act.28

「あーあ、もうちょっとでまたお姫様生活に逆戻りね」

 ジャニスはそう言うと、やおら立ち上がり、目をつぶったまま座っているミルフェの横に腰掛け直した。

「ジャンヌ様、あまり幌の中で動き回るとまた転びますよ」

 片目だけ開けてジャニスを見ると、ミルフェはそう忠告した。実際2日ほど前に転んでこぶを作っているのだ。

「大丈夫よ。あれはたまたまこの馬車が石かなんかに乗り上げてはねたから転んだだけよ。この辺はもう王都のお膝元だし道も街中並だから」

 その言葉と同時に馬車は大きくがたんと揺れた。

「……ごめん。やっぱり気をつけることにするわ」

 言い直したジャニスは、御者台のディノンに声をかけた。

「ねえディノン、だいぶ日が落ちてきたみたいだけど、あとどのくらいで着きそうなの」

「私は馬車で王都に来たことなんか無いんで、実際よくわからないんですが、もう一時くらいで着くと思いますよ。まあそれ以上かかったら閉門の時間になっちゃいますし」

 ディノンは先行する馬車の幌を追いつつ返事を返してきた。普通ある程度以上の大きさで外壁の巡らせてある街には街道に門が設けられていて、日が沈んだ以降は街の出入りを制限するものである。普通の旅人ならば大体はいることはできない。

 まあ、王都やリュシドーほどの大きさの街ならたとえ閉門時間に間に合わなかったとしても、城壁外で宿を営むものもいるため、朝の開門後に街中に入ればよいのだったが。

 さらに半時ほど進んだとき、先頭の馬車が停止し、それに乗っていたアスティが、ミルフェの所にやってきた。

「ミルフェさん、少しよろしいですか」

「アスティさんどうかなさいましたか」

「はい、王都の南門に入る前に一つだけ聞いておかなければいけないことがありまして」

「はい私に判断できることでしたら」

「それでは、王都にはいるときの手形は、ジャンヌ様のものを使うのかジャニス様のものを使うか決まっていますかね。もしジャニス様のものを使うのでしたら準備し直さないといけませんからね」

 それを聞いたミルフェは少し考えると、改めて同じ事をジャニスに聞き直した。

「とりあえずジャンヌで入った方がいいとは思うのですが、どうしますか」

「私もジャンヌでかまわないと思うわ。もしジャニスの入市記録が必要でも、一回ジャンヌで出てから改めてジャニスで入り直せばいい事だしね」

 ジャンヌの答えを聞いたミルフェはアスティに、

「それじゃジャンヌの方を使うという事で、他の皆さんにも伝えていただけますか」

 と言うと、馬車の外に降りて御者台のディノンの横に座り直した。

「あれ、どうしましたミルフェさん」

「ん、ディノン君にちょっと相談事」

 ミルフェはそこまで言うと残りはディノンに耳打ちした。

「ジャニス様には、今のところ内緒でね。ちょっとあの子の興味を別の所に引いておくから」

「はいいいですよ、私にできる事でしたら。何ですか」

 ディノンは耳打ちを聞かなかったかのような振りでミルフェに返事を返した。

「それじゃこの小休止の内にあの袋をこっちに持ってきて欲しいんだけど」

「ええ、お安いご用ですよ。じゃちょっと行って来ます」

 そう言うとディノンは、御者台から飛び降りると、荷駄の馬車の方に向かった。それを見送ったミルフェは幌の中のジャニスに向かって言った。

「ジャニ…じゃなかったジャンヌ様、ちょっといいですか」

「何、ミルフェ」

 ジャニスは幌の中から答えた。

「今、例の袋をディノン君に取りに行ってもらったから、王都の中に入る前にいるものを選んでおいてくれないかしら」

「え、どうしたの。ずいぶんせわしないのね」

 それを聞いたミルフェはにっこりと笑うと、

「でも、もう今晩から出かけるんじゃないんですか。お屋敷に着いたら多分夜になってますよ。それから用意をしても今晩は厳しいのでは」

 と、指摘した。ジャニスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに納得して答えた。

「う。ま、まあそう言えばそうね。了解したわ」

 タイミングよくそこにディノンが戻ってきた。ディノンは幌の後ろから袋を中に入れると御者台に座り直した。

「で、ミルフェさん、内密の話って言うのは何ですか」

「あの子、実は今晩からもう出歩く気満々なのよ。その上、今日は私が屋敷の雑務で一緒についていけそうにないのよね」

 小声で話し合うディノンとミルフェ。

「つまり私に、今晩のお目付役を振る、と言うわけですか。ま、仕方ないですかね。もちろん目立たない方がいいんですよね」

「ええそうね。まあ、半年前までも結構夜遊びはしていたから、どこが危ないって言うのはわかってると思うんだけど、今あの事件が起きてるから」

 ミルフェが連続行方不明事件について言及すると、ディノンも答えていった。

「若者が多いってだけで、無作為に近いって聞いてますし、巻き込まれないとも限りませんからね」

「ま、何しに王都に来たんだか忘れてなければ、わざわざ首突っこみにまでは行かないと思うんだけど」

そう言うミルフェの言葉に、即座に切り返すディノン。

「首突っ込んだ後に思い出すのに銀貨一枚」

「賭にならないわ」

 ミルフェは深いため息とともに、幌の中を見遣るのだった。

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