第5話
「じゃあ明日から学校行かねーよ!」そう言い放ったわたしは、イライラしながら下校すると、確か母親がちょうど学校の門へ続く坂道を登って来ている所だったと思う。
当時、母は免許が無かったので片道1時間ほどかかる道のりを徒歩で来ていました。
きっと学校から呼び出されたのであろう。
母を見つけた時、わたしはヘラヘラしていたと思います。
母からすれば、マジかよ。めんどくさい!余計なことしてくれんなよって心境だったかもしれないですよね(笑)
母は、実の親と姑の実家、更には子供のような旦那と4人の子供に苦労していた。
しかも、わたしときたら色々と迷惑を掛けました。
すれ違いざまに、悪態つかれた記憶もありますが、本氣の悪意では無かったですね(笑)
母は、学校の勉強や規則に五月蝿い人ではありませんでした。
普段から勉強しなさいも殆ど言われたことありません。
わたしがよく怒られたのは、明日の学校の支度しなさい。忘れ物するな。学校からの手紙は?片付けしなさい。人に迷惑をかけるな(傷つけることをするな)。
このくらいだったと思います。
家で多少怒られたかもしれませんが(ここ記憶曖昧)、なんだかんだ、わたしが学校に行かないことへ毎日口うるさく学校行きなさいと言ったりしませんでした。
担任の先生が、家庭訪問で定期的に家に来たと思います。
わたしは殆ど顔を出さなかったので、会話をしませんでしたが。
時々、家での生活に飽きてくると学校に顔を出したりすることもありました。
学校に行っても指導室に通されましたけどね(笑)
それでも、たまに学校へ行くと同級生の友達が冷やかしに来たり、後輩たちが「先輩居なくて寂しいです」と会いに来てくれたりしました。
わたしは、それが嬉しかった。学校へ行くことは先生に負けた氣がして、なかなか学校へ行こうとしなかったけれど、家に居てもつまらなくて、しぶしぶ行ってみると嬉しいこともあって、丸っと一年間不登校でしたが、その中でもたまに学校へ行っていました。
金髪だった髪の毛も、飽きてきて暗めの茶髪にしていたし、このくらいだったら金髪にする前と対して変わんないだろと思いもしていましたが、この不登校だった期間で、少しずつわたしも何かが変わっていったと思います。
少し丸くなりました。本当に少しだけど(笑)
氣づくと2年生の夏から3年生の秋頃になっていました。担任の先生から、進路の話になっていきました。
幼いながらに、将来を一応考えていたのかな?
当時、家はお金が無かったし、わたしも頭が悪いから高校は定時制の学校にバイトしながら行くことを決めました。
定時制なら頭悪くても大丈夫と言われました(笑)
それに、わたしは部活で使うものや学校で着るカーディガンとか一番安いものばかりで、お金がなくて欲しいものを買って貰えなかった。
小学生の時も友達はディズニーランドに行ったり、お小遣いも沢山貰ってる。欲しいものを買って貰えてる。
自分より裕福な人達と比べて、自分に足りないものばかり感じていました。はっきりとあった、わたしの中の不満でした。
だから、お金か欲しいという単純な思いもありました。
お金がなくて、悪いこともしたことありました。小学生、中学生の時は黙って家のお金を持っていったり、お菓子とかの万引きもしたことありました。
自分でバイトをするようになってからは、お金を稼ぐことがどういうことなのか少し分かって、こういった悪さは落ち着きましたが、とても未熟でしたね。
いま思うと、とても恥ずかしい過去です。
少し話がズレましたが、進路が少しずつ決まって、担任の先生が「お前、いつになったら教室に戻って来るんだ?」と言うようになりました。
あとはスカート丈を戻し、靴下を規定のものにすれば戻れる。そう言いたかったのだろう。
そこだけは、なかなか受け入れられなかったわたしでしたが、3年生の秋頃からは遅刻をしても大体毎日、学校へ行くようになりました。
授業で受けても、ちんぷんかんぷんだった勉強も、指導室で空いた先生から一対一で教わることで理解できました。
幼稚園の頃からそうだったけど、大勢に向けて何かを言われても、わたしは理解することが難しい傾向にありました。
幼稚園の頃も、なかなか先生の声が頭にインプットされなかったり、小学生の頃も先生が何を言ってるのか理解するのが難しかった。
中学生に入って、言ってることの理解は出来るようになりましたが、勉強はサッパリでした。
それが、一体一で教わることで理解できたんです。きっとこういうお子さんは多いんじゃないでしょうか?
わたしが、進路を決めて勉強をすると決めたからというのも大きな影響があったと思いますけどね。
この頃から、勉強を教えに来てくれる先生と友達みたいに仲良くなっていきました。
体育の先生とは、2人でバスケの勝負をしたり、不登校で別室にされていたけど、それでもその中からも楽しみが増えていきました。
いま思うと、先生方なりに出来ることから生徒へ歩み寄るということをしていた方も居たんだと思います。
だから、わたしは一年間の不登校の末、学校に復帰し卒業式まで出ることができました。
子供でも、こうやって沢山学ぶんだと思います。
ついに、わたしはスカートを少しだけ長くし、靴下も規定のものにし、教室に戻りました。
きっかけは、クラスの男子が「いま俺の席の隣お前なんだけど、誰も居ないから寂しいんだけど(笑)」と言われたことでした。
なんだか、凄いなって思うの。
わたしを、教室へ戻す流れというかサポートがちゃんとあったんですよね。
不登校になった時も、担任の先生は何度も家庭訪問に来たし、不登校になってからは頭ごなしに叱ってきたことはない氣がします。
久しぶりに学校に行ってみると、友達や後輩が会いにきてくれたり、あの時のわたしにとっては、学校へ戻ることは必要だったのだと思います。
子供の成長でした。
教室に戻ってからは、多少勉強が理解できるということに自信がついたのか、受験も控えているし授業はちゃんと受けていたと思います。
実は、2年生になってから不登校になるまでの間、散々授業を抜け出してサボったり遊んだりしていました(笑)
授業中に、友達から借りた漫画を読んでいて、つい爆笑してしまい友達の漫画を没収されたこともあります(最悪(笑))。
そんなわたしが、最後の1ヶ月くらいだったと思いますが、ちゃんと授業を受けました。
無事、卒業式も迎え、高校も受かりました。
わたしにとって、嵐のような中学生時代でした。
こんなわたしでも、卒業式の日一緒に泣いてくれた先生も居ましたね。
中学生時代は、嫌なこともあったし許せないこともあったけど、人の温かさも感じられた体験だったと思います。
嵐のような中学生時代と言いましたが、中学生時代が嵐なら高校生になってからは・・・嵐×10くらいか?100かな?(笑)
わたしの行いに理解できない人も居るかもしれませんが、何か伝わるものあったら嬉しいです。
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