第7話
定時制高校生活が始まりました。
初めて教室に入った時の第一印象は“意外と同じ歳くらいの子が多いんだ・・・”でした。
定時制は、様々な年齢層の方が通います。
最年長の方で60歳超えた方も居ました。
その中でも一番多かったのは10代の子たちで、わたしのタメの子が多く居ました。
はじめは、出席番号順に席が決められていたので、わたしの席へ。
わたしの周囲の席の人をよく覚えてないけど後ろの席の女の人がとても印象的で、席が近かったのもあり一番初めに会話をしたと思います。
ハイビスカスの花が可愛い“PIKO”というブランドが好きな子で、見た目も個性的で派手なんだけどギャルではなくて・・・伝わる?笑
背が高いカッコ可愛い女の人でした。わたしより年上で20歳くらいだったと思う。アパレルのお仕事をしてる人でした。
クラスには色んな人が居ました。
オネエみたいな人も居たけど、ちゃんと女の子が好きな子で、ただ人一倍美意識が高い男の子でした。
男の子と仲良くしてるのは見たこと無かったな。いつもクラスの女の子と仲良くしてましたね。
作業着を来ていて如何にも土方系というような成人男性や、いつもヘッドフォンをしているDJが趣味の成人男性。
サラリーマンというようなキッチリとした40歳くらいの人。
癌の闘病生活を終えた髪の毛がない女の子。この子はタメの子で、とても明るく若いイケメン先生に恋をしていた可愛い女の子でした。
ある時「あれ絶対、朝帰りだよ~~~(泣)」と半泣きで話してました。本人曰く、前日のネクタイと同じネクタイをしていて髭が少し伸びていたそう。
え?そんなとこ氣づくの?と鈍いわたしは関心していました(笑)
当時のわたしなら100%氣づきませんでしたね。
とにかく色んな人が居て、定時制は容姿も自由だし個性的な人が多かったです。
きっと、様々な事情があって定時制に来ている人が多かったように思います。
聞いた話だと、中学生時代イジメにあっていて定時制高校に来た人も居たようでした。
定時制・・・めっちゃ面白いじゃん!と、わたしは思っていました。
わくわくもしましたね。自分より歳上の人とも同じ勉強をして同じ空間で高校生活を共有しました。
数日も通うと友達が出来ました。
PIKOの女の子や美意識の高い男の子、癌闘病生活を終えた女の子。
その中でも、一番仲良くなったのはタメの女の子でフィリピンのハーフの子でした。
この子は、高校生活で重要人物になるので、ここでは“冬美ちゃん”と呼びますね。
冬美ちゃんはフィリピンに住んでいたこともあったようでした。お母さんがフィリピン人のハーフ。
納豆が大好物な子で、納豆にマヨネーズを入れて食べるのが好きな子でした(笑)
わたしも納豆大好きなんだけど、初めて聞いた時はドン引きした覚えがあります。
とはいえ、物は試し。普通に美味しかったです(笑)
わさびも入れた方が個人的には美味しかったですね。
その食べ方をしたのは、その時一回だけでしたが(笑)
冬美ちゃんと部活に入りたいねと話していて、一番賑わっていたバドミントン部に入ることにしました。
バドミントン部の部長さんが嵐の松潤に似ているイケメンさんで、女子に大変人氣でした。
わたしは、小中学生と恋愛という恋愛の経験はなかったけれど、実は中学生の時に人生でたった一度の告白というものをしました。
その時は、相手に彼女が居ることを知っていましたが、わたしは興味が向くと恋愛に限らず突っ走る傾向にあります(笑)
“彼女より、わたしの方がいい思いさせてあげられる”と告白しました。
なんという大胆で恐れ知らずだったのでしょう。男の人と付き合ったことも無い癖に(笑)
そんなわたしにも、ついに高校に入って初めての彼氏が出来ます。
それが、このバドミントン部の部活さんでした。
高校生時代は、一番のモテ期だったと思います。そこで、わたしの男癖の悪さを知りましたね(笑)
まず、告白されたらすぐ付き合う。嫌いな人だったら付き合わないけど、付き合ってる人が居なければ告白されればすぐに付き合いました。
それでも、バドミントン部の部長さんとは、それなりに可愛らしいエピソードがあります(笑)
ちゃんと恋をして、ドキドキしました。
こんな話をしている今も、ちょっと恥ずかしいです(笑)
わたしは運動神経が良かったので、すぐに女子のエースになりました。
まあ、定時制なので人数は少ないですが。
そんなわたしの練習に付き合ってくれたのが部長さんだったんです。
部長さんは、本当に大人氣なかったです。まだ入りたてのバドミントン初心者のわたしに本氣でやってきたこともありますからね(笑)
