act.8
「まったく、逃げ口上だけはレベルアップしてやがるな。さて、と」
ザインはマーティンが姿を消したのを見届けると、まだ呆然としたままの少女に向き直ってこういった。
「腹立ちが収まらないようだったら、俺のことを遠慮なく殴ってくれ。君の喧嘩を横取りしたみたいな形になったしな」
少女は一瞬ザインが何をいっているのか判らないようだったが、我に返ったかのようにザインに尋ね返した。
「なぜ私が貴公を殴る必要があるのだ。半ば助けてもらったような物でさえあるのに」
「別に気が済んでるのなら、問題ないんだけどね、中途半端な喧嘩って結構もやもやが残っちゃうだろ。そういう時って何かにぶつけとくとすっきりするもんだぜ」
そういうとザインは自然体で身構えた。それを聞いた少女は納得したかのように肯き、肉食獣のような笑みを浮かべ言った。
「おもしろいことを言う奴だな。だが一理ある。確かにもやもやも残っていることだし、遠慮なく行かせてもらおう」
そういうや否や、杖を横に置いた少女は切れ味の鋭いボディアッパーをザインの腹にたたき込んだ。昼食が逆流しそうになるのをかろうじて堪えるザイン。
「OK、いいパンチだ」
引きつり気味の笑みを浮かべ、親指を上に立てるザインだったが、パンチが足に来たのか、がくっとしりもちをついてしまった。
「大丈夫か、ザイン・ストラトス殿」
心配げにのぞき込む少女。突然フルネームを呼ばれていぶかしむザインだったが、先ほどのマーティンとの会話中に名前を呼ばれていたのを思い出しニヤリとした。どうやら名前を覚えてもらえる位には印象づけたようだった。
「ちょっと効いたけど大丈夫だよ。それと俺のことはザインでいい」
起きあがりつつそう言ったザインは、少女を見つめるとこう続けた。
「で、もしよかったら君の名前も教えてくれないかい」
少女は少し逡巡したが、はっきりとした声で言った。
「故有って本名を名乗ることは出来ないが、私のことはアイスと呼んで欲しい。一番呼ばれ慣れている愛称だ」
「アイス、それじゃそう呼ばせてもらうよ。ちょっとミスマッチな感じもするけどすてきな名前だ」
ザインがそういうと、アイスは照れとも言い難い微妙な表情をして返した。
「そういってもらえるのは嬉しいが、私の名前など誉めても何も出ないぞ」
いつの間にか周囲の野次馬達は散り、辺りにはいつもの喧噪が戻ってきていた。アイスはザインに一撃をくれる際に脇にどかしていた杖を手にすると、いつもの指定席に腰掛けた。
しかし、ザインがさも当たり前のように隣に腰掛けると、アイスは珍しい物を見たかの様な表情でザインに尋ねた。
「横にいても私はただ座っているだけだぞ、ザイン。なぜ私につき合うような真似をするのだ。お前はそんなに暇なのか」
「暇かと尋ねられれば、今日は暇だと答えるしかないんだけどね。なぜ君につき合おうとするのかについては、君の事がもっと知りたいからってのは答えにならないかな」
「私の事をか?特に変わったところはないと思うし、そう話すこともないと思うのだが」
自分が周囲の人間にどれだけ奇異の目で見られているのか全く気がついていない様子で、アイスはさらりと流した。
『……うーん、アイスってもしかして天然?』
ザインは口の中だけでそうツッコミを入れると、改めてアイスに尋ね直した。
「じゃあさ、アイスはここで何をしてるんだい。ひと月も前から毎日ここで座ってるみたいだけど」
「私がひと月ほど前からこの街にいたことなど、よく知っていたな」
アイスはザインの質問をはぐらかすように、尋ね返した。
「それは、この辺に店を出している連中なら誰でも知ってるだろ。でも俺は多分アイスが初めてこの場所に来たときに会ってる」
ザインがそう言うと、そのせりふに興味を引かれたかのようにアイスは続けて質問してきた。
「ザイン、それは正確にはいつの事だか覚えているか」
「前の新月の夜が明けた朝だから、ちょうど月の一巡り前か。昨日も新月だったし。ちょうどその日朝食に足りない材料を買いに来てて、この場所でアイスを見たんだ。その時はフードをかぶってなかったよね」
「……そうか。導きというのもあるかも知れぬな」
ザインの返答を聞いたアイスは少しの間押し黙ったが、意を決したようにザインに語りだした。
自分がなぜここにいて、こんな事をしているのかを。
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