第4話

 もう日も落ち、通りには明かりがつき始めていた。

 僕も尾上さんも、しばらく無言でいた。尾上さんを背負っているおかげで、彼女の顔を見ずにいられたのがありがたかった。正直に言って、どんな顔をしていいかさっぱりわからなかったからだ。たぶん、尾上さんのほうもそうだったんじゃないだろうか。

 沈黙が続くのも、それはそれできついものがある。だから、僕は思い切って彼女に話しかける。

「さっきの人みたいなのって、他にもたくさんいるのかな」

「わからない。そもそも、さっきの人が本当にお父さんの実験のせいでああなったのかも、本当はわからないの」

「そうなんだ」

「でも、信じたくはないんだけど……お父さんの実験自体は、お父さんが死んだあとも引き継がれて続いている、って話も聞いた」

「なにそれ」

 それが本当だとしたら、ひどすぎる話だ。非道な実験と言って追い詰めておきながら、その成果自体は手に入れたかったということなのだろうか。キタナイオトナ、のお手本みたいな話だ。

「逆に、組織はもうなくなってしまった、だからは自由を謳歌できている、って話も聞いたことがある。実験の一環として、わざと自由にさせられているって言われたこともある」

「言われたことがあるって、誰から?」

「……あたしが、前に襲われた相手」

 あー、待ってくれ。ということはもしかして、今日みたいなことが今まで何度もあったってことなのか? そしてそのたびに、尾上さんは今日みたいに傷ついて。

 だめだ。すごく、腹が立ってきた。気を紛らわすために、尾上さんに問いをぶつけていく。声がとげとげしくならないよう、気をつけながら。

「その人たち、お父さんにひどい目にあわされた復讐のために尾上さんの命を狙っている……とかなのかな」

「それもわからない。でも、そうは思いたくない」

 そりゃそうだ。

 それにしても、人造狼女だなんて。そんなもの存在するとは思ってもみなかった。今日この目で見なければ、絶対に信じられなかっただろう。

 見た今でも、正直に言って半信半疑だけど。

「今日みたいなことって、きっとこれからも起きるんだよね? さっきの、その、狼女の人もまた襲ってくるかもしれないんだよね?」

 僕の問いかけに、尾上さんが強く反応した。首に回された両手に、さらに力がこもる。ちょっと苦しいぞ。

「だいぶひどい目に合わせちゃったから、懲りてもう襲ってこないかもしれない。仕返しに来るかもしれない……ごめん、やっぱりわからない」

「そうかあ。まあ、そうなんだろうね」

「……隠しててごめん。どうしても言えなかった」

「そりゃそうだよ」

「ごめん。本当にごめんなさい。平井君だけは、絶対に絶対に巻き込みたくなかったのに……ええと、だからね平井君」

「ちょっと待って」

 涙声で何か言いかけた尾上さんをさえぎりつつ、僕はちらりと腕時計を見た。

 日付は12月2日。

 よし。僕はこっそりと深呼吸をした。

「……じゃあ尾上さん、クリスマスにデートしようか」

「……!?」

 尾上さんの両手に、この上ない力がこもった。ちょ、チョークチョーク!

「な、ななな、なななななんで!? なんでこの話の流れでそうなるの?」

「……!」

 僕は何も言えず、尾上さんの腕をぺしぺしと叩く。気づいた尾上さんがようやく腕の力を抜いてくれた。

「……し、死ぬかと思った」

「ご、ごめん! でも!」

 うん、それはそうだよね。いくらなんでも唐突すぎるよね。

「こっちこそ、いきなりごめん。さり気なくと思いすぎて、かえって不自然になっちゃった」

「ええ……」

 僕は、わざとらしく咳払いをして話し出す。

「僕はね、尾上さん。尾上さんと話したり一緒に出かけたりすること、めちゃめちゃ楽しいと思ってるんだ。それはもう、これ以上楽しいことは無いってくらい」

「え、え?」

「尾上さんは自分の顔の怖さを気にしているみたいだけど、僕は全然平気だ。っていうか、尾上さんが怖い顔をしているときって、ようするにめちゃめちゃ真剣なとき、必死なときだよね。それがわかったから、怖がる必要なくなっちゃった。まあ、もともとそこまで怖いとは思っていなかったけど」

 緊張のあまり早口になりかけるのを、必死で抑える。

「え、えっと」

「ええと、つまり、僕が言いたいのはね……尾上さんのことが好きってことだ!」

「!?」

 一瞬で首がしまる。光り輝く草原と、川が見える。あれはそう、きっと渡っちゃいけない川だ。僕は必死で彼女の腕を叩いた。

「な、なに? 急に何なの平井くん!?」

 さあ正念場だ。気合を入れろ平井由秋。

「……尾上さんはさっき多分、僕を気づかって、もう僕と一緒に行動するのはやめたほうがいい、なんてことを言おうとしたんじゃない? 心配してくれてありがとう尾上さん。だけど僕はね尾上さん、そんなことのために好きで好きでたまらない子と一緒にいられなくなるなんて、冗談じゃないって思ってるんだ。本気だよ尾上さん。だから今度のクリスマス、ぜひ僕とデートしてくれませんか。その、か、彼女として」

 ……ああ、言った。言ってしまった。

 沈黙。

 心臓の鼓動がうるさい。背中を通して、尾上さんにも伝わっていやしないか心配になる。僕は耳を澄ます。背中の尾上さんの息遣いだけが聞こえてくる。

 長い長い沈黙。


「……平井くん。耳まで真っ赤だね」

 耳元でそう囁かれ、僕は尾上さんを振り落としそうになってしまった。


「あたしみたいなの、どこがいいの」

「全部」

 照れ隠しに、ぶっきらぼうに答えてしまった。背中から尾上さんの、くすくすと笑う声が聞こえる。

「うそ。だってあたし、化け物だよ」

「ちがう。僕を助けようとしてくれた、命の恩人だ」

「んー。じゃあ、感謝の気持ちを好意と勘違いしてるとか?」

「それも違う。別に今日、いきなり好きになったわけじゃない」

 尾上さんの両手に、また力がこもった。だけどそれは、あくまで柔らかく、まるで僕を抱きしめてくれるかのような感じだった。


「ありがとう平井くん。嬉しいよ。本当に嬉しい。クリスマスデート、ぜひよろしくおねがいします」


 僕は叫んだ。

 嬉しさのあまり、彼女を振り落とさないようにするのに必死だった。あと、ニヤける口元を押さえるのにも。


 こうして僕と尾上さんとの交際が始まった。結局、続いたのはクリスマスまでのたった3週間足らずだったが。

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