第9話

 

ぼっ、ぼっ、ぶぉっ! 


 激しい風切音と共に、男の両腕が前に突き出される。


 五指をカギ状に曲げた「猛虎(もうこ)の構え」だ。


 もっとも「猛虎の構え」の名は、ブルーのタンクトップに紺袴(こんばかま)をはいた、この男の命名である。



 対峙するのは、黒地に髑髏(どくろ)を染め抜いた着流しの男。


 派手な着物のすそを端折ると、ゆっくりと両腕を横に開いて構えた。


 「鳳凰(ほうおう)の構え」だと、本人は言い張っている。



 両者の間にぴんと緊張が張り詰める。



「何をやってる?」



 突然、横からかけられた声を合図に、ふたりは一気に詰め寄った。



「フン、ハッ!」


「ケヤァァァァァッ!」



 タンクトップの両手が裂帛の気合と共に必殺の突きを繰り出すのと、髑髏男の左のつま先が怪鳥の叫びに乗って蹴りだされたのは、ほぼ同時だった。


 虎の牙は着流しの胸を捕らえ、鳳凰のカギ爪はタンクトップの顎先を蹴り上げる。


 両者はほぼ同時に地面にひっくり返った。



 声をかけた茶道門倉流宗家、門倉光雲(かどくらこううん)はため息をつくと、地面に転がっている孫とその友人に、一升瓶を差し出しす。



「誠兵衛、冬一郎! 何をやっておる! おおかた、香港映画のDVDでも見たのであろうが。いい年をしてふたりともいい加減にせんか」



 光雲の孫である門倉誠兵衛(かどくらせいべえ)と冬一郎のふたりは、起き上がって着物についたほこりを払いながら、ばつが悪そうに頭をかく。どうやら老人の言ったことが図星だったようだ。


 誠兵衛は祖父から一升瓶を受け取ると、すいと縁側に腰掛けた。門倉流の正統伝承者らしい、隙のない身のこなしである。


 冬一郎もタンクトップの上から木綿晒(もめんさら)しの着物を引っ掛けて、その隣にどっかと腰掛けた。ふたりで湯飲みに注いだ酒を干してゆく。


 銘酒「地獄車」の一升瓶は、見る間にその水位を下げていった。



 叱りつけはしたものの、もともとこのふたりが可愛くて仕方のない爺バカの光雲。


 仲良く盃を交わす二人を微笑(ほほえ)んで眺めているその姿は、茶室にいる時の凛とした光雲とはまるで別人の、ただの好々爺だった。


 と、不意に何かを思い出し、老人は目を細めたまま冬一郎に向かって話し掛けた。



「冬一郎。貴様また何やら事件に首を突っ込んでいるようだの?」



 タクアンの切れっぱしをかじりながら、まったく遠慮なく湯飲みをぐいぐいと傾けていた冬一郎は、びっくりして光雲の顔を見返す。その横で誠兵衛が「またかよ」と小さくつぶやきながら、自分の湯飲みに一升瓶を注いでいた。



「ご隠居、何で知ってるんです? あ、わかった。葵のヤロウがご隠居にチクりやがったんだな? ちっ、嫌なヤロウだ」



 冬一郎は警察署長、葵秀庵伊周(あおいしゅうあんこれちか)の妖艶といえるほど美しい顔を思い出し、忌々しそうに吐き捨てる。



「署長は何も言ってこんよ。警察署に行った時に、刑事課の連中から愚痴られたんじゃ。貴様がわしの名前を出して捜査に口出ししてくるから、やりにくくて仕方ない、とな」



 孫のイタズラを叱る優しい口調で光雲がそう言うと、話を聞いていた誠兵衛が口をはさんだ。



「んだ? おめ、今度は何の話にくちばしを突っ込んでるんだ? おめぇが絡んでるんじゃどうせろくな話じゃないだろうが、友達のよしみで俺が助けてやるよ」



 要は、誠兵衛も一枚噛みたいのだ。


 父、門倉元斎(かどくらげんさい)をして、「門倉流中興の祖、門倉凛元(かどくらりんげん)を彷彿とさせる」とまで言わしめた天才茶人である誠兵衛も、冬一郎と同じく未だ若い青年である。


 悪友が持ち込んでくる面白い話には毎回、いつのまにか一枚噛んでいるのであった。


 冬一郎はそんな誠兵衛をちらりと横目で見ながら、



「ち、結局てめえも乗りたいんじゃねえか」



 と的確にののしる。それでも呑みながらぽつぽつ、光雲と誠兵衛に事のあらましを話し始めた。


 すっかり語り終わる頃には、光雲の持ってきた「地獄車」は、ふたりの飲んだくれによって、あらかたやっつけられてしまっていた。誠兵衛は立ち上がると、奥の間に引っ込んでゆく。


 その後ろ姿を見ながら光雲が聞いた。



「それで? 何か見つけたのか? 関口殿の無実を証明するようなモノを。貴様が、わしの代理とたばかって警察に顔を出したことによって、むこうさんも単純な盗難事件ではないと思い直したのか、調べなおしをするようなことは言っていたが」


