第6話-SideA こと座流星群

 時刻は十九時半。

 すでに自転車が入る校門は使えないし、駐輪場は閉鎖されているので、明菜は歩いて学校に向かった。

 この時間帯だと、三月のあの記憶が頭をかすめるが――人通りが多い場所を歩けば大丈夫だろう。

 実際、何事もなく学校に到着し――目的の人物を見つけることができた。


「こんばんは、夏輝君」

「こんばんは、明菜さん。でも、別にこんな早くに来なくてもよかったんだけど」


 確かに流星群が一番よく見えるのは深夜から明け方らしい。

 なので、その時間に来れば、という事なのだろうが、さすがにその時間は出歩くこと自体に問題がある。

 なら、ずっと学校にいた方がいい。


「うん、まあそれはそうなんだけどね。でも、夜の学校に泊まるって、ちょっとワクワクしない?」

「まあ、それは分かるけど。俺も泊まり込みは初めてだし。なので準備の勝手も分からないんだけどさ」

「そういえば、ごはんは?」

「俺は夜ご飯はまだだから持ってきてる。一応……二人分ある」

「一応私もコンビニで買ってきてるけど……」


 道中でおにぎりやサンドイッチ、ペットボトルのお茶などを買ってきている。

 彼の方は、普段持っていない大きなバッグを抱えていた。

 観測のための機材は全部準備室にあると言っていたから、今言っていた夜ご飯だろうか。


「仮眠は?」

「一応お昼寝はしたよ。起きたのは少し前だし」


 ほぼ徹夜になるから、と言われていたので昼過ぎから十八時頃まで寝ていた。

 起きた時に外が薄暗くて、感覚が少し混乱したくらいだ。

 その後、お風呂に入ってからここに来ている。


「じゃあまあ、行こうか」


 夏輝が校門のところにあるインターホンを押すと、ほどなくして星川先生の声がインターホンから聞こえてくる。


「二年三組、秋名夏輝です。今日、天体観測会のため宿泊申請してます」

「おぅ、来たか。待ってろ……」


 ピ、という音がした後、ガチャ、というロックが外れた音がする。

 ここの通用門は遠隔でロックを解除できるらしい。


「風邪をひくなよ。申請は二人だったな?」

「はい」「はい」

「俺は宿直室にいるから、何かあったら来い。じゃあ、観測頑張れ」


 男女の声がしたはずなのだが、いいのだろうか、とちょっと呆れてしまう。

 都合はいいが。


 そのまま通常は使うことのない職員用の入口でもう一度インターホンを鳴らして解錠してもらい、校舎内に入る。

 校舎内は非常灯があちこちに点灯しており、特に困ることはないが、それでも誰もいない夜の校舎、というのはある種独特の雰囲気があるように思えた。


「なんか夜の学校って……雰囲気あるよね」

「まあね。でも、去年の文化祭とかでは残らなかったの?」

「遅くまで残ってはいたけど、泊まり込みはしなかったし、それにあの時は人もいっぱいいたからね。こんなほぼ無人なんて、滅多になくない?」

「それは確かに」


 特に何かに遭遇することもなく、地学準備室に到着する。


 夏輝は昨日のうちに置いてあった椅子やテーブル、それに天体望遠鏡を持ち出した。


「まあ、メインの流星群は肉眼で見るから、今日こいつの出番はあまりないけどね」


 そうはいっても彼の両手はあっさり塞がってしまっている。

 とりあえず明菜も椅子とテーブルはそれほど重そうではないので持つことにした。

 天体望遠鏡は、万に一つを考えると怖いので夏輝に任せる。


「結構色々あるね」

「今日は長丁場だしね。まあ寒くなったら一度校舎内に戻ればいいんだけど」


 屋上に出ると、さすがに四月半ば過ぎとはいえまだ少し冷える。

 とはいえ凍えるほどではない。

 明菜が椅子とテーブルを広げる間に、夏輝が天体望遠鏡をセットしていた。


「明菜さん、食事先にしちゃう?」

「あー、そうだね。二人分あるって言ってたけど、じゃあ私の買ってきた分を夜食に回す?」

「うん、それでいいかな。まだ少し暖かいだろうから、食べちゃおうか」

「え。作ってきたの?」

「あ、うん。といっても簡単なものだけどね」


 考えてみれば、一人暮らしなのだから自炊出来て当たり前だろう。

 とはいえ、こういう場面で買ってこないで作ってくる発想は明菜にはなかった。

 何かちょっとだけ、女子としての敗北感を感じる。


 LEDランタンがテーブルの上に置かれ、夏輝のカバンから色々アルミホイルやラップに包まれた食事が出て来た。どうやら彼の荷物の大半は食料だったらしい。

 包みを解くと、おにぎりやロールパンサンド、唐揚げやソーセージ、卵焼き、ブロッコリーを炒めたものなど、彩り豊かな食事が並ぶ。

 一つ一つの手間は確かに大したことはないだろうが、それでもこれだけとなるとそれなりに手間だ。いわゆる料理男子というやつだったんだろうか、と思ってしまう。


 とりあえず唐揚げを一つ食べ――思わず目を見開いた。

 美味しい。

 特に何もつけなくて味がちゃんと肉の奥にまでしみていて、ジューシーさも損なわれていない。さすがに衣は少しだけしなっているが、それでもまだサクサク感も残っていて食感もいい。まだほんのり温かいが、多分冷めても美味しいだろうと分かる。


「……ねえ。これって夏輝君が作ったの?」

「そうだけど?」

「うわ、ちょっとショック。私より美味しいかも」

「唐揚げなんてレシピ通り作るだけだとは思うけど……まあ、家事経験長いから。兄さんが一緒に住んでいた時も、兄さん部活で忙しかったから食事はだいたい俺が担当だったし」


 簡単に言ってくれるが、唐揚げを自分で作るとなると、その後の油の処理なども考えるとかなり手間だ。今時、スーパーなどで惣菜として売られていることが多いから、揚げ物を自分でやる男子となると、本当に少ないと思うのだが、自覚あるのだろうか。


