第10話

 

「ボウズ、出かけるぞ。とっとと準備しな」



 冬一郎が、叫びながらユメヤの二階に上がってきた。


 鈴はびっくりして冬一郎の顔を見つめる。普段なら叩こうが布団をひっくり返そうが、生半(なまなか)では起きてこない冬一郎が、夜が明けたばかりの早朝にこんな高いテンションで起きているのに驚いたのだ。


 冬一郎は座敷のふすまを、ばしんと勢いよく明けた。


 寝ぼけ眼の鷹春の前まで行くと、腕を組んで大きな声を出す。



「それ、早くしねえか! おとっつぁんを助けに行くぞ! 」



 鷹春は飛び上がると、急いで着替えを始めた。


 鈴が心配そうな顔で冬一郎に近寄ってくる。


 気づいた冬一郎は、にっこり笑って親指を立てた。



「任しとけ。ようやく事件全体のからくりがわかったんだ。それより鈴、セイはどうした? ちっとあのヤロウにもやらせる事があるんだが」


「へい、ここにいますぜ。判ってますよ、例の質屋の場所でしょう? 任しておくんなせえ。とっくの昔に調べぁついてまさぁ」



 いつのまにかやって来たセイが、そう声をかけながら顔を出す。


 冬一郎は「相変わらず仕事が速いな」と言ってにやりと笑う。それきり、セイがえへんと胸を張ってるのには目もくれずに、着替え終わった鷹春を連れて階段を一足飛びに駆け下りた。



「ちょっと先生、場所わかってるんですか? ああ、行っちゃったよ。ほんとにせっかちな人だなあ。じゃ、鈴姉さん、行ってきます」



 セイは、あっけに取られたままの鈴にそう言い残すと、「先生ぇ~!」と叫びながら冬一郎の後を追いかけて出てゆく。ここでようやく我に返った鈴は、ふう、とため息をついて、鷹春が寝ていた布団を片付け始めた。


 一方、鷹春少年を連れた冬一郎は、闇雲に駆け出したはいいが当然行き先なんぞカイモク見当がついていなかったので、仕方なくセイが追いついてくるのを待つ。さすがに元スパイのセイは、あっという間に追いついてくると呆れた声を上げる。



「行き先もわからにクセに、よく全力疾走できますね? 信じられないっ!」



 もちろん冬一郎、それには取り合わず行き先を聞き出すと、今度こそ一目散に走り始めた。


 少年もがんばって冬一郎の後を駆けてゆく。


 仕方ないと言った具合に肩をすくめて、セイもそのあとに続いた。大通りへ出るとそこでタクシーをひろい、三人は乗り込む。座席に座ってひと息ついたところで、冬一郎はタバコに火をつけながら事のあらましを話し始めた。



「つまりだな、あの刀の価値ってモノが原因だったんだよ。アレがもっと平凡な無名の刀ならよかったんだが、残念なことに値がつかないほど大変なシロモノだった。これが原因の半分だ」


「そ、それはいったい?」


「まあ、いいから聞きな。あの刀ってのは、おまえのおっかさんのお父さん、つまりおまえのじい様が持ってたモノだった。爺様が亡くなった時におまえのおっかさんが、形見分けと言うか遺言で貰ったものなんだよ。もちろんその当時は、爺様もおっかさんもそこまで値の張る刀だとは知らなかったみたいだが」



 鷹春少年は、真剣な面持ちで話に聞き入っている。冬一郎は脂の浮かんだ顔をごしごしとこすると、話を続ける。



「ところが、だ。おっかさんは真面目だけがとりえの、うだつのあがらねえ男と一緒になっちまった。ケツの軽い女ならすぐにでも見限るところだろうが、おまえのおっかさんてのもまた出来たひとでな。その男のために、大事な形見を売っ払って金にしたわけだよ。まあ、刀の本当の素性が判っていたら、質屋だって値がつけられなかっただろうが、価値が判ったのはつい最近だからな」


「………」


「とにかくその金でおっかさんは男を養った。その甲斐あってと言うのも変だが、とにかく男はそれから出世し始めたんだ。そして資料館の館長と言う重職についた。それがおとっつぁんだ。おっかさんは残念ながらおとっつぁんが館長になると同時に、かどわかされたか神隠しにあったか、とにかく行方不明なっちまった。これは知ってるな?」



 少年はぶんぶんと首を縦に振った。


 セイは一切口をはさまず、少年と一緒に冬一郎の話に聞き入っている。



「おとっつぁんは苦労かけたおっかさんにろくな恩返しも出来ないままだったのを、心の底から悔やんでいた。それで、例の刀を手に入れようと思ったわけだ。ところがその刀ってのが実は無類の銘刀で、おとっつぁんが行方を探し当てた時には、すでにその価値が知れ渡っていた」


