ただいま
おーはし。
1日目 帰宅
古い扇風機がガタガタ言いながら不器用に回っている。
目を開けると、天井には好きなアイドルのポスターを貼っていたテープが剥がれた痕だけが残っている。ポスターは無惨にも床に落ちていて、なぜか部屋はとても荒れていた。恐らく寝相が悪くて漫画の山を崩してしまったのだろうと私はなんとなく納得する。
夏休みも残り1週間。しかし、私の課題は全く終わっていない。毎年のことなのに、それでも毎年夏休みの課題が最後に残ってしまうのはなぜだろう。私は重い腰を上げてリビングへ向かう。
異様にシーンとしているリビング。いつもはうるさいくらい元気な母がいるけれど、彼女は現在出張中。朝ご飯を食べる気にはならず、テレビの前でただぼーっと時を過ごした。どれほど時が経ったのか分からないが、太陽が空のテッペンを通り過ぎた頃、幼馴染の光から
「今何してる?」
と連絡があった。何もしていないと言うのは癪だったので、更に重くなった腰を上げ、やっとの思いで課題を部屋まで取りに行き、リビングのテーブルへ腰を下ろした。課題をやっている風な写真を撮って、
「ちゃんと課題やってまーす」
という言葉と共にトークルームへ放り投げる。
折角重い腰を上げてテキストを持ってきたので、1ページ課題を進めてみようと試みるがなかなか前へ進まない。宙を見上げて頭を悩ませていると、突然ガチャっと玄関の扉が開く音がする。きっと祖母が来たんだと何も気にしないで引き続き問題の解答を考えていたが、数分経っても入って来ない。おかしいなと感じて私は玄関を見に行く。
「ばあちゃん何したの〜?」
そこに立っていたのは一人のおじさんだった。
「ただいま」
彼は満面の笑みで私にそう言った。私は状況が飲み込めず、静かに後ろへ一歩下がる。
「美和、大きくなったな」
彼はそう言うと普通にリビングまで入ってきた。私は急いで彼の後を追うと、恐る恐るその言葉を口にした。
「お父さん?」
彼は満面の笑みで私にハグをしてくる。
「やめて!」
私は咄嗟に彼を突き飛ばして家を出た。しかし、だる着のまま、寝癖もそのまま、辛うじてスマホは持っていたが、充電は残り10%。あからさま過ぎる「さっき起床した」スタイルだった。とりあえず歩きながら母に向けてLINEでこの状況を伝える。母は仕事中なので既読はもちろんつかない。どこに行けば良いか分からず仕方なく向かった先は、光がアルバイトをしているパン屋さんだった。
「いらっしゃいませ……」
光はこちらを二度見どころか五度見はしただろう。
「何してんの?」
「パン買いに来た」
「その格好で?」
「うん、何か問題でも?」
「いや……」
光は私のつま先から頭の先までをじっくり見ると、プッと吹き出し声をあげて笑い始めた。
「流石に女捨てすぎだろ、美和」
「うるさいなアホ」
もうこうなると光は止まらない。一生分くらい笑い続けるし、一生分くらい馬鹿にし続ける。
(あぁ、なんでこいつのところに来てしまったんだろう)
私が少し後悔をし始めると、
「ほら、そこ邪魔……あと30分で退勤だから、こっち来て」
突然手を引っ張られ、レジの後ろへ連れて行かれる。
「おやっさん、ちょっと休憩室借ります」
店の休憩室に入ると無言でストレートアイロンと古着っぽいTシャツを渡され、光は表へ戻って行った。パン屋のアルバイトにストレートアイロンが必要なのかとも思ったが、鏡ごしの自分の姿があまりにも酷かったので、とりあえずTシャツを着替えて寝癖を直し始める。
光がアルバイトを終えて戻ってきた。
「ほら帰るぞー」
外は焼け焦げそうなくらい日差しが強くて、陽炎が立ち込めていた。私たちは特に目的もなく、ただゆっくりと外を歩いてまわった。その間光は何も聞かなかった。
「あのさ……お父さん帰ってきた」
「うん」
光は無言で歩き続けた。
「12年間も私たちのことを捨てたのに、どんな顔して戻って来たと思う?」
「どんな?」
「満面の笑みだよ……」
そこまで言ったところで私の涙腺は崩壊した。歩きながらどんどんどんどん涙が溢れていく。それでも光は何も言わず、ただ真っ直ぐ前を向いて私の横を歩いている。
空がオレンジに染まっていく頃、私たちは家に戻ってきた。私が恐る恐る靴を脱いでいると、光はまるで自分の家のように先にリビングへと入っていく。
「おかえりー!あ、光?光も大きくなったねー」
父はキッチンで料理を作っている。
「誰すか?」
父は手を拭いてキッチンから出てくる。光はソファの上に荷物を置き、真っ直ぐに父を見つめる。私はリビングに入れないまま、廊下に立ち尽くしていた。
「あのちびっこだった光が、こんなに大きくなったなんてな〜」
父が無邪気に光へ手を伸ばすと、光は父の胸ぐらを突然掴んで大きな声を出した。
「お前、今まで美和がどんな気持ちでいたか分かってんのかよ」
「……」
「なぁ、今更どの顔して戻って来てんだよ、ふざけんなよ」
父は不気味にも笑い続けている。光は耳まで赤くなるほど頭に血が上っている様子で拳を上げた。その時、玄関が開く音がして祖母が急足で入って来た。
「光何してるの!離しなさい!」
祖母が二人の間に入り、光の手を取った。光は突然ハッとして目を逸らした。祖母は震えながら父の方を見て、
「明くんおかえり」
と言って一粒だけ涙を流した。明は祖母の手を取り、料理の並ぶ食卓に座らせた。
「美和、光、もうすぐご飯だよ」
と言うと、再びご飯の準備に戻った。光はその場で少し呆然とした後、
「今日は帰るわ」
と言って家を飛び出した。美和はまたどうしたら良いか分からず、そのまま部屋へ戻った。
その後、祖母は父と食事をし1時間程度家にいた。私はその間ずっと天井を眺めていた。私は結局朝から何も食べていなかったのでかなりの空腹だったが。どうしてもどんな顔で父と対面したら良いのか分からず、部屋を出ることができなかった。そのうちエネルギー切れで力尽き、気付いた時には寝てしまっていた。
数時間後目を覚ますとまだ真夜中だった。恐る恐るドアを開けてみると、部屋の前に鯖を混ぜ込んだおにぎりと長芋の浅漬けが置いてあった。恐る恐る口に運ぶと、妙に懐かしい味がする。ただ、私にはこれを食べたという記憶がない。
私は無我夢中で食べた。途中でおにぎりが少しずつしょっぱくなっていくような気がした。夜は静かに更けていった。
ただいま おーはし。 @meronpaaan
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