「もしかして料理の経験結構ある?」

「小学校の五年生くらいからだから、もう五年くらい家事やってるかなぁ」

「それはすごい……私なんてまだ一年ちょっとよ」


 中学までは母親が日本にいてくれたので、家事は頼り切っていた。

 もちろん手伝ってはいたが、そこまで上達はしなかった。


「食べられればいいと思うけど」


 それはそうだろうが、これはある種プライドの問題だ。

 もっとも、今時料理ができる男子に対抗意識を燃やすのも何か違うだろうが。

 その時ふと彼のお昼時のことを思い出した。

 考えてみれば、彼はいつも弁当を持ってきているが、一人暮らしという事は……。


「考えてみたら、夏輝君普段お弁当よね。あれも?」

「そりゃもちろん。作ってくれる人いないし」


 学校まで一時間以上かかるのに、毎朝弁当を作ってる、という事か。


「……朝何時に起きてるの?」

「だいたい六時かなぁ。男子は女子と違って、朝の準備は手軽だからね。寝ぐせさえなければ顔洗って着替えるだけだし」

「それでもすごい……何気に夏輝君、スペック高いよね」


 前日のあまりものとかがある時は、明菜も弁当を作ることはあるが、毎日できるとは思わない。

 確かに男子と女子では、朝の身だしなみにかかる時間は違うだろうし、明菜は特に気を配っているという自覚もあるので、その差はあるとしても、凄い。


「料理男子って? まあ今時このくらいは普通だろ」

「高校生でこれだけできるのはそういないと思うよ……私が自信なくしそう」

「人と比較する方が意味がないかと思うよ。自分がいいと思えばいいんだろうし」


 その言葉に違和感があった。

 何か、とても苦しそう、というか後悔している、というか。


「夏輝君?」

「何でもない。さて、折角だし流星群前にいくつか星を見てみようか。この時間なら、火星がいい感じだし」

「火星?」

「ほら、見える? あの一際明るい赤い星」


 彼が指さす方向に、確かにとても明るい赤い星があった。


「あ、あれね。あれ、火星なんだ。恒星じゃなくて」

「うん。太陽と月を除けば、全天で一番明るい星はおおいぬ座のシリウスなんだけど……この時間じゃもう見えないな。火星や金星、木星や土星はそれより明るく見えるんだ」

「近いから?」

「そういうこと。なのでまあ……ん、よし。見てごらん」


 彼が天体望遠鏡を調整したらしい。

 言われて、接眼レンズから覗いてみると、赤茶けた星が見えた。

 なにやら黒い模様も見える。


「わ、すごい。こんなにはっきり見えるのね。ホントだ……惑星だねぇ。すごーい。こんな模様なんだねぇ」


 初めてみた火星は、何か星の神秘を見たような気分にさせてくれて、とても興奮した。


「今日は三日月だし、もう沈みそうだけど……月も見てみる?」

「あ、それは見てみたい!」


 すると再び夏輝が望遠鏡の角度を調整する。


「はい、どうぞ」


 言われて見えた月は、普段肉眼で見るそれとはまったく違うものに見えた。

 巨大なクレーターや、ごつごつとした岩肌が感じられそうですらある。


「うわぁ……ホントにクレーターまーではっきり見える。すごいねぇ」

「楽しんでもらえてるようで何より」


 その後も、夏輝は色々なものを見せてくれた。

 特に星雲など肉眼ではほとんど見えないようなものでも、このレベルの天体望遠鏡だと見えるものも多い。

