第11話
セイはしばらく葵の後ろ姿を見ていた。
が、やがて思い出したように向きを変えて歩き出す。
向かった先は鷹春の寝かされている病院であった。
受付で場所を確認すると、足音をまったく立てない独特の歩き方で病室に入る。気配を消して入ったはずなのに、冬一郎はセイに気づき、振り向いて笑った。
透明な笑顔だった。
「ちぇ、結局、無駄になっちまったな。俺にしちゃあ、今回はずいぶん頭を使ったんだが」
言いながら鷹春の寝顔を眺めている。
そこへ、知らせを聞いて鈴が駆けつけてきた。
部屋に入ったときにはすでに、綺麗な顔が涙でくしゃくしゃにゆがんでいる。その顔を見たセイは鈴の気持ちを慮り、胸が苦しくなった。何も言えず木偶(でく)のようにただ突っ立っている。冬一郎は力なく笑いながら、鈴をからかった。
「鈴、何だその顔は? ぐちゃぐちゃじゃねえか。とっとと厠へ行って、化粧を直してこい」
それでも鈴はイヤイヤをするように首を振ると、鷹春のそばまで行ってイスに腰掛けた。鷹春の細い手を握ると、はらはらと泣きながらその寝顔を見つめている。冬一郎は肩をすくめると、もうひとつのイスに腰をおろす。
セイは立ったままその様子を見ていたが、やがて悲しげな顔で話し掛けた。
「先生。ボンに言った話、本当じゃありませんやね? おっかさんを思う気持ちが原因なら、何も坊ンに隠すことはないし、自決する必要もなかったわけですから」
冬一郎は気の抜けた顔でセイを見ると、自嘲気味に笑いながら、静かな口調で答えた。
「まあな。鑑定士が怪しいと見当をつけて、その線から辿(たど)っていったらすぐに割れたよ。ボウズのおっかさんと、例の刀の鑑定士がデキていたってことくらいはな」
セイには、おおよその見当がついていたのだろう。さして驚いた様子もないまま、無言で話を促す。
逆に、少年の手を握って泣いていた鈴は、驚いて顔を上げた。
「公開前日、真面目な鷹山は念のために刀を確認したんだろう。そこで偽物だと言うことに気づく。普通の明かりの中では気づかないほど精巧な模造品だったんだろうが、展示のためにライトアップされれば、好事家の目は誤魔化せない。長いこと、その刀を求めつづけていた鷹山なら尚更だ」
「自分はやっていない。そのあとに手を触れることが出来たものもいない。と、くれば最初の前提が間違っている、と言うことですよね。つまり鑑定が間違っている、と?」
「ああ。鷹山は鑑定士のところへ電話した。そこで初めて、事件の裏に『かつての妻』がいることを知ったんだ。俺は彼女のところへ行って、すべてを聞いてきた」
「察するに、ボンの事ですかい?」
セイが覗き込むように聞くと、冬一郎は肩をすくめて答えた。
「ああ。結局、ボウズを引き取りたいがための計画だったって事だ。本来、親権ってのは、母親の方が有利なんだがな。やっこさん、旦那が出世して羽振りがよくなってくると、今までの鬱憤を晴らすかのように、派手に遊び始めたんだと」
「まあ、よくある話ですよね。でも、そこまでがんばって旦那を助けたんだから、別にかまわないと思いますけどね。いや、あしならってコトですけど」
「俺もそう思うよ。でもな、ちょっとばかし羽目をはずし過ぎた。妻の遊びすぎが気に入らない真面目な鷹山は嫁さんに見切りをつけた。もちろんボウズは渡したくないから、用意周到に計画を立ててな。派手な遊びっぷりが裏目に出て、嫁さんは親権を失ってしまう」
「なるほどね。うまくハメたわけだ。してみると鷹山ってのも、ボンが言うほど清廉潔白って訳じゃなかったんですかね?」
「逆だよ。真面目すぎたから、嫁さんの気持ちがわからなかったんだ。今までのことは芝居だったのかと、そう単純にしか考えられなかったんだな。ひとってのは自分の努力はいつまでも覚えているが、他人の苦労とか、してもらった世話って言うのは、簡単に忘れてしまうものなんだよ」
「そうですね……」
セイは複雑な表情でため息をつく。
冬一郎は肩をすくめると、話をつづけた。
「嫁さんだって鷹山だって悪いわけじゃない。嫁さんはがんばった反動で遊びすぎた。鷹山は昔世話になったことを忘れて狭量(きょうりょう)になっていた。それだけのことだったんだ」
