第8話

 

「女将(おかみ)さん。泥棒の親分にはどこに行けば会えるんですか?」



 思いつめた表情で、ユメヤの暖簾(のれん)をくぐるなりそんな物騒な質問をしたのは、年のころ十二、三のまだあどけなさの残る男の子だった。


 ツギハギだらけの薄汚れた着物の上に、これまた大層くたびれたグレーのコートを着ている。すそを引きずるほど丈が長いのは、コートの本当の持ち主が父親あたりだからか。くたびれていても物自体は大変よいところを見ると、どうやらタダそこいらの小僧と言うわけでもなさそうだ。


 そう言う目で見ると心なしか品がいいようにも見える。


 一方、いきなりそんなことを問われたユメヤの女将、鈴(すず)は、目を白黒させながら言葉を詰まらせた。


 その濡れたように輝く大きな瞳を、少年が神妙な顔つきで伺う。


 そこへ、奥から声がかかった。



「なんだぁ? ボウズぁ泥棒になりてえのか?」



 厠(かわや)の帰りに二階へ上がろうとしていた冬一郎(とういちろう)は、少年の言葉を聞きとめ、ニヤニヤしながら近寄ってくる。


 日中のちょうど風呂屋に客のいない時間。仕事上がりの早い大工どもが、ちょいといっぱいと顔を出すにはまだ幾らか早いそんな時間に、冬一郎は風呂屋の二階で飲んだくれているのだ。


 困った男である。



 柔術の稽古や塾の授業がない日、冬一郎は必ずと言っていいほどユメヤにいる。しかし、夕暮れの忙しい時間に備えて昼間から仕込みをしている鈴や店の連中には、彼の相手をするほど暇な者はいない。


 退屈をもてあました冬一郎はいつも、窓からの景色をボケっと眺めたり、近隣をぶらぶらしながら何か面白そうな話を探しているのである。


 彼の親代わりと自称する隣の豆腐屋のおかみが、嘆息しながら説教する気持ちも判ろうと言うものだ。



「違います。おとっつぁんのために、泥棒を捕まえたいんです」



 少年は、冬一郎のからかいの言葉に対して、むしろこちらのばつが悪くなるほど真剣な面持ちで答えた。半笑いを浮かべていた冬一郎は、これはと思い直し真面目な顔で少年を諭す。



「ボウズ、そりゃぁ警察の仕事だ。おめえひとりで何が出来るってもんでもないだろう? 」


「警察が、おとっつぁんを捕まえたんです。でも、おとっつぁんは絶対そんなことしません。いつもおとっつぁんは、バカでも貧乏でも何でもいいからお天道様に恥ずかしくないように生きろと言っていたんです。泥棒なんて絶対にするはずないんです!」



 少年は逆に冬一郎を説得しようとするかのように、真摯な口調で父親の無実を訴えた。


 こちが気圧されてしまうほどの勢いだ。


 冬一郎はちょっと考え込んだあと、何かを思いついたのかにやりと笑って振り返り、後ろで成り行きを見守っていた鈴に向かって言った。



「鈴、酒と…なにか美味い物を持ってきてくれ」



 鈴は微笑みながらうなずくと、奥の厨房に引っ込む。


 冬一郎は少年を促してとんとんと二階へ上がり、からりとふすまを開けていつもの小座敷へ入る。指定席である窓っぺりへどすんと腰掛け、座敷の入りっぱなで立ち尽くす少年に、目顔で座布団を指す。


 座布団にぺたりと座った少年の顔を見ながら、懐のタバコを取り出して火をつけると、ゆっくりと美味そうに吸い込んだ。しばらくそのままタバコを喫んでいた冬一郎は、「なにか言いたいのだが当惑して何も言えなくなっている」といった風の少年に向かって、陽気な声で話し掛ける。



「おめえの名前はなんてんだ?」


「関口鷹春(せきぐちようしゅん)です」


「おやおや、資料館とこの鷹春|坊(ボ)ンじゃないか。先生、この子の父親はあのひとですよ。ほら、国立歴史資料館の館長、関口鷹山(せきぐちようざん)です」



 突然の声に驚いて少年が振り向くと、後半を冬一郎に向かって言いながら、セイが座敷に入ってくるところだった。冬一郎は慣れたもので、ふんと鼻を鳴らしただけだ。


 セイはその顔に向かって、にやりとしながら頭をさげる。


 この元内閣諜報部のスパイは、いつも寸前まで気配を感じさせない。しかも必ずと言っていいほど、冬一郎が一杯やっている時に訪れては、酒だの肴だのを失敬していくのである。


