act.26

「まあ、こんなところかしらね」

 結局ジャニスの準備は出発直前まで長引いていた。ドレスや生活必需品などは昨晩ミルフェが手際よく荷造りを終えてしまっていたが、それ以外のもの、お忍び用の変装道具一式であるとか、その他本来なら不必要なものは本人の秘密袋にごっちゃに詰め込まれており、それをミルフェが片づける、ジャニスがまた入れ替えるということを朝から繰り返していたからだった。

「始末がついたのでしたら、すぐに荷駄の方に積んでくださいね。荷物はそれが最後ですから」

 ミルフェは、その一抱えもある秘密袋をジャニスから受け取ると、旅装でそばに待機していたディノンに、

「悪いけど、これお願いできるかしら。例のあれとかも入ってるし下手な人には任せられないから」

 といって、手渡した。ディノンの方も心得たもので、こちらは軽々と持ち上げると、

「ええ、たぶん王都につくまではさわることもないと思いますから、目立たなそうなところに積んでおきますね。それとそろそろ出発だから準備の方はどうか聞いてくれって言われたんですけど、ジャニス様の方は大丈夫ですか」

 と、尋ね返した。ミルフェの方も、

「大丈夫よ。あの娘もこんなお忍びみたいな格好で旅行をするなんて経験ないし、ちょっとはしゃいでるけど準備は整えてあるわ」

 そう答えた。

「それでは私はアスティさんの方に準備できたと伝えておきますね。じゃこれは任せておいてください」

 ディノンはそういってジャニスの秘密袋を持って荷駄の準備をしている一角へと去っていった。

「それじゃ、ジャニス様も馬車の方に参りましょう」

「違うでしょミルフェ。私はデサの豪商の娘ジャンヌでしょ。今からならしておかないといざというときぼろが出るわよ」

 うれしそうにミルフェに注意をするジャニス。十分に豪華ではあるがいつもより庶民的なドレスで、髪も結い上げていない。体裁をつけずにザインたちと遊び回っていた頃の感覚に戻っている様にも見えた。

「はいはい、そうでしたねジャンヌ様。父親の代理でエルドナ王都に取引の確認に行く建前で、実は遊びに行くお嬢様って設定でしたね。それにしても屋敷の中から始めることはないでしょうに」

「それはそうなんだけど、5日間だけとはいえお姫様を休業できると思うと浮かれちゃってね」

「いいですけど、出発の挨拶の時くらいは戻してくださいね」

「それくらいはわかってるわ。あ、ディノンが戻ってきたわね、そろそろ行きましょう」

 そういいつつ馬車の用意してある正門へ歩き始めるジャニスを見て、無事に王都までつけるのかしらと、ため息をつくミルフェであった。


「それでは皆様方行って参ります。リュシドー家の娘としてマインスターの家の方々に失礼にならぬよう努めて参りますわ」

 門の前に見送りに出ていた家の人間に、猫を二枚ほどかぶった挨拶をして馬車の中に引っ込んだジャニスは、大きくのびをしてつぶやいた。

「さて5日間気楽なお嬢様生活だわ」

 馬車といっても街乗りの箱馬車ではなく、長距離移動用の幌馬車である。ある程度体裁はつけてあると言ってもやはり揺れる。

「さすがに緩衝材が少ないから優雅にとは行かないわね」

「ジャニ……じゃないジャンヌ様、さすがにこの揺れ方のうちから文句を言うのは贅沢というものでは。大体まだ街中ですよ、大扉を出たら石畳があるだけましみたいな道なんですから」

 グチっぽく言ったジャニスに御者台からディノンがつっこむ。小器用なことにディノンはたいていのことはそつなくこなすことができる。馬車の扱いもそのうちの一つだった。他に読み書きはもちろんとして乗馬も出来、剣術に至っては警衛隊の面子に混じってもかなり上位にいるほどの腕前であった。まあどれもこれもザインに引っ張り回された少年時代に鍛えられたものだったのだが。

 ともあれ、ジャニス一行は馬車を4台連ねて王都への旅を開始した。


「お、ごくろうさん。今日は荷物だね」

 リュシドー邸裏門、腹具合のまともになったゲルティス氏が、ポーターから一つの荷物を受け取っていた。

「あれ、あんたユーペインさんところの配達だよな。この辺はザインの奴の担当じゃなかったのか?」

 それを聞いたポーターはため息をつくと、

「ああ、そうなんだけどな、なんかザインの奴が急用でどっか街の外に出かけちまったらしくてな、そのせいで担当区域が変更になったんだ。その上今日は昨日届かなかった街の外からの荷物が山のように積み上がってて、もう一回くらい事務所に戻んないといけないんだよ。じゃそれよろしくな」

 と言って早足で去っていった。

「ま、ご苦労なこったな。これは預かっとくよ。えーとジャニス様宛に王都の誰かからだな。壊れ物で内容は香水って書いてあるな。崇拝者からの贈り物だな。残念だったな、当のジャニス様はさっきそっちにいっちまったよ。こいつはシュテイン殿にでも預かっていてもらうか」

 そういってゲルティス氏はその荷物を無造作に棚にのせた。こうして王都の薬種店から個人名で密送されてきた魔法薬は彼女の手にまで届くことはなかったのだった。


 それでは前日に届いた手荷物というのはいったい何だったのだろうか。未だ謎の手荷物はジャニスの秘密袋の中で開封される時を待っていた。

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