「なるほど。でも、それならなんで鷹山は死んだんですかねぇ」
「まあ、その辺は想像するしかねえんだが、俺が睨んだ感じじゃこうだ。嫁さんは、やっぱりどうしても息子が諦めきれなかった。あたりまえだがな。それで真面目一辺倒でへまをやらない鷹山をハメて引きずり落とし、親権を得ようとたくらんだと。鑑定士をイロでたぶらかしてまで」
「それじゃ、デキてるってのは、あくまで芝居だったんですかい?」
セイが驚いた顔で叫ぶと、冬一郎は力なく首を横に振る。
「さあな、芝居か本気かまでは判らねえよ。ただ話した限りでは、必要となればそのくらいのことはするだろうってな気迫は感じられた。そして彼女の必死な思いは、たぶん鷹山にも伝わっただろう。少なくともそこまでする彼女の、気持ちと言うか意志については考えたはずだ。留置場の中だからな。考える時間だけはたくさんある。そこでやつは気づいたんだろうな」
「気付いた……何にです?」
「気づいたと言うよりは思い出したんだよ。かつて彼女が寝食を削るどころか、大切な祖父の形見まで売り払って自分を助けてくれたことを、気付いちまえばあの性格だ。誰も邪魔することない留置場で、心ゆくまで自分を責めることが出来たろうな」
その時の鷹山の気持ちを思っているのか、冬一郎はしばし言葉を切る。
鈴は病室を出ると、出口にあった給湯器でお茶を入れて戻ってきた。
セイと冬一郎は無言でお茶をすする。
やがて冬一郎は口を開いた。
「鷹山はずっと彼女が悪い、息子の母親にはふさわしくない自堕落な女だと決め付けてきたんだろうよ。それが急に、どうやら悪いのは自分の方じゃないだろうかって話になってきた訳だ。必要以上に自分を責めたとしてもおかしくはない。生真面目な性格なればこそ、余計にな」
「それはわかりますが、しかしそのくらいのことで……」
「もちろん普通ならそうだ。そんなことで死んだりはしない。でもその価値観の逆転って言うのは、ヤツにとっては大変な、まさに青天の霹靂だったんだよ。息子にお天道様に恥ずかしくないように生きろ、なんてほざいていた自分が、実は忘恩(ぼうおん)の徒(と)だったってわけだからな」
「でも、子供を育てるときは誰だって……」
「ああ、そうだ。子供に建前を言ったって、本音は別だってのはよくあることだ。普通ならいちいちそんなことは気にしない」
「でも、関口氏は違ったと? 」
「つーかな、普通はそれを自覚しているんだよ、誰でも。理想と現実が違うことを認識した上で理想論を言うわけだ。まさか子供に、卑怯に生きろなんて言うヤツはいねえだろう? ところが生真面目な鷹山は、まったくそう言う自覚なしに、本気で息子に理想論を説いていた。そして自分も実践していたつもりだったわけだ。嫁さんの献身をすっかり忘れていたくせにな」
冬一郎はやりきれないといった顔をする。
そしてひとつ大きなため息をつくと、セイに向かってまた話し始めた。
「ヤツが、妻や息子に対して誠実さがなかったなんて、俺はカケラも思わねえよ。むしろ他人にも自分にも、必要以上に誠実と言うかバカ正直だったんだろう。真面目なのが報われねえってのも、なんだかやり切れねえ話だが」
セイはうなずくと、冬一郎の話を補足する。
「彼を支えてきたのは、その真面目さだった。彼自身の言葉を借りれば、お天道様に恥ずかしくないようにってのが彼のポリシーだった。ところが、そうやって生きてきたと信じていた自分が、実はとんでもない忘恩の徒で独りよがりだったと言うことに気付いちまった、てぇことですかい? それを恥じて死んだと?」
「そういうことだと思う。いや、もしかしたらもっと生臭い話も絡んでくるかもしれないし、そういう嫌な話になる可能性は充分にある。でもヤツは死んじまったんだ。これ以上、無理に暴(あば)くこともないだろう? 俺は真相なんて知りたくもねえよ」
病室に、沈黙の幕が下りた。
程なくして、病室に入ってきた担当の医者に鷹春のことを頼み込むと、三人は警察病院を後にした。
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