第15話/スニーキング・オブ・ベントー



 そして翌日である、昼休み前最後の授業で教室の中は少々ダレついた雰囲気であった。

 ――いつもならば。

 しかし今日は違うのだ、善人も含めてクラスの全員が、担任で現国の教師でさえもソワソワとしつつ殺気立っていて。


(――じゃあ、仕掛けるかな)


 音を立てないようにこっそりと、善人は机の右にかけられた鞄へと手を伸ばす。

 彼の席は窓際で一番後ろ、普段の授業中なら特等席といえるが今は注目の的。

 ごくりと息を飲む音、ガタと机が揺れた音、連鎖的に反応が起こって。


(さぁ、始めようじゃないか……早弁大会をッ!!)


 ルールは簡単、教師に指摘されずに完食できるか。

 教師が先に完食した場合、クラスの連帯責任で半年もの間ずっと雑用を持ち回りで。

 チクりナシ、妨害アリ、勝者は持ち寄った不要品のマンガやゲーム、小物などのインテリアを山分け。


(ルゥはどんなお弁当を作ってくれたのかなー、謎に重かったから不安なんだけど)


 風呂敷で包まれた、弁当というにはズッシリ重く大きめの。

 重箱だとすると、形が少々歪だ。

 気になるのは、衝撃を与えると危険だと言われた事であるが。


(…………おっとぉ?? これは予想外だぞ??)


 風呂敷の中から出てきたものは、HIのアウトドア用の小コンロにメスティンが二つ。

 一つは普通に白米が入っていて、残りは。


(ちょっとルゥウウウウウウウウウウ!? これ鍋ッ!? 鍋だよね!? 学校で鍋しろっての!? うわー、え? これ僕ってば負け確定じゃないの!?)


 ヤバい、どうしようこれ、冷や汗を流す善人を余所に。

 目撃してしまった者達は、早弁大会で鍋を持ってくるクソ度胸に戦慄して。


(よ、善人!? それは流石にムリゲーだぁと余は思うんだが?? 可能なのか? ……い、いや善人が賞賛もなく用意する筈がないッ、――相変わらず恐ろしい男だぜマイベストフレンズ)


(ふっ……礼を言うわ座古君。アタシは右兵衛兄さんの手作り弁当を、右兵衛兄さんはアタシの手作り弁当を……、でも座古君? この状況で鍋は流石に無謀じゃないの?? いやでも座古君だし……、作戦があるのねきっと)


(あ、あれは……)(スゲェ……作り始めたぞ??)(挽き肉は調理済みで……)(豆乳?)(わ、わかったぞ、この鍋は――ッ!?)


 ごくり、唾を飲む音が教室に大きく響いた。

 犯人が誰だか生徒達には分からなかったが、教師には分かっていた。

 何故ならばその音の主は教師本人、三十八歳独身の趣味は料理な腹が太やかな男・吉田重三であり。


(私には分かる……座古がしようとしている鍋、あれは絶対に美味しいッ!!)


 具材は丁寧にカットされ、見た目も楽しめるようにメスティンの中に配置されている。

 挽き肉の焼き加減の絶妙さは、生徒達では分かるまい。

 そして肝心のスープが今投入された、その香りで自称美食家の吉田は涎が止まらなくなりそう。

 ――周囲がそんな事になっているとは、当人である善人は露ほどにも思わず。


(ルゥも結構、いやかなーり料理上手なんだけど。いかんせん食べる専だからって作ってくれないのが玉に瑕だよなぁ……)


 ことこと、ことこと、煮込まれていく中で匂いは徐々に強くなる。

 これでは絶対にバレる、だがもしかすると、もしかするかもしれない。

 僅かな望みをかけて、善人は鍋が煮えるのを待っている。


(――勝負は捨てた、今はもう……出来上がったら例え注意されようが完食するッ!! 恋人の手料理、ルゥの手料理なんだッ!! 僕は……この勝負負けようとも愛に生きる!!)


