第4話 アラサーに十代の恋バナは正直キツい(後編)

 誾千代を抱えて従業員用の裏口を飛び出した星彦は、まっすぐに自宅へと向かう。

 星彦の家は『カメラのオウジ』の真裏にあった。

 築数十年の古い木造の一軒家。そこが彼の自宅だった。


「まさか家に連れ込まれるなんて思わなかったわ」

「まだそんなこと言う元気があるのか」

「元気ならあちこち見てまわるのに。起き上がることができないのが残念ね」

「いいから大人しく寝てろ」


 誾千代の胸にタオルケットをかけ直して、星彦は仲村のほうに向き直る。


「申し訳ありません。星彦さん」

「俺に謝らなくていいですよ。日崎についててあげてください。俺は一度店に戻って親父に話して来ます」


 去り際、星彦は振り返ると、


「あ、冷蔵庫に麦茶が入ってますから好きに飲んでください」


 そう言い残して家を出て行った。

 何かと気がつく青年だと仲村は感心する。

 同時に主の不調に気づかなかった自分のいたらなさに失望もしていた。


「仲村、あなたが責任を感じることはなくてよ」

「ですが、誾千代様……」

「休んだ方がいいというあなたの忠告を無視したのは他ならぬわたくしですもの。これは自ら招いたこと。そんなことより──」


 誾千代は震える手で仲村の胸元を指差す。


「あなたのスマホで家の中を隅々まで撮影してきなさい。とくに星彦の部屋は必ずおさえるのよ」


 血走った目で命じる主に、さすがの仲村も呆れずにはいられなかった。


「とにかく、任せた……わよ……」


 最後の力を振りしぼったのか、誾千代はそのまま目を閉じてしまう。

 仲村は途方に暮れた。

 命令に従うべきか、主を気遣ってくれた青年に義理立てすべきか……。

 ひとまず家の中を見渡してみる。


 家の中は思ったより小綺麗だった。

 家と同様に家具・家電も古い物が多い。

 どれも長く使われているが壊れたり欠けたりしたところのないきれいなものだった。

 丁寧に扱われているのがよくわかる。

 冷蔵庫の中は作り置きの惣菜がきちんとタッパーに入れられてならんでいる。

 キッチンの食器かごにはキレイに現れたガラスの器が立て掛けてある。

 お昼は素麺あたりでも食べたのだろう。

 仲村は王子星彦に関する調査書の内容を思い出す。


 ──確か、母親と妹は家を出ており父と息子の星彦の二人暮らしだったはず。


 しかし男二人の生活と聞いて想像するのとは比べものにならないほど、はるかに整理整頓が行き届いていた。

 古民家……というには大げさだが充分に古い木造一軒家。

 隣には平安時代からあるという大きな神社。

 庭の小さな家庭菜園にはその神社のご神木が影を落としている。

 都会のただ中とは思えないほど、静かに切り取られたような風情があった。

 気づけば仲村は縁側の廊下に出ていた。

 廊下の先から洗濯機の回る音が聞こえてくる。

 ふと、手前に半開きの扉が目に入った。

 悪いとは思いつつも仲村は中を覗いてみる。

 そして驚愕した。


「ちょっと、俺の部屋で何してるんですか!?」


 驚き固まっていた仲村の後ろから声がする。

 いつの間にか、星彦が戻ってきていた。


「すみません。お手洗いを探していて間違えて入ってしまいました」


 仲村は顔色一つ変えずしれっと嘘をついた。


「トイレは一つ奧ですよ」

「ありがとうございます。ところで一つお聞きしてもいいでしょうか」

「なんですか?」

「このポスターは星彦様が?」

「ええ、まあ……」


 それは、古い家電の販促用ポスターだった。

 

「親父に頼んで店に貼っていたのをもらったんです。知ってますか? 『MILKY WAY』って家電ブランド」

「よく存じ上げています。『MILKY WAY』の天之川電機は我が社の子会社ですから」

「ええ! じゃあ、もしかしてこの女の子のことも知ってますか!?」

「それは……」


 星彦はいつになく大きな声を出して詰め寄ってくる。


「実は俺、この子に昔会ったことがるんです」


(……ん?)


「その時のことが忘れられないっていうか」


(……んん?)


「できたらもう一度会いたいっていうか……いや! 別に深い意味はないんですけどね!」


(ん〜〜〜〜〜〜〜〜!?)


「お願いします! この子のこと教えてください!」


(いや、それもう恋じゃん! 初恋じゃん!)


 思わずツッコミの言葉が口を突いて出そうになった。だが仲村は必死に耐えた。


 そして照れて赤くなっている星彦と、ポスターの中で微笑む少女を何度も見比べる。

 誾千代が幼い頃に王子星彦と会ったことがあるという話は本人からも聞いていた。

 まさか、その時に王子星彦の方も誾千代に恋をしていたとは思わなかった。

 初恋にして相思相愛。


(ていうか、もうさっさと付き合えよ)


 仲村は、ふたたび喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「社長です」

「え……?」


 そこまで言って、ふと仲村の脳裏に閃くものがあった。

 星彦にポスターの少女が誾千代であることを伝えるのは簡単だ。

 だが、はたしてそれだけでいいのだろうか?

