? 最近は頑張っているだろう?」


 その言葉通り、篠原しのはらこんの企画案を出したり、動画編集を手伝ったりと、社長業以上に広報業務に入れ込んでいた。美莉花みりかはそれで良いのかと思いつつも、情熱を持って突き進んでくれる社長を頼もしいとも思っている。


「それにしても、新生・深海ふかみこんのビジュ強すぎですよー。あんなの、皆好きになっちゃいます。私、登録者ちょっとしかいない時から推してるのに」


 新しいアバターは人気のイラストレーターが手掛けた。人気だけあって先まで予定が埋まっており時間はかかったが、それだけの価値があると思わせてくれるものだった。


葉山はやまさん、うちに来てくれて本当にありがとうね。葉山はやまさんみたいな子が企画を引っ張ってくれて頼もしいよ」

「私、この会社に入れて良かったです! 推しのためなら仕事も頑張れます!」

「これからも頼むよ」

「はいっ」


 新生・深海ふかみこんの成功を確信した社長の篠原しのはらが「経費にしちゃおう!」と言い出して頼んだ出前と、近埜こんのが近くのコンビニで買ってきてくれたアルコールも合わさって、篠原しのはら美莉花みりかは特に気分が高揚していた。


「いやぁ、明日が楽しみだねぇ。本当に、コンちゃん様々だなぁ」


 350mLのビール缶一つで酔いの回った篠原しのはらは上機嫌だったが、その横で近埜こんのは苦笑いを浮かべる。


「社長、まだうまくいくかわからないですよ」

「そんなことない! だって、コンちゃんは女の子から見て格好良いだろう?」


 篠原しのはらからの急な問いかけに対し、美莉花みりかは「はいっ!」と即答した。普段アルコールを飲まない彼女もまた、酎ハイ一本で酔っていた。

 美莉花みりかゆうの方を見て微笑む。明日の新アバターお披露目生配信に緊張しているのか、その表情は浮かないものだった。


ゆう君、心配しなくて良いよ」

「そうだぞ。今日はゆう君の船出のお祝いでもあるんだから。コンちゃん、まだビールあるか?」

「……はぁ。おじさん、酔っ払い過ぎですよ」

「あははっ。ごめんなぁ」


 陽気にケラケラと笑う篠原しのはらにわざとらしく溜め息を吐いて、近埜こんのは「ゆう君、ごめんね」とゆうに頭を下げた。


ゆう君、葉山はやまさんを駅まで送ってくれる?」

「は、はいっ。社長は大丈夫ですか?」


 ゆうの言葉に大丈夫だと返した近埜こんのは、うとうとと船を漕ぐ篠原しのはらの肩を揺する。


「おじさん、家帰るよ。車で送っていくから」

「ちょっと近埜こんのさん! 社長をおじさん呼ばわりしちゃ駄目ですよ!」


 社長に対する言葉とは思えない声かけに、美莉花みりかは驚き酔いが覚める。驚いたのは近埜こんのの方も同じで、まさか叱られると思っていなかった彼は目を瞬かせた。


「あれ? 私、仕事なくて親のコネで入社したって言いませんでしたっけ? 社長は僕の親と友達なんです。だからこの人、私のこと〝コンちゃんとこの坊主〟って可愛がってくれているんです」


 昔から優しい人だったと近埜こんのが微笑みながら説明すると、美莉花みりかは知らなかったと詫びた。


「謝らないでください。コネ入社しかできなかった私が悪いんですから」

近埜こんのさんは悪くないです! 知らなかった私が悪いんです!」

「……知らなかったのに悪いと思わないでください」


 近埜こんのさんは眉を八の字にして、悲しい顔で笑った。そして、美莉花みりかゆうに背を向けて帰り支度を始める。


「じゃあ、葉山はやまさん、ゆう君、気をつけて帰ってくださいね」


 背を向けたままの近埜こんのさんに、ゆうは頭を下げる。


「後はよろしくお願いします」


 そう言うと、ゆう近埜こんのの返事も聞かずに事務所の外へと出た。美莉花みりかは慌てて「失礼します!」と近埜こんのの背中に頭を下げて、ゆうの後を追った。


 置いていかれると思った美莉花みりかの想像に反して、ゆうは事務所の建物から少し離れた所の電灯の下に立っていた。待っていてくれたことが嬉しくて、美莉花みりかは浮ついた足取りで近付く。覚めた筈の酔いが戻ってきたようだ。


