尾上月子は顔が怖い
タイラダでん
第1話
これはそういうお話だ。
出会いの話からだ。
彼女と僕は同じ高校に通っていた。だけど1年生のときはクラスも別、部活も別(彼女はバスケ部、僕は園芸部だ)で、接点など全くなかったのだ。
そんな彼女と親しくなったきっかけは、ある2冊の本だった。
梅雨時の静かな、だがひたすらに降り続く雨にも構わず、僕は高校近くの大型ショッピングモールに急いでいた。目当ては、ここの大型書店。ここに今日、僕が発売を心待ちにしていたものが入荷されているはずなのだ。
夕方ということもあり、買い物客は多い。人の波をかき分け、早足で急ぐ。書店にたどり着いた。そのまま目当てのコーナーへ。
そうだ。そこに、尾上月子がいたのだ。怖い怖い顔をした彼女が。
ひと目見た瞬間、彼女が尾上月子だと僕にはわかってしまった。なにせ彼女は、うちの高校では結構な有名人だったからだ。
噂に曰く「今年の一年に、めちゃくちゃ顔が怖い女がいるらしいぞ」。
「顔が怖い」の一点だけで話のネタにするのは、もはやイジメなのではないか。噂を聞いたとき、僕はそう思った。
ところが、いざ本人を目の前にしてみると……僕は後々、「なるほど、噂どおりだな」とそのとき思ってしまったことを彼女に告白、謝罪することとなる。
尾上月子は両手に一冊ずつ本を持ち、獣のような顔でそれらを睨んでいた。右手の本を睨み、左手の本を睨み、眉間にシワを寄せ、低く唸った。まるで天敵を威嚇するような、そんな声だった。
親子連れが通りかかった。子供のほうが尾上月子をちらと見て、石のように固まった。母親のほうは、急に立ち止まった娘に怪訝な顔を向け、続けて尾上月子の方を見て、同じように固まった。そのうち親子して小刻みに震えだした。尾上月子の顔は、それほどのものなのだ。
僕も固まっていた。彼女の顔を怖がっていたわけではない。違う理由でショックを受けていたからだ。
彼女が右手に持っていたのは写真集。タイトルを『いぬかわいい』という。そして左手のそれも写真集。タイトルを『ねこかわいい』という。
名は体を表す。シンプルな表題が表す事実は唯一つ。「この写真集にはワンちゃんやニャンちゃんの超カワイイ写真しか収録されていませんよ。それ以外に、なにか必要ですか?」ということだけである。そして何を隠そう、僕のお目当てとは、その写真集であった。
僕は尾上月子に近寄っていった。彼女は僕に全く気がついていないようだ。相変わらず恐ろしい顔で本を睨み、低い声で唸っている。僕は彼女の前の書棚を確認した。『いぬかわいい』も『ねこかわいい』も無い。つまり彼女が持っているのが最後の1冊、いや2冊というわけだ。
僕は盛大にため息をついた。だってそうだろう。お目当ての本を買いに来たら、最後の1冊を先に取られていて、しかもその相手がものすごく怖い顔をした女の子だというのだ。ため息をつく以外、どうしろというのか。
尾上月子は右手の『いぬかわいい』を棚に戻しかけてはやめ、今度は左手の『ねこかわいい』を棚に戻してはやめ……そんな動きを延々と繰り返していた。僕はもう一度ため息を付き、彼女に近づいた。
「尾上さん」
「みゃあ!?」
妙に可愛い悲鳴を上げて、尾上月子は思い切り狼狽した。振り回した『いぬかわいい』が僕の額に直撃した。痛い。
「わあ!? ご、ごめん!」
「別にいいよ。そんなことより」
僕は彼女の持つ『いぬかわいい』を指差す。
「どっちにするか、決まらない?」
「え……?」
彼女は不思議そうな顔で僕を見る。不思議そうな顔も怖い。
「なんで分かるの、あたしが迷ってるって」
……分からないとでも?
聞けば、彼女は1冊分の予算しか用意できなかったらしい。そこで現物を見て決めようとしたところ、どちらも本当に素晴らしすぎて、どうしても一つに決められなかった……のだそうだ。
まあ、気持ちはわかる。僕が同じ立場に追い込まれたなら、同じように悩んでしまっていたことだろう。もちろん、ごく普通の顔で。
だから僕は、彼女に提案をした。昔何かで読んだ、「オーオカサバキ」って発想だ。
「あのさ、尾上さん。僕と尾上さんで一冊ずつ買って、それをシェアしあうってのはどうかな」
「え?」
「尾上さんはどちらか一方に決められずに困っている。僕は2冊買える予算はあるけど、両方とも買う気はたった今なくしてしまった。だからシェア」
「ええと……その、正直言って、あたしは助かる、すごく助かる。でも」
「言いたいことはわかるよ。なんでわざわざそんなことを、っていうんでしょ」
「うん……なんで?」
それは、君のことがずっと前から気になっていたからだよ……なんて言えていたら良かったかもしれない。だが残念なことに、この時点の彼女は「やたら顔が怖いと噂の同級生」でしかなかった。
だから僕は正直に言った。
「そんな怖い顔して悩むくらい好きなんでしょ、動物。同じ動物好き……だよね? 動物好きとして、なんというか、そうしたほうがいいのかなあ、って思ったんだ」
それだけだよ。本当にそれだけ。そう付け足した。
それを聞いた尾上月子は……怖い顔のまま、口元に手を当てた。
「……あたし、そんなに、怖い顔、してた?」
真っ赤な顔をしながら、震える声で聞いてくる。
そんな彼女を目の当たりにした僕は、ほんのちょっとだけ、彼女をかわいいな、などと思ってしまった。
というか、やっぱり気にしていたのか。
「ええと、じゃあ、そういうことでよろしく。ああ、そうだ。僕は平井。平井由秋」
「あたしは尾上……あれ、そういや平井くん、だっけ。どうしてあたしの名前知ってたの」
そりゃあ、あなたは有名人ですからね、なんてことは口にしなかった。
こうして僕と尾上月子との交流が始まった。交際、ではなく交流だ。
ちなみに、結局彼女が『いぬかわいい』、僕が『ねこかわいい』を買うことにした。選択に意味はない。じゃんけんの結果だ。
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