第11話/湯船にあひるさんは必要ですか?
新居のアパートはキッチン、トイレそして浴室、更にもう一部屋が付いた分、実家の自室より広かったが。
しかし二人で暮らすのだ、善人としては少々手狭に感じる。
原因はそのもう一つの部屋が、納戸兼ルゥの引き篭もりスペースになっている上に、入りきらなかった荷物が居間に溢れてるからだろう。
(ルゥは妙に荷物が多かったけど、開けたらゲームとお菓子が殆どなんだもん)
その癖、衣服は最低限で制服すら置いていこうとした始末で。
流石にそれはダメだろうと、善人が強制的に持ってきた始末だ。
彼自身の荷物が少なかったからか、片付けは思ったより早く終わって。
(…………これ、部屋割り間違った可能性あるね)
月海のプライベート空間が必要だろう、という善人の配慮と。
居間のテレビを占拠するのはちょっと……、という彼女の気遣いが一致したお陰ではあるが。
実家に居た頃より、二人の時間が減っていくかもしれないという不安がよぎって。
「じぃ~~~~」
「……?」
「じぃ~~、じぃ~~~~っ、誰か構ってくれないかなぁ、一人でゲームしてるの寂すぃなァ……」
「おやおや、どこからか声がするね。もうちょい近づいてくれないと分からないなぁ」
「ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこ、気づかれないように後ろから近づきまーすっ」
ちゃぶ台で頬杖をついていた善人に、月海は四つん這いで回り込む。
相も変わらず、ブカブカのTシャツに下着のみというセンシティブな格好はどこか安心感を覚えた。
横目でちらりと彼女を見ると、動きに合わせて動く金色の長い髪が妙に彼の心を擽って。
「誰かが早速引きこもってて寂しいなー、あの部屋は納戸じゃなくて寝室の方がいいかなー」
「寝室の方がいいかもにゃんっ、同じ部屋にいるのに側にいないのサミシーにゃんよ」
「ほほー、なら収納を考えなきゃねぇ」
「そうでゲス、この隙に将来の旦那様のお膝をゲットするでゲーッスッスッス」
「おやー、なんだか将来のお嫁さんを膝枕したくなってきたぞぉ」
「やたっ、そーれゴローンっ」
座る向きを変えて、彼女の頭が安全乗るようにすると。
即座に幸せな重みが太股に、猫を思わせる彼女の笑顔に善人の顔も綻んで。
無意識のままに、絹を思わせる金糸を指に絡ませる。
「…………ちょっとルゥ? これは酷くない?」
「ほえ? なんですか??」
「君の髪さぁ、けっこうベタついてるんだけど」
「え゛っ、そんなにですか?」
「それに…………くんくん、かーなーり臭いが強くなってるっていうか」
手にした髪を己の鼻に近づける善人を見て、彼女は慌てて阻止しようと手をバタつかせるするが。
彼はそれを器用にペシペシと捌きながら、髪の臭いに顔をしかめる。
「わ゛~~ッ!? わ゛~~わ゛~~ッ!? 嗅ぐなッ、嗅ぐんじゃありませんッ! 乙女に対しての気遣いってもんがあるでしょうが!!」
「お風呂に入って綺麗にするっていう恋人に対しての気遣いはないの??」
「うぐッ!? そ、そりを言われるとぉーですねぇ……」
ルゥは冷や汗を流し始めた、彼女とて毎日入浴して清潔を保つ重要さを知っている。
恋人の為にも、何より自分の健康の為には必要な行為だろう。
だが彼女としては、皮膚に水が当たるというのが妙に苦手で。
「お風呂、入ろっか」
「い、いやー、それはまたの機会にしたいなーって思うんですよ」
「せっかくの新居なんだし、先にお風呂の使い具合を確かめる栄誉を与えるよ」
「私は謙虚なので、善人に譲っちゃいます! ささっ、どうぞどうぞ」
「なるほど? あくまで入らないと……」
すぅと善人の目が細まる、今までは実家ぐらしなので彼女の母に密告して解決してきた。
だが今日からはそうもいかず、これを解決できるのは己のみ。
覚悟をしなくてはならない、一時的にでも己の欲望を切り離す覚悟が。
「あ、あのぉ……ヨシト? なんか目が変なんだけど私の気のせいかな??」
「よし、じゃあ今からお風呂屋さんごっこしようか。簡単なごっこ遊びだよ、僕が店員さんね」
「もしもーし、ヨシト? 座古善人さーん?? 無視しないでーーっ」
