第14話 恋島ウサの恋心
私には、名前が二つある。
小手川渚。
恋島ウサ。
どちらも私。
清楚で社交的な令嬢、小手川渚。
その正体は、何もかも父親から決められたレールの上を歩んでいるだけの空っぽな人形。
元気で明るいみんなのアイドル、恋島ウサ。
その正体は、父から抑圧された反動で生み出された架空の人格。
一見どちらも私ではあるけど、どちらも本当の私じゃない。
本当の私って、なに?
今から五年前。
まだVTuberなんて言葉が存在してなかった頃。
深夜に死んだ魚のような目でぼんやりとネットを徘徊してた私は、なんだかとても胡散臭い募集広告を見つけた。
当時、私は十一歳。
【萌えキャラになって配信してみませんか?】
まだVRなんて言葉も普及していなかった時代。
小学生だった私は、「アニメの見た目になって、お話できるのかな?」くらいの気持ちで連絡してみた。
当時の私は、とにかく自分を変えたかった。
変われるならなんでもよかった。
この父に抑圧された窮屈で息苦しい毎日から逃げ出したかった。
すると、こんな返信が返ってきた。
『アバター制作料として百五十万円が費用としてかかります。弊社の持ち出しで制作費を肩代わりして作ることも可能です。ただし、その場合、アバターの権利は全て弊社所有となります。もし、演者様ご自身で制作料をお支払いになった場合、アバターの権利は演者様のものとして自由に使っていただけます』
自由に使っていただけます。
自由。
その一言で、私は迷うことなく自分で払うことに決めた。
自由。
そう、私は自由になりたかったんだ。
さいわい、私の家はお金持ちだった。
私の口座には、それを払ってなお、ゆとりのある金額が貯まっていた。
今にして思えば、あきらかに
でも当時小学生だった私は、なによりも自由になりたくて、その話にすがりついた。
数カ月後。
その会社と何度かメールを交わした後、とうとうアバターが出来た。
私の思い描く、最高に可愛く最高に明るい、うさ耳の女の子。
それが私の作ったアバター、恋島ウサ。
配信機材も揃えた。
お年玉で貯めていた貯金はすっからかんになった。
でも、私の心はワクワクで満たされていた。
毎日を暗く死んだような顔で、うつむき、親に言われるがまま習い事をこなしてただけの私。
それがネットの中では、私と真逆の女の子になれるんだ!
そう! 私はネットの世界の中では、どこまでも自由なんだ!
そう思っていた。
というのも。
配信を始めてみたのはいいものの、なかなか人気が出なかった。
最初は、配信するだけで楽しかった。
でも、次第に誰もいない配信で喋ることが苦しく感じるようになっていった。
(現実世界でも誰からも認められない私は、ネットの中でも誰にも認められないんだ……)
今思えば、人気が出なくて当然だった。
小学五年生の出来る会話の幅。
リスナーへの気遣い。
そして、自分自身のキャラクターの作り込み。
全てが足りていなかった。
おまけにアバターを着ているから、子供キャラも使えない。
必死に歌配信やゲーム実況をやってみるも、視聴者は全く増えなかった。
(もう、やめようかな……配信)
私の心は完全に折れる寸前だった。
配信をしていても、ドキドキして息が苦しくなってくる。
(よし……今から十秒間目を閉じて、その間に新しいコメントが来てなかったら、もう配信するのをやめよう……)
きっかけが欲しかった。
確率からいうと、ほぼ不可能。
十秒間でコメントなんてくるはずもなかった。
だって、五分間で一個もコメントがないなんてこともザラだったんだから。
諦めの境地でまぶたを開ける。
すると、そこには信じられないコメントが。
『すごく楽しい配信ありがとう! 元気もらいました!』
う……そ…………。
ついてる……! コメントが…………!
しかも、え、初見さん……?