葉山はやまさん、大丈夫ですか……?」

「大丈夫! 待っててくれてありがとうね!」

「いえ……行きましょうか」


 二人横並びで夜の街を歩く。

 ビルの影と宵闇の境界がわからなくなってしまうように、美莉花みりかも〝推す気持ち〟と〝恋心〟がわからなくなってしまっていた。ただ、深海ふかみこんのマネージャーとして彼の支えになっていることで満たされていた。


「私、コンちゃんのマネージャーになれて良かった」

「…………」

「私ね、コンちゃんのゲーム実況、好きなの。なんか、リラックスした気分になって、お家でゲームしてるの隣で見てる感じがして」

「そう、なんですか。俺は元々、海の生き物の紹介動画を上げてて――」

「あ、昔のヤツだよね? 海の生き物が好きだから、深海ふかみこんって名前にしたんでしょ?」


 古参なのだから知っていて当たり前だと言わんばかりの美莉花みりかに、ゆうは気が抜けて笑ってしまう。


「俺が一番好きな海の生き物、知ってますか?」

「クジラでしょ? チャンネルアイコンなんだから知ってるよ」

「正解です。ゆうに魚を付けると勇魚いさなになって、クジラの昔の呼び方になるんです。小さい頃から海の生き物が好きだったから、このことを知った時は少し嬉しくなりました」

ゆう君は魚だとクジラになるんだ……知らなかった」


 ちょっとした雑学を聞いて美莉花みりかが感心すると、ゆうはもう一つ雑学を教えてくれる。

 鯨骨げいこつ生物群集せいぶつぐんしゅう――死したクジラが深海まで辿り着くと、その死骸を食べる生物が集まりコロニーを形成すること。ゆうはその言葉を美莉花みりかに教えると、自分も死後、クジラの様になりたいと語った。


「最初は、自分の好きな物に皆も興味を持って欲しかったんです。それで海洋生物の動画を作って――楽しかった。再生数は少なかったけど、同じような動画主と交流もできました」

「へー。じゃあ、今度その人達とコラボしようよ!」

「…………辞めちゃいました、皆。伸びるコンテンツではなかったから辛いって言う人もいたし、就職活動で忙しくなるからって辞めた人もいます。俺はまだ就活とか関係ないから、ただ何となく伸びそうなことして、昔の動画も見て欲しいなって」


 ゆうはいつになく饒舌だった。美莉花みりかはそんな彼を見て、この人を支えていこうという気持ちをより強くする。昔のことを語る彼の表情は穏やかな凪だ。そんな彼が好きだった。


「俺、近埜こんのさんには感謝してます。有象無象から俺を見つけてくれた」

「見つけた?」

近埜こんのさんが、会社所属のVTuberにならないかって声を掛けてくれたんです。あの人、海洋学専攻だからそういう動画を漁ってたらしくて」

「知らなかった……というか、近埜こんのさんのこと全然知らないかも。あ、顔が良いっていうのは知ってるよ」


 冗談っぽく言った美莉花みりかの言葉を、ゆうは素直に受け取る。男の目から見ても近埜こんのの容姿は整っていた。

 そしてゆうは、シノハラアクアクリエイションに広報部ができたのは近埜こんのがきっかけなのだと話し始める。コネ入社の彼は、見た目の良さと弁が立つことから営業職に回された。その後、彼の発案で会社の製品を紹介するSNSを始めたことで、会社の売り上げは微増した。そこで、活動の域を拡げようと声をかけたのが深海ふかみこんだった。そして、シノハラアクアクリエイションJPNが発足された。


近埜こんのさん、今の仕事に満足してるかはわからないですけど、大学で学べたことは満足してるって前に言ってました」

「大学かぁ……私は卒業できたらそれで良かったな」

「俺も、そう思ってました。大学に友達はいないから。でも、配信したら話し相手がゼロじゃなくなった」

「実は私、配信でコンちゃんと二人っきりになったことあるんだよ」

「そうだったんですか……。あの、葉山はやまさん、これまでありがとうございました」


 ゆうの声は少し震えていたが、その中には確かに感謝の気持ちが込められていた。それを受け取った美莉花みりかは、ゆうの言葉に微笑みを浮かべ宣言する。


「私、これからも新生・深海ふかみこんのマネジャーとして頑張るね!」


 美莉花みりかの声は強く、明るく、未来への希望に満ちていた。


「……これからも、深海ふかみこんをよろしくお願いします」


 これが最後の会話だった。ただ、駅で別れる時が来るまで、美莉花みりかは会話の無い静かな時間に胸を満たされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る