「それなんですがね、関口鷹山がヒトコトも言い訳をしないもんで、にっちもさっちも行かなくなっているんですよ」


「意外と、その関口って人がやったんじゃないのか?」



 言いながら帰ってきた誠兵衛の手には、バーボンウイスキーのボトルと分厚いグラス三つ、それにサラミソーセージの塊があった。ざくざくと大雑把に切られたその塊を口に放りこむと、誠兵衛は続きを話し出す。



「なんでもエラい日本刀マニアらしいじゃないか。名刀の魅力に、ついふらふらと盗みを働いてしまったが、もともとは精錬潔白な人物だけに、余計な言い訳はしないで罪に服そうとしてる、ってなトコなんじゃねえの?」


「それなら盗んだ刀の在り処だって吐くだろう? 逆に何があっても言いたくないほどその刀が欲しいのなら、もう少し上手くやるだろうし。国立博物館の館長なんてのは、相当賢くてしっかりしていないと勤まらない。そんな人が、これほどずさんな方法で盗むとは考えづらいだろ? 」



 サラミに手を伸ばしながら冬一郎がそう答えると、誠兵衛はニヤニヤ笑いつつも、的確に突っ込んでゆく。もともと頭のいい男なので、論理的な思考を必要とする話は得意なのだ。



「少なくとも、貧乏道場経営するよりは、賢くなきゃ駄目だろうな。でも、賢い人でも、犯罪なんてやるタイプの人間じゃないんだろう? そのつもりがないのに盗んでしまって、初めての悪事に動揺したって可能性はあるだろうが? それでも刀を手放したくないから、黙っているんだろう」



 それでも納得がいかない様子の冬一郎は、あくまで食い下がる。



「いや、もしそうだとしても、冷静になった時点で、もっと「らしい」対応をすると思うんだよ。刀が欲しきゃ息子と一緒に逃げるだろうし、悪いと思ったのなら刀を帰して罪に服すはずだ。とにかくよ、俺の聞いた関口鷹山と言う人間と、警察でただ黙りこくっていると言う男の印象が、どうしても上手く重ならないんだよなぁ」



 二人のやりとりを聞きながら腕を組んで黙っていた光雲は、バーボンを一口すするとおもむろに口を開いた。



「だとすると、誰かをかばっているんじゃないかの?」



 その言葉を聞いて二人の若者は黙り込む。


 しばらく考えていた冬一郎は、嬉しそうににっこりしながら言葉を発した。



「ご隠居、冴えてるね。多分それだよ。それなら鷹春に聞いた父親像とぴったりくる。なるほど、そうだったか。だったら、そのかばっているヤツってのを捜し出しゃ一件落着だな」


「だからおめぇはバカだってんだよ! 清廉潔白だという鷹山氏がそこまでしてかばうって事は、裏に何かしらの事情があるに決まってるじゃねえか。おそらくその事情ってのを、鷹春坊やに知られたくないんだろうよ」


「……だとすると……あ、そうか」



 誠兵衛の言葉に冬一郎が膝をぴしゃりと打つと、光雲は深くうなずきながら言葉を継いだ。



「うむ。おそらくは彼の妻、その少年の母親がらみの話であろう」



 冬一郎と誠兵衛は、同時にうなずいた。


 光雲は携帯を出すと、どこかに電話を掛ける。冬一郎と誠兵衛はその間、バーボンをぐびりぐびりと飲みながら、老人の一挙手一投足を見守っていた。しばらく誰かと話した後、光雲は電話を切ると、ふたりを振り返る。



「いま葵署長に電話して、その線で調べたかどうか聞いた。どうやら警察も同じような結論に達したらししいな。そう言う方向で取調べを進めていると言っておったわ。さすがに優秀な男じゃ」



 冬一郎は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


 それを見て誠兵衛はニヤニヤしながら冬一郎をからかう。



「おめぇ、葵がらみになると、途端に機嫌が悪くなりやがるな。わかりやすい男だ。鈴ちゃんが葵と繋がりがあるのが面白くねえんだろう? モタモタしやがって。とっとと嫁に貰っちまえばいいじゃねえか。どうせ道場にいねえ時はユメヤにいるんだ。もう、所帯を持ってるようなもんだろうが」



 冬一郎はますます面白くなさそうにバーボンをのみ干すと、口の中でもごもごと言った。



「そう簡単にはいかねえんだよ、これが」



 誠兵衛はけけけと笑ったが、光雲の方は少し心配そうな顔をして冬一郎を見つめていた。この老人も、町内の他のおせっかい焼きと同じように、冬一郎の嫁の来手については心配し続けなのである。もっとも、自分の孫とていっこうに嫁を貰う気配がないのだから、心配はふたり分なのだが。


 ケラケラとからかう誠兵衛にじろりと睨みをくれると、冬一郎はいまいましげにサラミをかじりながら、相変わらずの速いペースで盃をやっつけ続けた。


 冬の短い陽は、そろそろ沈みはじめている。




 

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