私は
「え~っと……ヨルさん? ありがとう! これからも、元気になってもらえるようにウサ頑張るね!」
それが、私と最古参リスナーさん──
それから私は、本気で配信に取り組んだ。
ヨルさんを元気にしたい。
ヨルさんを笑顔にしたい。
その一心で頑張れた。
しばらくして、ヨルさんが原因不明の病気なことを知った。
私は、それから彼を元気づけようと、さらに配信にのめり込んでいった。
まず、私は配信について徹底的に分析した。
さいわい、私はこういった分析や研究といったものが大好きだったため、全く苦にならなかった。
統計を取り、そこから傾向を導き出して、自分の配信にフィードバックさせていく。
たとえば。
コメントのパターンは、だいたい大きく分けて十二通りに決まっている。
そこから派生して八十七パターン。
これがコメントの全ての種類だ。
煽り、溺愛、応援、構ってちゃん、など。
私は、それらに対応するリアクションを完璧に作り上げ、演じていった。
努力の結果は、すぐに数字となって現れた。
他にVTuberがあまりいなかったこともあって、私に配信には、ゆっくりと、でも着実に視聴者が増えていった。
そして十三歳になった頃、私は周りから『日本で最も有名なVTuber』と呼ばれるようになっていた。
その頃、VTuberを集めた会社というものが立ち上げられていた。
名前は『エビルライブ』。
私が十一歳の時にアバター制作を依頼した会社だ。
案の定、そこは胡散臭い詐欺スレスレの会社だった。
自分でアバター制作代を払った私以外の人たちは全員、人気が出始めた頃にアバターの権利を取り上げられて追い出され、中身を入れ替えられていた。
法的に争った人もいたみたいだけど、法は彼女たちを守ってくれなかった。
そして、その会社『エビルライブ』は──私が『日本で最も有名なVTuber』と呼ばれるようになった頃、『最も上場が期待されるニューウェーブ企業』として取り上げられるようになっていた。
エビルライブ代表、
彼は元々、話題にもならない地底アイドルグループを作っては壊しを繰り返していただけの反社同然のチンピラのような男だった。
そんな男が、何の間違いかVTuber界のトップに立ってしまった。
結果、業界に訪れたのは──。
独裁。
いい噂は一つも聞かなかった。
そんな束崎から二年ぶりに私の元に連絡が届いた。
『上場する際の目玉として、恋島ウサに所属してほしい』
当時、人気の伸び悩みを感じていた私は、愚かにもその提案に乗ってしまう。
いい噂は聞かないけれど、所属すればもっとヨルさんのために色んな企画が出来るようになるハズだ。
そう思って。
私が十四歳の時にエビルライブは上場。
株価もうなぎのぼりで、あっという間に時価総額一千億円を超えた。
VTuber界の枠を超え、束崎に逆らえるものは誰も存在しなくなった。
所属する配信者も八十人超え。
その全てが、束崎の意のままに動く奴隷だった。
ただ一人、私を除いて。
私は、すぐに干された。
私以外にも、昔から配信をしていて移籍してきた者は、みな次々と干されていった。
『古参配信者を干して、新しくデビューする配信者にリスナーを流していく』
それが束崎のやり方だった。
干されて心の折れた古参配信者たちは、次々に会社を辞めていった。
それでも私は、会社に食らいついていった。
ヨルさんが、笑ってくれていたから。
やがて、私は会社からもっと露骨に嫌がらせを受けるようになっていった。
自分だけイベントに呼ばれない。
自分だけ新衣装が貰えない。
自分だけ曲が貰えない。
自分だけ企画を手伝うスタッフがいない。
自分だけモデレーターがいない。
自分だけサムネを作ってもらえない。
やってることは個人勢だった頃と何一つ変わらない。
なのに、配信で得た売り上げだけは、どんどん会社に吸い取られていく。
そして吸い取られたのは売上だけじゃなく、視聴者も。
私は、次々と新しくデビューしてくる配信者たちに肥料を与える養分になっていた。
それでも私は耐え続けた。
エビルライブという箱。
そこにまだ価値があるはずだと信じて。
耐えていれば、きっといつかヨルさんがもっと笑顔になれる新しいことが出来るんじゃないかと信じて。
だが、束崎はとうとう強硬策に出る。
『恋島ウサの権利を寄越せ。そしたら待遇を向上させてやろう』
ああ、束崎が欲しかったは私のアバターだったのか。
これを奪うために徹底的に私を干し、冷遇してたんだ。
もちろん拒んだ。
恋島ウサは、私の大事な半身だ。
これがなくなってしまったら私は、また父に抑圧されるだけの自我のない人形に戻ってしまう。
だけど私の心は少しずつ、少しずつすり減っていっていた。
同僚たちから無遠慮に向けられる──。
嫉妬。
恨み。
憎悪。
憎しみ。
それらの感情に耐えられず、ついに限界が訪れた。
私は一年半所属したエビルライブに、
それから個人勢となった私の人気は低迷。
というのも、(おそらく)元事務所からの荒らし行為やアンチの嫌がらせがずっと続いていたこともあって、配信をしても決まって荒れていたからだ。
でも、ヨルさんが今も見てくれている。
頑張らないと。
彼が認めてくれた私が、このネットの世界でだけ生きてる本当の私なんだから。
そう思って、歯を食いしばって荒らしにも耐えていた。
そんなある日。
日本中にダンジョンが発生し。
ヨルさんの体の中がダンジョンになった。
天啓だと思った。
(私が……私がヨルさんの中に入って配信しないと! そして、あの束崎──エビルライブを見返して、私を抑圧する父にも見せつけてやる! 私が──誰よりもすごい世界一の配信者になるんだ──!)
そして今、私はヨルさんの体の中にいる。
世界初のフロアボス撃破。
同時接続数者五十二万。
日本配信史上歴代トップファイブに入る数字。
見えてきた、世界一の配信者が。
このままダンジョン探索を続けていけば、きっと──。
そう思ってた時。
父が部屋に入ってきた。
(なんで? いつも帰ってこないのに、こんな時だけ……)
気がつくと叫んでた。
「私……もう家に戻らないからっ! 私…………このダンジョンの中で暮らすからっ!!!」
十六年間生きて、初めて父に向けた私の本心。
ずっとずっと抑圧されてきた。
ずっとずっと言いたかった。
心の奥底からポンと出てきた、その言葉。
本当の──私の言葉。
小手川渚と。
恋島ウサ。
その両方が合わさった──本当の私。
ありがとうヨルさん。
あなたのおかげで私、初めて本当の自分を見つけることが出来たよ。
ありがとうヨルさん。
あなたのおかげで私、初めてお父さんに正面から向き合えたよ。
そしてこれからは……ずっとあなたと共に……。
私の家を飛び出して乗ったタクシーに揺られるヨルさんの体内で。
私は、心地の良い揺れに身を任せていた。
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