act.7
「もう午後便の荷物、仕分けしてるんだろうな。こりゃ休んでる暇無いかもな」
自分の家宛の手紙は仕事帰りに持って帰ればいいだろうと、腰の鞄にしまい込んだザインは、食事もとらずに全速力でユーペイン通信局の事務所に駆け戻った。
「すいませーん、遅れました」
だが予想に反して仕分け室の方はがらんとしており、親方が手持ちぶさたげに煙草をくゆらせていた。
「四半時くらい遅刻のようだなザイン。だがな見たとおり午後便の荷車がまだ入ってきてないのだよ。その様子だと駆け戻ってきたようだし、しばらく休んでいていいからな」
それを聞いて気が抜けたのか、思わず床にへたり込んでしまうザインだった。
一時後、事務所の中には手持ちぶさたな人間の群が出来ていた。ザインの同僚のポーターや荷の仕分け人たちが次々に戻ってきたり、午後から仕事の連中がやってきては待機状態になっていくためだった。
「そろそろ集積所に確認に行ったアダムが戻る頃だな」
親方がそう言ったのとタイミングを合わせたかのように、アダムという名のポーターが駆け戻ってきた。
「親方、やっぱり事故みたいですよ。外便が全く来てませんでした。で、待ってても埒があかないからって、内便の荷車動かすように手配しときました。そっちはもうじきここに来ると思います」
外便というのは街の外から集荷される荷物のことで、内便は街内の荷物のことだった。
親方は手のひらで顔を叩くと、事務所にいる人数を数えて宣言した。
「午前便で配達の仕事をやった奴は、今日はあがっていいぜ。今日の分が明日来るとしたら明日は厳しそうだしな」
ザインを含めたおよそ半数の人間はそれを聞いて、のびをしたり大きくため息をついたりしてその場から散っていった。
いきなり予定が空いてしまったザインだったが、暇になったらなったでやりたいことはたくさんあったので、むしろ喜んで事務所をあとにした。
しかし、事務所を出て3歩も歩かないうちに、自分が今何をしなければならないのかに気付くことになった。
「……何はともあれ、飯食わなきゃ」
特大の腹の虫の音とともに、職人向けの屋台飯屋が集まる一角にふらふらと歩いていくザインだった。
「ふう、満腹ー」
店の品はともかく、安くて量が多くてそこそこいける味の屋台で腹ごしらえをしたザインは、ふと思い立って、もう一度噴水の少女の姿を見に中央広場へ向かうことにした。
普段はそこを抜けると噴水が見えるはずの路地から現れたザインは、そこで思いも寄らない情景を目にすることになった。
「なんだ、あの人だかりは」
いつもであれば切り取ったように静かなその場所は、その時に限って野次馬でごった返していた。何かが起きているようだったが、人がじゃまで何も見えない。ザインは人混みをかき分けると野次馬の間から顔を出した。
「……わ、私はそのようなつもりで声をかけたわけではないのだが……」
「それではどういうつもりであったか、いってみるが良い。貴殿の物の言い方は街娼か物乞いに対する物としか聞きようがなかったが」
普段は一言も口を利かないあの少女が、一人の貴族の青年に毅然と反論していた。貴族の後ろには取り巻きと思われる同い年位の男が2人いたが、気圧されて口を挟むことすら出来ないようだった。
三人ともザインの見知った顔だった、それもできれば顔を合わせたくない類の。
「ちょっと聞きますが、あのバカ貴族何やらかしたんですか」
ザインは、隣にいた野次馬の男に尋ねた。
「何だにーちゃん、見てなかったのか。あのものすごい杖の技の冴えを。あの貴族の兄ちゃんが、お嬢ちゃんに声かけたんだけどな、よりにもよっていきなり『お前いくら欲しいのだ』とかやっちまってな、そしたらあの娘、側にあった杖の石突きで兄ちゃんの喉の急所にぴたーっと」
ザインは頭を抱えた。前からバカだバカだとは思っていたが、そこまで常識のない奴だったとは思ってもいなかったのだ。子供の頃から何かと角をつき合わせていた相手でもあり、行動パターンは読めているつもりだったのだが。
眼前では言葉に詰まった貴族の青年が顔を真っ赤にして、今にも腰の物に手を掛けかねない様子になっていた。それを察したザインはつと青年の前に歩み出た。
「おいバカ貴族、街中で刃傷沙汰か。アリストクラート家の名誉も何も有ったもんじゃねーな」
怒りの矛先を自分に向けるように、あえてバカにした口調で言い放つザイン。
「な、貴様ザイン・ストラトス。いつからそこに……。それと私はバカ貴族ではない、マーティン・フォン・アリストクラートだ」
突然目の前に現れたザインに気付き、驚いた様子で聞き返す、マーティンと名乗った青年。
「さっきからだよ、バカ貴族。何はどうあれお前が全面的に悪い。あの子に謝罪してさっさと失せた方が自分のためだぜ」
そのとき、少女がザインに声を掛けた。
「貴公、これは私と奴の問題だ、かまわないでくれぬか」
透き通ったきれいな声だったが、年頃の少女とは思えないほど、硬質な口調だった。
武人の家系でも娘にここまで堅い言葉を教えることは滅多にない位だった。確かに言っていることは正論なのだが、このまま頭に血が上っているマーティンの相手をさせたらどんな状況になるか、ザインには予想もつかなかった。下手をしたら本当に刃傷沙汰だ。
それならば、子供時分からマーティンをあしらうのに慣れきっている自分の方に矛先を向けさせておくべきだと考えたザインは、あえて少女の口調に合わせて堅い感じで少女を制した。
「気に障られるかもしれませんけど、俺に任せてもらえませんか。コイツに関わると後々やっかいですから。それに俺はコイツの相手は慣れていますからね」
少女は何かを言いかけたが、「まあいいだろう」と言うと素直に引き下がった。
ザインはマーティンの方に向き直ると先程の罵りの続きを始めた。
「も一度言うぞバカ貴族。見てた人たちの話じゃ、お前官憲に突き出されても文句言えないようなことを彼女にしたそうだな」
「な、何を言うか。私はそこの女性に貴族として誰何しただけだ」
突っ張るマーティン。だがザインは容赦なく続けた。
「そーか、貴族としての誰何ってのは値段交渉からはいる物だったのか。それは知らなかったよ。で、怒った彼女に気圧されて、街中で抜刀かよ。そこまでやったら貴族といえども立派な犯罪者だよな」
「む、むぐぐ」
さすがにこうはっきり自分のしたことを突きつけられては、いくら貴族だとはいえども、いや貴族だからこそ街人の手前立場がない。それを感じたのかマーティンは怒りに引きつりそうになる表情を押さえ込んで、少女に向かって優雅に謝罪した。
「ご婦人、先程は私の勘違いとはいえ大変失礼なことをしてしまったようだ。お許し願えないだろうか。私マーティン・フォン・アリストクラート、いかようにもお詫び申し上げる」
あまりの態度の急変についていけず、少女が呆然として頭を2、3回振ると、それを見たマーティンはすかさず、
「おお、気にしていないとおっしゃる。何と心の広い。このマーティン、このように慈悲深き方にとんだ暴言を吐いてしまった。海よりも深く反省いたしておりますぞ。街の皆も見苦しいところを見せてしまった、しからば御免」
と一気に言い切ると、風のように姿を消してしまった。取り巻き達も慌てて後を追う。
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