第3話 アラサーに十代の恋バナは正直キツい(前編)


「だから……何度も言っているでしょう。もう“そういう仕事”はやらないと」


 うんざりとした様子で電話の相手に返す主を、秘書の仲村はバックミラー越しに覗き見る。


「……ええ、ええ。わかっていてよ。現場が今度の新製品にかける意気込みについては。でも、それとこれとは話が別。ともかく広報企画についてはもう一度考え直しなさい。これは社長命令よ」


 やや強い口調で言い切ると、日崎誾千代は一方的に通話を終わらせる。

 さらにはスマホの電源まで切ってしまった。ここ一時間ほどのやり取りによほどうんざりしたらしい。


「またマーケティング部ですか?」

「柴田は優秀なのだけど、事あるごとにわたくしを表に引っ張りだそうとするのが難点だわ」


 マーケティング部の柴田は数年前まで芸能事務所のマネージャーをしていた男だ。

 非常に優秀だったという話だが、それが何を思ったか突然事務所を辞めて七黍の門を叩いた。

 自らを売り込み七黍エレクトロニクスのマーケティング部に配属されると、次々に斬新でキャッチーな広報企画を打ち立ていった。

 彼の力で生まれたヒット商品も少なくない。

 そんな柴田が、事あるごとに商品の“顔”としてメディア露出を要請しているのが日崎誾千代──七黍エレクトロニクス取締役兼CEOだった。


「柴田さんは、知っていますからね。社長の“昔の仕事”のことを」


 かつて『天之川電機』という家電系ベンチャー起業があった。

 同社のブランド『MILKY WAY』はシンプルな機能とデザイン性の高い家電製品で人気を博した。

 小規模な会社ながら一時は時価総額二〇〇億円を越えるほどの勢いがあったが、無理な事業拡大に端を発する赤字転落と社長のインサイダー疑惑によって株価は暴落。

 最終的には七黍エレクトロニクスが買収・子会社化することでなんとか会社更生法の適応だけは免れる……という結末を迎えた。

 そうして七黍ブランドとなり心機一転ふたたび始動した『MILKY WAY』ブランドだったが、これまでの悪いイメージを払拭することはできず結局は二年ほどで消滅することになる。

 だが、このわずかな期間に『MILKY WAY』は一度だけ大きく話題になった。


 それは、同社が発売した『洗濯機』のCMだった。


 『MILKY WAY』得意のデザイン性とシンプル操作を前面に打ち出した原点回帰とも言うべき製品は“子供でも扱える”というコンセプトで作られた。

 CMもそのコンセプトに沿うように『小さな女の子がお母さんと一緒に洗濯のお手伝いをする』というイメージで作られていた。

 お母さん役を菫青歌劇団を退団後に電撃結婚し、その後十年近く休業していた元“男役”トップスターの『夏美星』が務めたことも話題になったが、実際のテレビCMで注目されたのは娘役の小さな女の子だった。

 白い洗濯物に囲まれ、自らも白いワンピースに身を包みこちらに向かって微笑む“黒髪の”少女の姿はお茶の間を釘付けにした。


 放送直後にテレビ局や七黍エレクトロニクスには「あの女の子は誰だ?」という問い合わせが殺到した。

 少女の姿写した広報用のポスターは「奇跡の一枚」と言われ、家電量販店では客が勝手に剥がして持って行ってしまうという事案が多発。購入者にプレゼントするとした店では洗濯機を三台購入した猛者もいたという。

 誰もが、この少女は今後芸能界で一躍スターダムにのし上がるのだろうと、そう思っていた。

 ところが少女はこのCMただ一度きりで表舞台から姿を消してしまう。

 多くの芸能関係者が少女を捜し回ったが、どれだけ世間が騒いでも七黍エレクトロニクスは少女について明かすことはなかった。

 なぜなら──


「あの頃は日崎の中で一刻も早くポジションを確立しなければいけなかったから引き受けたけど、モデルなんて二度とごめんだわ」


 日崎誾千代はうんざりとした顔をする。


「だって、このわたくしに『“黒髪”にしろ』なんて言うのよ? その方が清潔感が出るからって」

「社長は、そちらの方が“地毛”ですものね……」


 誾千代は母親譲りの自分の髪をとても気に入っている。

 黒く染めるなんてもってのほか。本当はカールもかけたくないのだろうが、より“お姫様”らしくなるためにあえて縦ロールにしている。

 誾千代が「髪をお姫様みたいにしたい」と言ってきた時のことを仲村は今でもよく思い出す。

 九歳で社会に飛び込んだ少女は急激に大人びていった。

 そんな誾千代が、子供らしく目を輝かせながら“お姫様”の絵を仲村に見せてきたのだ。

 その絵がよりにもよって“マリー・アントワネット”だったのには頭を抱えたが、一度決めたことはなかなか曲げようとしない主を説き伏せ、専属の美容師と共になんとかギリギリ悪目立ちしない程度の縦ロールに仕上げた。

 あの時の苦労を経て“白物姫”と呼ばれるようになった今があると言っても過言ではない。


 ふと、その主が顔をしかめて眉間のあたりを揉んでいるのに仲村は気づいた。


「お疲れですか? ここのところあまり眠れていないのでは?」

「オンライン会議は便利だけど、海外とのやり取りが多くなると時差のせいでこっちの生活リズムが狂って困るわ」

「今日は彼のお店には行かず、ご自宅で休まれてはいかがですか」

「いやよ。貴重な時間を逃したくないわ。学校ではクラスも違うし、ほとんどお話もできないの」


 さっきまでの社長の顔とは打って変わって、子供っぽくふてくされる誾千代を目の当たりにした仲村は思わず笑みを浮かべていた。


 *  *  *


 いつものように『カメラのオウジ』本店の駐車場に車をつけると、仲村はすぐに車を降りて誾千代のために後部座席の扉を開ける。


「ありがとう、仲村」


 誾千代が車を降りようとしたところへ──


「また来たのか」


 ほっかむりにエプロン、今どきめずらしい竹箒という三点セットを装備した王子星彦が現れた。

 誾千代は無言でその姿を凝視した後、おもむろにスマホのカメラを向ける。


「勝手に写真を撮るな」

「ちょっと黙っていてちょうだい。撮影に集中できないわ」

「いや、人の話を聞けよ……」


 しばし撮影会は続いた。


「……くっ、失態ね。スマホの容量が底を尽きてしまったわ」

「なんか息が荒いぞおまえ」

「大丈夫よ。テンションが上がりすぎただけだから」

「テンション上がる要素あったか……?」


 呆れたように溜息をつきながらも、星彦は車を降りようとるす誾千代に当たり前のように手を差し出す。


「そういうところよ」

「は? なにが?」


 何もわかっていない様子の星彦の右手に、誾千代はそっと自分の手を重ねようとして……そのまま彼の胸の中に倒れ込んでしまった。


「お、おい、冗談はやめろって!」

「ごめんなさい。足がもつれてしまったの。わざとじゃなくてよ」

「言い訳はいいから離れろって」

「それが、どうしても身体に力が入らなくて。……おかしいわね」

「おかしいって……おまえ、顔が真っ青じゃないか!」

「誾千代様……!」


 仲村も事態を察して慌てて主の元へと駆け寄る。


「めまい、足元のふわふわとした間隔、そして寒気……おそらく貧血ね」

「本人が冷静に分析してるんじゃない! とにかく横になれる場所につれて行くからな!」

「あら、それって──」

「俺の家だ!」


 冷や汗をかきはじめた誾千代を抱えて、星彦は走り出した。

 仲村も慌てて彼の後を追った。

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