泳げないプール 第11話

「それで? なんで美術部なの?」

 横並びに歩きながら、凛が訊いてくる。まだ凛には、「これから美術部に向かう」ということしか話していない。

「えっとね」

 どう話そうか、頭の中で考えをまとめる。十秒ほどでまとまって、わたしは話す。

「さっきの、スタート台の上にあった青い塗料ってさ。わたしはあれ、絵の具だと思ってるんだ」

 わたしたちは、校舎に向かって歩いている。もう、走る気にはならない。走る意味もないし。またじわりと太陽が顔を出し、またミンミンとセミが鳴き出した。この気が滅入る暑さの中、かけ声を揃えて活気良くランニングを敢行している運動部はどうかしている。水泳部はああいうトレーニングって、なかったな。顧問の眞鍋先生に感謝。

「……絵の具か」

 凛がはっとする。心なし声を殺して、

「もしかして、美術部の誰かがこぼしたってこと? だとすると犯人は、美術部員……?」

 遠慮がちに訊いてくる凛に、

「わたしはそう思ってる」

 前を見ながら、はっきり答える。

「美術部員がプールにいたって思う根拠は、他にもあるの」

 言いながら、スカートのポケットからさっき拾った絵の具を出す。ターコイズブルーの水彩絵の具だ。

「これが、プールの底に落ちてたんだよね」

 チューブタイプの絵の具が、わたしの手から凛の手に移る。

「へえ、これがね」

 と、小さい感想を漏らしている。

「あ、だからこれ拾うために、プールに降りたんだ。いきなりどうしちゃったのかと思ったわよ。沙希が暑さでやられちゃった! みたいな」

「やだ。そんなふうに思ってたの?」

 わたしは苦笑い。幸いにしてこれまでのところ、暑さでおかしくなってしまったという経験はない。クーラー、扇風機、冷蔵庫……文明の利器に感謝だね。……なんかわたし、さっきから感謝ばっかしてるな。

 体育館の前を通る。日陰に入った。シューズがフローリングを擦るキュキュという高い音や、バスケ部がドリブルをするドンドンという重い音が響いている。体育館の中って、風通しが悪いから熱気が充満しているんだろうなぁ……。室内競技の運動部を不憫に思いながらも、通り過ぎる。日向に出る。

 凛は絵の具を手に持ちながら、しげしげとそれを眺めて、

「ターコイズブルーか。綺麗な色。ターコイズって、トルコ石とも言うんだよね」

 トルコ石、か。なんかそんな宝石の名前、聞いたことある気がするかも。

「そうなの? そういや凛って、宝石とか詳しかったっけ?」

「ああ、そうじゃなくって」

 凛は笑って、かぶりを振る。

「トルコ石って、十二月の誕生石なの。それで知ってて」

「ああ……」

 納得して、ほんの少し笑う。凛、占い好きだもんなぁ。誕生石占いとか、前に教えてもらった覚えがある。どうりで、聞いたことある名前だと思った。ちなみにわたしは、占いはいい結果しか信じない。今朝の情報番組でやってた星占い、確かわたしのふたご座は……忘れた。あまり、いい結果じゃなかった気がする。

「はい、沙希」

「ん」

 犯人が落としたと思わしき絵の具が、わたしの手元に戻ってくる。

わたしはもう一度、それをポケットに入れる。少し、意識が占いの方に逸れちゃった。逸れている間に、わたしたちは昇降口の前にたどり着く。

 昇降口に入る際、それとなくいま来た方向を窺う。急にさっと動くような、怪しい人影は見当たらない。日向や梢あたりがついてくることもあると思ったけど……オーケー。尾行はなし、と。

 外の暑さから逃れて、少し楽になった。

 夏期講習の授業が終わってから、もう二十分近く経っていることもあって、さっきまで大勢の生徒たちが通っていた廊下は、いまは誰もいない。打って変わって、静けさに包まれている。これぞ、夏休みの校舎って感じ。野球部の威勢のいい声が、遠くに聞こえる。

 そして、上履きに履き替えたわたしたちの目の前にあるのは、さっき見たポスター。

タイトルは、『〜浜野高校美術部 夏の展覧会2006 開催のお知らせ〜』。それと、『夏かしい風景を、見に来ませんか』の、どことなく青春18きっぷのポスター感ある縦文字のキャッチコピー。

「あ、これ……」

 どうやらポスターの中のヒントに、凛も気づいたようだ。

「部長さんのコメントに、夏を題材にした絵画作品を展示する予定、ってあるけど……スイカ、花火、流しそうめんと続いて、プールもあるじゃん……!」

「そうなんだよね」

 わたしの口角が、自然と上がる。たぶん、ちょっと得意げに。

 ポスターの下部には、『スイカ、花火、流しそうめん、プール、夏祭り……と夏をテーマにした絵画作品を展示する予定です』という部長のコメントが記載されている。まさにさっき、プールサイドでわたしはこの文を思い出して、重要なヒントを得た。推理の土台となる、重大な情報だった。わたしは言う。

「美術部が題材にしたプールっていうのは、まさしくこの、浜野高校のプールなんだよ」

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