 もはやカモフラージュなど不要、視線を遮る盾にしていた教科書、開かれたままのノート等々全ての邪魔な物をしまう。

 いつの間にか横で凝視している担任の吉田など無視だ、近寄ってみている右兵衛や奈緒達クラスメイトも無視である。

 ――その時であった、鍋の表面がとある意味を為して。


「………………辛みの赤でハートが浮いて……挽き肉で愛してる? まーた凝った仕掛けして……どうやってんのコレ? んじゃあ、いただきまーっす!」


「おい座古?」


「先生、僕は食べるなって言われても止まらないよ」


「……座古」


「もぐもぐ、んー、マイルドな中に辛味でウマイ!!」


「――座古ッ! お前に言いたいことがある!!」


 教師の険しい声に善人も流石に無視は決め込めず、だが担任の顔は怒りの表情ではなかった。

 むしろ、懇願するような何かで。


「はい? どうしたんです先生??」


「頼むッ!! 一口分けてくれッ!! 絶対に美味いやつだろソレ!! 私には分かるんだその鍋は絶品だッ!! 勝ち負けなんてどうでもいいッ! 望むならお前の勝ちでいいッ、そうだ私が作ったメンチカツサンドを一切れやろう、だから…………その鍋を食わせろおおおおおおおおおおおッ!!」


「なして!?」


「先生ズリィ!? 余も! 余のも分けるから一口食べさせろぉぉぉ!!」


「アタシにも頂戴、それルゥが作ったやつよね? あの子は料理上手な癖に滅多に作らないんだから見逃せないわ!!」


 教師や義兄妹の叫びに、クラスメイト達は顔を見合わせて。


「え、そんなに美味いの?」「匂いはサイコーだが」

「ルゥちゃんって、あのレア美少女の??」「美少女の手料理!!」「でも座古くんの恋人よね?」「でも美食家の吉田センセが言うんだから……」


 ギロ、ギロ、ジロリ、次々に善人へ、正確には善人の鍋へ視線が送られる。

 ヤバい、これは非常に不味い、もはや命の危機すら覚える。


(誰が渡すか――って、アチチな鍋持ってそれはムーリー)


 ではどうするか、もはや勝負など皆投げ捨てている。

 しかし全員にあげてしまえば、善人の分は一口残るかどうかだろう、あくまで一人用の分量なのだ。


(どうするッ、考えろッ――この場を丸く収め……いや丸く収めなくてもいいのでは??)


 逃亡は不可能、そして周囲は爆発寸前。

 そして善人も譲る気はない、最低半分は死守だ。

 ならば、答えなど一つで。


「この鍋の半分をやるッ、だから――争え!! 勝者は一人だ!! ルールはおかず交換ッ、勝ち残った奴にだけ半分あげるよ!! さぁ、冷めない内に争ええええええええええ!!」


「この吉田重三ッ、負けられん!!」


「親友権限でなんとか……、あ、はい余も普通にがんばります」


「――全力でいくわ協力して右兵衛兄さん」


 三人を筆頭に、ルゥ特製の坦々鍋を巡って教室は戦場と化した。

 それを横目に、善人は舌鼓を打ちながら彼女に感想を送る。

 結局の所、勝者は不在の無効試合となった訳ではあるが。


(いやー、みんな親切だねぇ。楽しかったし自分には必要ないものだから無条件で山分けって)


 担任も含めてクラス全員で山分けであった為、取り分は流石に減ったものの。

 善人は首尾よく、小型のルームランプと少女マンガを手に入れて。

 放課後は秘密基地へ直行、残りはソファーに使える物品と小型の冷蔵庫だろうかと思案。


「まぁ、卒業したら元に戻す訳だし。どっかで妥協しないとダメだよなぁ」


 それに、ルゥが保健室登校。

 もとい、秘密基地登校する時の為に作っているのだ。

 後々は彼女の意見も反映したい、そう考えると途端にワクワクしてくる。


「あー……、ルゥに会いたいな。右兵衛と遊ぶ約束も今日はないし、そろそろ帰ろうか」


 夕飯の食材を帰り道で買うか、それとも一度帰ってから買うか。

 様々な事を楽しそうに悩みながら、スタコラと歩く彼であったが。

 ふと気づいた、そういえば。


(………………ルゥの下着、穴が開いてるのあったよね)


 気づいてしまったから仕方がない、これは是非とも改善せねばならない。

 強い決意を胸に抱きながら、善人は拳を握りしめたのであった。


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