「安心して欲しい、僕のことは介護のヘルパーさんだと思ってさ、ね?」
「…………あっるェーー??」
ヤバい、これはもしやとてつもなくヤバいのではとルゥは戦慄した。
彼の黒い目は澄み切って、一部の淀みもない。
只でさえ入浴は嫌なのに、もしかして彼の手で直接洗われてしまうのだろうか。
「僕は優しいから君に選択肢をあげるよ、――自分から脱ぐか脱がされるか、どっちが好みだい?」
「えーっと、現状維持という選択肢は……」
「あくまでニ択だね、第三の答えは脱がされたいって受け取るよ」
「う゛う゛う゛っ゛、こ、この鬼畜ッ、DV彼氏ィ! 女の子に無理矢理して恥ずかしいと思わない――って、ああっ、手首っ、なんで手首掴んだッ!?」
「それはルゥが逃がさないためだよ」
続けて善人は殊更にっこりと笑いかけて、優しい声色で脅しをかけた。
「このキャラ物のTシャツ、気に入ってるって前に言ってたよね? 僕としては破くのが気が引けるから自分で脱いで欲しいんだけど…………それとも君ってそういう性癖だったっけ?」
「ひぃぃっ!? マジな目だっ、マジでやる気だコイツ!? どうしてっ、なんでこうなるのぉっ、同棲初日で新居で甘い空気とかどこ行ったのぉ!?」
「甘い空気さんは君がお風呂入ったら帰ってくるって連絡があったよ」
「カムバーックっ、甘い空気さんカムバーーック!!」
「呼んでも帰ってこないぐらい遠くに居るんだよ、諦めたら?」
さぁ選べと善人は圧をかけた、ルゥは涙目半分で口元をアワアワとさせて。
彼女に逃げ場はない、彼は逃がすつもりもない。
交渉の余地はなく、イエス&イエスの返事のみ。
(うわああああああああんっ、なんでえええええええええええええっ。このまま私は羞恥プレイさせられるってコトォ?? そんなのってないよぉぉぉぉぉぉっ!)
(心頭滅却すればまた火も涼し、――当方に覚悟の用意アリ)
(どう゛し゛て゛ぇ゛……ううっ、しくしく、で、でも私は善人の恋人ッ!! いつか裸を見られるならば! それに小さい頃は一緒にお風呂入ってた時もあるし!! ええーいっ、女は度胸!! でも恥ずかしくて死にそう!!)
(僕ならできる、今だけは決して絶対にルゥに欲情しない。そう、これは世界で何より大切な宝物を綺麗にする、それだけの行為…………)
善人の心の準備は万全だ、今の彼に一切の邪念は存在しない。
対してルゥは恥ずかしさと戦いながら、せめてもの妥協案を出した。
このまま進めれば、性癖がねじ曲がるかもしれなくて。
「て、提案しまーーっす。自分で脱ぐから、せめて後ろをっ! そして水着の着用許可を断固として求めるッ!!」
「却下、洗いにくいからね」
「洗います洗えますっ、自分で洗いますからっ、善人はせめて扉の中で待ってるとかね? ね? 恋人を信じて!」
「今日は同棲初日だし僕が君の体を洗うよ、大船に乗ったつもりで安心して欲しい」
「乗る前に沈んでませんかその泥船ェ!!」
あ、これはダメだと彼女は理解した。
悪ガキスイッチでも、イチャラブスイッチでもない、まったく新しい妙なスイッチを入れてしまったと。
観念するしかない、もう家ではないので逃げ隠れする場所がない。
「取引しましょう善人っ、これからはキス券に加えて入浴命令券を発行しますっ! なんと三日に一回!!」
「それで揺らぐと思うかい?」
「じっ、じゃあ、私が寝ている間にちょっとエッチな事をできる券! ええいもってけドロボー! 好きな下着を選べる券もだぁ!!」
「それら全てを捨ててでも僕は今、君を隅々まで洗うことを選ぶよ」
「ば、バカなッ!? 揺るがないだとこの男ッ!?」
「話は終わりかい? なら――今から脱がすからね」
「~~~~~~ッ!? ちょっ、ちょおおおおおっ、ほわっ、シャツ掴まないでっ、ダメっ、ダメダメダメっ、せめて自分の手で脱がせてえええええええっ!!」
「うんわかった、言質取ったからね」
「…………………………チクショーーッ!!」
ルゥは善人に膝枕されたまま頭を抱え、恥ずかしさに足をジタバタさせて悶えたのであった。
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