 複雑な光のショーにも見えるそれらはとても美しくて、時間が経つのを忘れてしまうほどだ。


「面白過ぎて時間経つの忘れてた……そろそろ?」

「そうだね……明け方近くのがいいけど、そろそろ増え始める時間だと思う」

「方角は?」

「東だね。ほら、あそこ……一際明るい星があるでしょ。あれがこと座のα星、ベガ。あの方角に流れ星が見えるはず。レジャーシートに横になってみるのが定番だけど……その前に寒くない?」


 言われてみると、さすがに少し寒い気もするが、耐えられる範囲だ。

 少し冷えるな、というくらいだ。


「寒くは……ないけどちょっと冷えるね」

「それを寒いっていうんだけど。はい、これ」


 夏輝がポットから何かを注いで渡してくれた。

 コップがほんのり温かい。


「熱いコーヒー。眠気覚ましもかねて……あ。明菜さん、ブラックって平気?」

「うーん。普段はコーヒー飲まないから……挑戦、してみる」


 父はよく飲んでいたが、母はあまり飲まなくて、自分も飲んだことはない。

 ただこれも経験だろう。それに、彼と同じものを飲めるようになりたい、となぜか思えていた。


 コップに口をつける。香りはとてもいい。なにか落ち着く気すらする。

 恐る恐る一口。

 だが、その味は――。


「苦い~~~~」

「ごめん。配慮が足りなかった」

「夏輝君は平気なの?」

「俺は慣れてるからなぁ」


 そういうと、彼はあっさりと別のコップのコーヒーを飲み干した。


「なんか悔しいので頑張る」

「いや、そういうところで張り合わなくても……」

「飲むったら飲むの」


 なぜか敗北感を感じる。ここで引き下がることはできない。

 何に対して意地を張ってるかすら分からなくなっているが。


「ほら、せめてこれ」


 渡されたのは、チョコレート菓子。


「一緒に口に入れれば、まだ苦みが緩和されるかと」

「……ありがと」


 そのまま飲みたいが、さすがにこれはちょっとまだ無理だ。

 助言に従って菓子を先に頬張ると、口の中が甘みに満たされる。

 そこにコーヒーを流し込むと――先ほどとは違う味わいが、口全体に広がった。

 一言で言えば――。


「あ、ホントだ。美味しい」

「そりゃよかった」


 そういって彼はコーヒーを自分のカップに淹れる。

 その背後で突然星が流れた。


「あ、星が流れた!」

「え、マジ?」


 慌てて夏輝が振り返るが、もう見えなくなっていた。

 本当に短い。一秒もなかったのではないだろうか。


「うん。……しかし願い事三回はやっぱ無理だね」

「まあそりゃあね。むしろだから願い事三回言えたら叶うって話もあるらしいよ」

「普通出来ないから?」

「らしい」

「むしろ夢がないね、それ」

「だね、確かに」


 思わず二人とも笑う。

 そうしてると――再び星が流れた。

 今度は二人とも見ることができた。


「不思議。実際はあれって、塵とかなんだよね」

「そうだね。彗星が引き連れていた塵とかの残骸に地球が重なって、大気中で燃えた反応だって話だけど」

「でもさ。こういうの見るとどうでもよくならない?」

「……それは確かに」


 きれいな星空と、流れ星。

 これだけで十分、楽しい。

 そしてこの機会をくれた夏輝に、明菜は心底感謝していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る