第2話

 交流開始から3か月ほどたった、ある日の放課後、僕らは二人で書店に向かった。

 このころには、僕たち二人だけでいろいろなところに行くことも多くなっていた。そうなると、まあ、我ながらすごく単純な気もするけれど、要するに、僕の中の尾上さんへの好意はどんどん膨れ上がっていっていたわけで。

 でも、今思い返しても、これはしょうがないと思う。しょうがないよね。

 だって尾上さんは、僕にとって最高の女の子だったのだから。

 趣味が合う。話が合う。タイプが合う。息も合う。

 確かに顔は怖い。とはいえ、そのころの僕は尾上さんの怖い顔にだいぶ慣れてきていた。まあ確かに、何かの拍子に「ひっ」となってしまうことはあったけど。でもそういうのは必死の思いで隠し通したので、尾上さんにバレることはなかった。

 とにかく、そんなわけで僕のほうは「どのタイミングで告白しようか」ぐらいには気持ちがしまっていた(尾上さんがどうだったかはわからない)。

 15分後、目当ての品を手に入れた僕らは、フードコートでたこ焼きをシェアしながら戦利品を堪能しあっていた。

「そういえば」

 僕はふと、そのとき心に浮かんだ疑問を彼女にぶつけてみた。

「尾上さんは生き物の写真や動画は大好きだけど、本物の動物には近づこうとしていないよね。前にふれあい動物園に誘ったときも断られちゃったし……どうして?」

 尾上さんは一瞬、軽く驚くような顔を見せた。そしてすぐさま、例の怖い怖い顔で僕の顔を睨んで……いや、じっと見つめてきた。

「なんでそんなこと聞くの」

「え? いや、なんとなくだけど。言いたくないなら別にいいよ」

 尾上さんの顔がますます険しさを増していく。隣のテーブルに座っていたカップルが、短い悲鳴をあげるのが聞こえた。

 長い長い時間がたった。

 そう感じただけで、実際には大した時間じゃなかったかもしれない。時計を見て確かめたわけじゃないし。

「……逃げられるの」

 ようやくそう言った尾上さんは、怖い顔のまま真っ赤になっていく。

「え?」

「小さい頃から、私が動物に近づくとみんな逃げていくの。犬も、猫も、小鳥も」

「え……」

「ふれあいコーナーのウサギも、モルモットも逃げる。トラにも背を向けられたことがある」

 ええ……。

「そんなことが数え切れないほどあって、それで」

 ああ、なるほど。

 人は自分には手の届かないものに、強い憧れを抱くものだもんな。

「だから今は写真でがまんしてる。だけど、いつかあたしは心ゆくまでモフモフを抱きしめてやるんだ。モフモフに顔をうずめて、胸いっぱいモフモフを吸うんだ」

 吸うんだ。

「うーん……夢、叶うといいね」

 僕が何気なくそう言うと、彼女は意外そうな顔をした。そしてすぐさま怖い顔で僕をにら……見つめてくる。ちょっと恥ずかしい。

「な、なに?」

「……笑わないの?」

「え? 笑う? なんで」

 尾上さんの顔が、ますます凶悪さを増していく。

「……あたしみたいな顔の女が『カワイイものが好きなんです~』とか言ってたら、普通は笑うもんじゃないの?」

「いや、笑わないよ。だって動物好きに顔は関係ないし」

 僕がすぐにそう答えると、尾上さんは大きく口を開けた。牙のような八重歯が顔をのぞかせていた。

「……そう、なのかな」

「当たり前だよ」

「でも今まで、みんな」

「僕は笑わない」

 尾上さんの境遇に同情こそすれ、人の真剣な悩みを笑い飛ばすなんてできない。尾上さんにそう伝えると、彼女は例の怖い顔で、僕の目をじっと覗き込んできた。

 たっぷりとそうしたあとで、彼女は視線をそらし、小さな声で「ありがとう」と言った。

 なんだか、居心地が微妙に悪い時間が生まれていた。

 僕は救いを求めてフードコートを見回す。ちょうどそのとき、店内に設置されていたモニターにはワイドショーが映し出されていた。その日のスポーツ新聞の記事を紹介するコーナーのようだった。キャスターが、記事の見出しを読み上げる。

『犯人は狼男?』

「おおかみおとこ」

 僕がそうつぶやくと、尾上さんが大げさなほどビクリと反応した。


 その記事は、最近この街で起きている連続通り魔事件を扱ったものだった。ニュースでは被害者は五人。かなり多い。だけど嘘か本当か、表沙汰になっていない数まで含めるとさらに数は増えるのだという。犯人は手がかりも残さず逃走中。学校でも注意喚起のプリントが配られていた。 

 キャスターが記事を紹介していた。なんでも、最後の被害者が襲われている瞬間を、ある店の監視カメラが偶然とらえていたらしい。

 店員がその動画を動画サイトにアップし、ネットの片隅でほんの少し話題になり、それを胡散臭い記事で有名な某新聞がネタにした……という流れなのだそうだ。 

 半笑いのキャスターの合図で、動画が流れ始めた。画質はかなり悪い。画面の中央を人が歩いているが、男か女かすらはっきりしない。

 その人を、背後から黒い影が襲った。

 それは「黒い影」としか言いようのない何かだった。影は風のように画面を横切り、消え去った後には地面に倒れる人だけが残されていた。

 ……何なんだ、今のは。

「ねえ尾上さん、今の見た?」

 僕は尾上さんに話しかけた。返事はない。尾上さんは食い入るように画面を見つめていた。今まで見せたことのないような顔で。

 僕はなにかの本に出てきた、『凶相』という言葉を思い出していた。

 ニュースでは動画が繰り返し、スローで再生されていた。黒い影はかなりのスピードで動いているんだろう。スローでもブレブレで、姿はよくわからない。一時停止した画像でも、正直何が映っているのかさっぱりわからなかった。

 キャスターが、静止画の黒い画像を指して言う。ほら、ここ。多分頭なんですけど、なんだか動物の耳のようなものがついているように見えませんか? それからほら、見てくださいよ、これどう見ても尻尾ですよ尻尾。だから、犯人の正体は現代に蘇った狼男ではないんか、なんてネットで噂になってるんですよ~。

 ……見えるかな?

 僕は目を凝らすが、正直「そう言われれば見えないこともなくはないかもしれない」程度でしかなかった。テレビでも案の定、コメンテーターのお笑い芸人から思い切りツッコまれていた。

 人が襲われてるんだし、笑い事じゃないような気がするけど。そう思いつつ僕は尾上さんを見た。尾上さんは相変わらずすごい顔で、画面を見つめ続けている。

 なんだと言うんだろう。狼男に興味でもあるとか。そう考えた僕の脳裏に、先程見えた彼女の八重歯が浮かんだ。鋭い、まるで牙のような。 

 牙。動物から逃げられる体質。怖い顔。

 えーと、つまり?

「……この黒い影って、もしかして尾上さんだったりするのかな」

 ……我ながら、バカバカしい質問をしたものだと思う。

「え?」

 だけど僕の言葉を聞いた尾上さんは、いつも以上の怖い顔で僕のほうを見た。彼女の顔を見慣れていたつもりの僕が、一瞬怯むほどの顔だった。

「そそそそそんなわけないあんなのがあたしなんてなんてこと言うの平井くんちがうちがうちがうちがうからあ!」

 尾上さんは両手をブンブン振り回しながらそう返してきた。

 今でも思う。僕はどう反応するのが正解だったのだろうか。

 とりあえず「そう」と言って笑っておいた。

 尾上さんも笑い返してきた。怖い顔のままで。

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