 真実を知ったからといって、星彦の中で幼い頃の淡い恋心が再燃するという保障はない。

 なにせポスターの中の誾千代は髪を染め、本来の彼女の姿ではないのだ。

 それならばこの手札カードは主のためにこそ温存しておくべきではないだろうか。


「失礼。社長ならご存じかもしれません」

「う……あいつに聞くんですか……」


 星彦は嫌そうな顔をする。


「……いや、やっぱりやめとこう。何かよくないことが起こりそうな気がする」


 星彦は意外と勘がよかった。

 しかし、これでよかったのかもしれない。

 手札をきるタイミングはこちらに委ねられていた方が効果的に使えるというものだ。


 *  *  *


 ほどなくして誾千代は目を覚ました。

 体調は気になったが、部屋に突入しようとして星彦と攻防を繰り広げる程度には回復しているようだった。

 その後、様子を見に来た王子星彦の父礼を伝えて王子家を後にした。


「お加減はいかがですか?」

「大丈夫よ。もうすっかり……とは言えないから、今夜は早めに休むことにするわ」

「それがよろしいかと」


 “例の件”を伝えるべきか──

 

 主は喜ぶだろうが、あまり興奮しても身体に触る。

 そこで、仲村は少し遠回しに話題を振ることにした。


「社長は昔、彼──星彦君と会ったことがあるんですよね」

「急にどうしたの?」

「そういえば詳しく聞いたことがなかったと思いまして」

「そうだったかしら……まあ、別に大した話ではなくてよ」


 そう言うと、思い出すかのように誾千代は目を閉じる。


「少し、嫌なことがあって泣いていたの。そしたら彼がやってきて私にハンカチを差し出したわ。それから一生懸命私のこと慰めてくれて、最後にこう言ったの──」


 ──僕が君の王子様になるよ。

 

「ね? 大した話ではないでしょ」


(大した話じゃん! 少女漫画でも今どきないわそんな展開!)


 思わずツッコミの言葉が口を突いて出そうになった。だが必死に耐えた。


 予想を遥かに超える胸キュンエピソードだ。

 聞いてるこっちが赤面してしまう。

 王子星彦……なんて恐ろしい子……。


(ていうか、もうさっさと付き合えよ)


 仲村はふたたび喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


「つ、つまり、その時、社長は……こ、恋をしたわけですね」


 言ってる自分が死ぬほど恥ずかしくなりながらも、仲村は話題を続けた。


「恋? わたくしは恋なんてしてないわよ」


(……ん?)


「ただ単にその時のことが忘れられないっていうか……」


(……んん?)


「ま、まあ、好きとか別にそんなのじゃないけれど、星彦がわたくしの“王子様”になりたいって言うのだからしょうがないわよね!」


(ん〜〜〜〜〜〜〜〜!?)


「言うなれば星彦はわたくしと“王子様”になる契約を結んだというわけ。というわけだから恋なんかじゃなくてよ」


(いや、それ恋だって! 初恋ってやつですよ!)


 思わずツッコミの言葉が口を突いて出そうになった。だが仲村は必死に耐えた。


 その時、仲村の脳裏に閃くものがあった。

 誾千代はわずか九歳にして仕事を始めた。

 義務教育期間のほとんどを学校ではなく大人の社会で過ごしてきたのだ。

 そのため同年代の子供たちとの交流によって培われるはずの年相応の情操というものが形成されていないのかもしれない。

 つまり、誾千代の乙女心は九歳で止まってしまっている可能性が高い。

 しかもエレクトロニクス企業という“男”社会で過ごしてきた弊害も顕著だ。

 好きな異性に意地悪をし「別に好きじゃないし」と心とは真逆のことを言ってしまう。

 そんな誾千代の中身はまさに──


 小 学 五 年 生 男 子

 

(ダメだこの主! 早くなんとかしないと!)


 仲村は心の中で悲鳴をあげた。


「どうしたの? 少しスピードを出しすぎではなくて?」

「す、すみません。思わず……」


 仲村は心の動揺を抑え込みながらふたたび考える。

 これはもはや片方だけの問題ではない。

 

 目の前に初恋の相手がいることに気づかない鈍感家電オタク王子星彦

 自分の初恋にすら気づいていない中身小五男子お嬢様日崎誾千代

 

 そんな二人をこのままにしていては実る恋も実るわけがない。

 仲村は決意した。


 自分が二人の恋をサポートしなければ──


「さて……明日はどうやって星彦をイジって遊ぼうかしら」


 本当に、なんとかしないと……。

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