第8話 決行
成美が返事をくれなかったらまた別のやり方を考えようと思っていたが、成美は「じゃあ、いつものところで」と返事を送ってきた。
でも、クリスマスシーズンの人混みのなかでそんなことをしていたら、成美の胸にナイフを突き入れる前に、だれかに無理やり引き離されてしまうだろう。
そうならないためには。
成美に警戒させないように近づいて、電光石火の早業で「成美ナイフ」をジャケットのポケットから出し、さやをはずし、一直線で成美の左胸の中央やや下に突き入れなければいけない。
やる自信はある。
このことを決めてから、実際にこの「成美ナイフ」を握って何度も練習したのだ。
成美の胸がどの高さか、教室で観察して確かめた。
ポケットからナイフを出し、一直線で成美の胸のその場所へ!
電車は速度を落としている。もう少しで箕部駅だ。
電車が止まる。
瑠音は、ポケットにナイフが入っていることをもういちど確かめてから、電車を降りた。
電車を降りたら体が震えた。
でも、それは、これからやることへの恐れのせいではない。寒さのせいだ。
ベージュのコートのボタンを留めて、階段を上がる。
階段を上がりながら、頭のなかで、何度も動きを確認する。
成美にじゅうぶんに近づいてから、右手でポケットからナイフを出し、左手でさやをはずし、一歩踏み込む勢いで、一直線に成美の胸に。
だいじょうぶ。
これで、確実にナイフは成美の胸に刺さる。
そして、明日になれば、いや、もしかすると今晩じゅうに、
「作家
というニュースが全国に流れるのだ。お母さんは講演をしに行っているどこかの街でテレビでそれを知る。
そのことを想像するだけで、瑠音の神経は心地よくひりひりした。
カードをタッチして改札を抜ける。
右へ曲がり、ペデストリアンデッキのほうに進む。
いた。
成美。
大きい柱に体をもたせかけ、つまらなさそうな顔をして。
しかし、瑠音に気づくと……。
「瑠音!」
ああ、なんて明るい声!
その明るい声の次には、成美は、ことばにならない、きたないうめき声を出すのだ。
最後の「ダイイング・メッセージ」なんかはいらないから、そのうめき声だけは出してほしい。
警戒させないように、瑠音は成美に笑顔を見せる。
いや。
瑠音はずっと笑みを浮かべてここまで来たのだ。
あと十歩!
たっ、たっ、たっ、たっ、たっ。
あと五歩。
たっ、たっ、たっ。
あと二歩。
ここからだ。
瑠音はポケットの中でナイフを握り。
あと一歩。
たんっ。
力強く踏み込む。
あっ!
異変に気づき、動きが止まる。
自分の顔の前に突き出した瑠音の手のなかに、ナイフがない!
「えっ?」
瑠音はいちど
あまり戻るわけにもいかない。そうすると成美に警戒されてしまう。
だから、あと三歩のところまで戻って。
ポケットからナイフを!
ない。
ないっ!
ポケットにナイフがない!
でも。
どうして?
気がついたとき、瑠音は、手を中途半端なところまで上げたまま、
そこに成美が襲いかかる。
立場逆転!
瑠音は動けない。
成美の両手は、ナイフを握っていない瑠音の手首を包み込んだ。
その瑠音の手を力強く体の正面から横へよける。
とても軽く。
瑠音の喉は、「あ」という音すら立てられない。
手を横に「すいっ」と動かされて体が揺らいだ瑠音の右
ふにーっ。
柔らかいものが当たる。
白くてきれいな成美の頬!
「ふややややっ」
弱々しく、ぶざまな、瑠音の悲鳴。
「ごめん、瑠音」
耳もとで、優しいけど、どうしても強さを消せない声がささやいた。
「瑠音の立場、瑠音の気もち、わかって当然だったのに、そのこと、うまくできなくて、うまく伝えられなくて……」
ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっ!
瑠音の体の後ろ、肩の骨の下から、強い力が瑠音を
背の高い成美が斜め上から瑠音の胸のところを抱いてくれているのだ。
「自分は体育が得意だから成美に勝てる」。そんなことを考えたのが愚かだった。
体が大きい成美のほうが力は強い。それに、その体を
しなやかなのだ。
頭で考えたとおりに一直線。
それしかできない瑠音が、成美に勝てるはずがなかった。
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