act.20
「おう、来たなジャニス」
書斎では父親のリュシドー伯リンドがソファに座っていた。
「お父様、お呼びと聞きましたが、何のご用ですか」
中くらいの猫をかぶりつつジャニスが尋ねる。
「実は、突然ですまないのだが、お前の王都への出発が明日の夕方になりそうなのでな、それを伝えておこうと思って呼んだのだ」
「2、3日後と聞いてましたけど、何かあったのですか」
「いや、突然私にデサ行きの用ができてしまってな、そのために立ててあった警備と随員の予定が狂ってしまったのだ。そこで、いろいろ動かした結果、門衛から何人か付いていってもらう事になった」
ジャニスはしおらしげな表情で、
「それは、仕方ありませんね。で、どなたが一緒に行くことになりましたの?」
と聞いた。伯爵は髭をひねると言った。
「警衛隊からシルバ、ユーリア。女官はいつも通りミルフェ。あとは門衛のアスティ、サイ、ディノンだ。旅程の手配はアスティに取ってもらうことにした。彼も旅慣れているし任せても大丈夫だろう。それでも余裕を持つため一日出発を早めることにしたのだ」
「それでは、マリオ達家政室の方は今回は一緒ではないのですね」
ジャニスは、苦手にしている実直な文官の名前をあえて挙げた。彼女が立てた脱走計画の最大の壁になるはずの青年だった。以前から口うるさかったのだが、縁談の話が出たここ1、2ヶ月は輪をかけて厳しい。
「残念だがそういうことだ。彼らはデサでの私の用事にどうしても必要なのだよ。私も彼らがついていけば安心できるのだがな」
「はい、あの方達の手配が期待できないと少し不安ですけど。お父様、お話はそれだけですか」
内心ほくそ笑みながら、ジャニスは殊勝に答えた。
「うむ、私は明朝デサに発つので見送りに立てぬが、マインスター殿とイスカリス君に失礼のないようにな。お前のことだ、そんなに心配はしておらぬがな」
「はいお父様。ご忠告、心に留めておきますわ。それでは私は今晩のうちに用意を調えてしまった方がいいみたいですね。ではお父様、おやすみなさいませ」
そう言いおいて書斎を退出したジャニスだったが、廊下に出た瞬間、控えていたミルフェに気付き、声をかけた。
「あ、ミルフェ。ちょっと忙しくなりそうよ」
かぶっていた猫は、どうやらあっという間に駆け去っていったようだ。
「どうされましたお嬢様。口元がほころんでらっしゃいますが」
「あなたにもすぐに話があると思うんだけど、王都への出発が明日の夕方になったの。その上今回マリオがついてこないんですって」
「あら、それはせわしないですね。それでは伯爵様の話が終わったらお部屋の方に伺わせていただきます。荷造りの方はそれまで待っていてくださいね。お嬢様に任せたら倍の時間がかかってしまいますから」
ミルフェの軽口にふくれっ面で返すジャニス。
「倍はひどくない?。まあ、整理整頓が不得意なのは認めるけどさ」
ミルフェはそれについてのコメントはあえて行わず、さらっと話題を変えた。
「それと、マリオ殿がついていらっしゃらないのでしたら、今日届いた薬は使わないのですか」
「それなのよ。まだ箱も開けてないのにいきなり必要なくなっちゃったものね。ま、一応持っていくだけはしようと思ってるけど、荷物の量次第かしらね」
「まあ、詳しい話は後ほど。私は女官部屋の方に戻りますね。もしかすると呼び出しが来てるかもしれませんから」
「そうね、また後でね」
言い残して、ジャニスは自室へ戻っていった。その背中に一礼するとミルフェも逆方向へ歩き出した。
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