飛んでくるシャトル(羽根)に反応すらできませんでしたよ。
そんな感じで、部活でよく教えて貰っていて仲良くなりました。
携帯の連絡先も交換をして、メールもしたし、よく部活の後片付けや部室の鍵閉めも一緒にやって、駅まで一緒に帰りました。
ある日、いつものように家に帰ってきて布団に横になってると、部長さんから電話がかかってきました。
「水蓮って好きな人居るの?」と聞かれました。
部長さんはイケメンなだけでなく面白い人で、仲良くもしていたし、わたしは、面白い人が好きだったので、ちょっと良いな~と思っていたんですね。
正直、部長さんとの高校での付き合いを思うと、好きな人が居るのか聞かれて脈アリだなと思いました。
わたしは「氣になる人なら居るよ」と答えました。
きっと、部長さんも同じように脈アリだと思っていたんだと思います。
お互いに相手に言わせようと駆け引きしてたように思います(笑)
結局、部長さんから「付き合わない?」と言われて付き合うことになりました。
初めての彼氏は、松潤を小柄にした感じの2個上の先輩。
初めての彼氏に、わたしも舞い上がりました。
部長さんは、新聞配達のお仕事をしてました。渋いよね(笑)
彼はバイクで登下校してましたが、付き合うことになった次の日から、来れる日は駅やバイト先まで迎えに来てくれたりして、登校も一緒にする日が出来ました。
彼と付き合うようになってからは、放課後に1、2時間、校門の前や駅で話すようになって帰りが遅くなるようになりました。
親に遅いと言われた氣がしますが、そこまで印象に残っていないので、うんと怒られた訳ではないのかも(笑)
彼と2ヶ月ほどお付き合いした頃、その日はバイトが終わっても彼からの連絡はなく、忙しいのかな?なんて思いながら学校へ行きました。
学校に着くと、冬美が慌てた様子で「水蓮!落ち着いて来てね!先輩事故ったて・・・」と。
こういう時って、本当に一瞬脳が止まるんですよね。
『えっ・・・?』と固まりました。
でもすぐに、彼の容態やどこの病院に居るのか聞きました。
容態は、その場では分からなくて病院の場所を聞くと、当時のわたしの足ではすぐに行ける場所ではなく、その日はソワソワしながらも学校に出た記憶があります。
次の日、彼から連絡がありました。その時の様子では命に別状はないようで、思ったよりも元氣そうでホッとしましたが、お見舞いに行くと言っても「来なくていい。」と言われてしまいました。
何故か頑なに来なくていいと言うんです。
心配だから行きたいのに・・・そんな風に思っていました。
命に別状はなく、1、2週間の入院予定だったので、いま思うと何がなんでもお見舞いに行かなきゃ行けないという状態でもなかったのかもしれません。
でも、まだ当時16歳だったわたしにとって、彼が事故に遭い入院しているという事態は緊急事態だったんです。
彼には来なくていいと言われたけど、わたしはお見舞いに行きました。
病院に着くと、彼は車椅子で点滴をしていたと思います。
鼻から管を通していました。
電話で話していた様子とは違うと思いました。彼が話す容態より悪く見えたんです。
「来なくていいって言ったのに。」
そう彼は言いました。そうは言っても来てしまったわたしを思い切り突き放すことはしませんでしたが、どことなくよそよそしくて冷たく感じてしまいました。
いま思うと、彼は自分の姿をわたしに見られたくなかったのだと思います。
彼の前歯が2、3本折れてしまっていたんです。
事故の傷で、上唇も歪んでしまっていました。
彼は、カッコつけたがりでプライドが高い一面を持っていました。
もしかしたら、わたしには話していない怪我の状態もあったかもしれません。
だけど、当時のわたしはとても未熟で、彼の立場や氣持ちを考えることが出来なかった。
わたしは、彼に冷たくされた。ということに傷付き、彼への氣持ちが冷めていったんです。
きっと、わたしが逆の立場だったら、わたしも彼にそんな顔を見られたくないと思ったと思います。
ちょっと考えれば分かることのように思いますが、当時のわたしは自分が傷付いたことばかりに意識が向いてしまっていたんですね。
せっかくお見舞いに行ってあげたのに。
心配したのに。
あんな冷たい態度とらなくても良いじゃん。
こんな思いが、彼への氣持ちを変えてしまったんですね。
退院した後も、どことなくよそよそしい彼に別れを告げました。
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