「それで、おとっつぁんは……」


「ああ、金で買える代物ならよかったんだがな……」



 少年は父が盗んだと言うのが事実だと知って気落ちしたのか、がっくりとうなだれてしまった。


 それを見て、冬一郎が軽く舌打ちをする。



「おい、ボウズ。これだけは言っておく」



 冬一郎の強い口調に、うなだれていた少年はびっくりして顔を上げた。



「おまえのとうちゃんは立派な男だ。なんたって、おまえに言ったことを自分もしっかり実践していたんだからな」


「で、でも、おとっつぁんは……」


「ああ、盗んださ。それがどうした? おとっつぁんはおまえに言ったんだろう? 「お天道様に恥ずかしくないように生きろ」って。苦労をかけたおっかさんのために、せめて刀を取り戻してやろうと言う気持ちの、どこがお天道様に恥ずかしい?」



 冬一郎の言葉に、少年は考え込んでしまう。


 しかしやがて納得がいったのか、決然と顔を上げると言った。



「判りました。盗むこと自体はいいことではないけれど、おとっつぁんの心根は、誰にも恥ずかしいものじゃないと思います」


「あたりめえだ。正しい正しくないは法律が決めりゃいい。俺たちが考えなきゃいけないのは、お天道様に恥ずかしくねえか? それだけだ。おまえのとうちゃんバカだけどカッコいいな?」



 少年は嬉しそうにうなずいた。



「これから行くのは、当時の事情を知っている、刀を買い取った質屋だ。俺は最初、こいつがおっかさんを騙して刀を安く巻き上げたと踏んでいたんだが、その頃は専門家を含めた誰も、その刀の価値がわかっていなかったんだ。だからそいつは、おっかさんを騙したわけじゃない。許してやれよ?」


 少年はまたうなずく。


 冬一郎はそれを見て厳しい顔のままうなずき返すと、腕を組んで座席に身体を深くうずめ、やがて眠り込んでしまった。



 


「菊島さん、ひとあし遅かったよ」



 沈痛な面持ちで、葵秀庵が言った。


 冬一郎も、セイも、あまりのことに二の句を継げないでいる。


 少年は錯乱状態だったので、警察医に鎮静剤で眠らされ、警察病院に運ばれていた。



 やがて自分を取り戻した冬一郎は、鬼の形相で葵に詰め寄る。



「関口鷹山が自決しただぁ? てめえらいったい、ナニやってやがったんだよっ! そう言うことがないように、てめえらは神経を配らなきゃならないんだろうがっ! この大バカヤロウ! ナニやってるんだよ! ナニやってるんだよ!」



 後半、悲鳴に近い声をあげて、冬一郎は葵につかみかかる。葵がされるままになっているのを見かねて、セイが間に割ってはいった。冬一郎はセイに向かって、大声で怒鳴りつける。



「止めるんじゃねえよ、セイ!」


「先生、落ち着いてください。葵の旦那だって、遊んでいたわけじゃないんですから。鷹山のように意志の固い真面目な男が本当に死のうと思ったら、誰にも止められるものじゃありませんよ。先生だって、本当はわかっているんでしょうに」



 冷静ながらも力強く説得するセイの言葉に、冬一郎は激昂を抑えると、セイの手を振り払う。そして、ぶんときびすを返すと警察署を出て行った。向かった先は、間違いなく隣の警察病院であろう。そこに鷹春少年が入れられている。


 その後ろ姿を見送りながら、セイは葵に詫びる。



「勘弁してやってください。先生はずっと鷹春坊のために駆けずり回っていたんです。さっきも鷹春坊にきちんと話をして、坊が父親の気持ちを汲んでやれるようにと苦心していたんです」


「ええ、判っています。悪いのは我々ですから。まさか警官の刀を奪って自害するとは考えていなかったのです。本来ならその危険がある人物には、刀や銃を持たないで接しなければならないのに」


「鷹山はずっと大人しかったみたいですし、窃盗容疑だけでしたからね。自殺を想定することは難しかったと思いますよ。何も葵さんが悪いわけではないでしょう?」


「ありがとうございます。しかし、悪いのはやはり我々です」


 葵は京人形じみて優雅な顔を苦痛に歪ませ、吐き捨てるようにそれだけを言うと、セイに向かって丁寧に頭を下げる。


 セイがお辞儀を返すと、葵秀庵は力ない足取りで署長室へ向かった。



 

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