 少年がビックリしているのには構わず勝手に入り込んでくると、セイは少年の向かい側の座布団にどっかと腰をおろした。そして、あたりまえのように



「鈴姉さん。お銚子と肴、一人前追加してください」



 と階下へ声をかける。鈴のそれこそ鈴を転がすような声が返ってくるのを聞くと、満足そうにうなずいてようやく少年と冬一郎に視線を移した。冬一郎は呆れて肩をすくめながら、この妙に憎めない30男に声をかける。



「なんだよセイ、知り合いか?」


「みんな知ってますよ。ついこの間、窃盗だか業務上横領だかで逮捕された、隣町の歴史資料館の館長じゃないですか。少しは新聞読むなり、ニュース見たほうがいいですよ、先生」



 その言葉に、少年がうつむいたまま拳を握るのを見て、冬一郎は顔をしかめながらセイを睨む。セイが「しまった」という顔をするのにむかって、声を出さずに口だけで「バカ」とののしっておいてから、少年の顔を覗き込んで満面の笑みを浮かべる。



「そう言うわけで、俺ぁ状況がカイモク判らねえんだ。逆に言えば、端(はな)からオヤジさんが犯人だなんて決め付けてもいねえ。だからよ、ココは一つ安心して詳しい話をしてみちゃあどうだ?」



 少年は、冬一郎の言葉にぱっと顔を上げた。


 それでもしばらく逡巡していたが、やがてぽつりポツリと話し始める。


 途中で冬一郎とセイが聞きなおしたり、確認しながら話を引き出した。



 真面目一本槍で国立歴史資料館の館長を勤めていた関口鷹山は、資料館に寄贈されて公開を待っていた日本刀を盗んだ容疑で逮捕されている。


と言う、今までわかっていた話に付け加えて少年は、



「資料館に運び込まれる前に有名な鑑定士が鑑定して、刀が本物だと言う事は確認されていたんです。そのあと、おとっつぁん以外にその刀に触れる機会のあった者はいないのに、公開前のチェック作業のときに、偽物と入れ替えられていることが判ったんです。それで……」



 と、冬一郎に必死に訴えた。そのあとの話を要約すれば、


 鷹山はその筋では有名なコレクターで、常々その刀を欲しがっていたことは、コレクター仲間の証言によってすでに確認されている。他に刀に触れる機会のあった者もいない。そう言った状況証拠と、鷹山本人が黙して何も語らないため、ついに逮捕となった。


 とまあ、だいたいこんな経緯だった。



 鷹春が話し終わるのと同時に、膳に肴とお銚子を載せた鈴が階段を上ってきた。


 集中して話を聞いていた冬一郎とセイは、少年の話がひと段落すると、ほうとため息をつき少年に食事を勧める。父親を心配するあまり蒼白になっていた少年は、それでも素直にはいと答えて、どんぶり飯とホタテを甘辛く煮たものに箸をつける。


 その様子を見て満足そうにうなずいた冬一郎は、自分も盃に手を伸ばした。


 そのそばへついと寄ってくると、鈴は盃になみなみと酒を注ぐ。冬一郎は、鈴がこぼさないようにと気を使って八分目に入れると、「山盛りにしろ」などと訳のわからない事を言って怒る。だからそれこそ表面張力で盛り上がるくらいに注いでやるのだ。



 冬一郎は盃の方に自分の口を近づけて酒をすすると、鈴に向かって満足そうに、にやりとした。当然セイの方は肴のホタテをつまみながら、とっとと手酌でヤり始めている。どんぶり飯とホタテの煮付け、タクアンに佃煮の食事を摂り終わると、少年は心細そうな表情で冬一郎を見た。


 その様子にセイが優しい声をかける。



「鷹春坊ン、安心なさい。この人は一見すると飲んだくれで頼りなさそうに見えるがね、いや、飲んだくれなのは間違いないんだが、これでもずいぶんと頼りになるお人なんだよ。大船に乗った気でいるがいいさ」



 勝手なこと言いやがると思いながらも、あからさまに安堵のため息をついた少年を前にしては、セイの言葉を否定できる冬一郎ではない。盃を置いて背筋を伸ばすと、どんと胸を叩いてにっこりと笑った。



「任しときなボウズ。おとっつぁんの無実は、俺が必ず証明してやるから。そン代わり、おまえも一生懸命手伝うんだぞ?」



 その言葉に少年は力強くうなずき、セイはおや? と意外そうな顔をして冬一郎を見返す。しばらく考えて合点が行ったのか、やがてセイの口元が優しく緩んだ。


 少年は今、父親のことが心配で仕方ない、不安定な精神状態である。任せて待っていろと言うよりは、一緒に手伝うと言う名目で何かをさせていた方が、気持ちが安定することは間違いない。


 へえ、先生もなかなかやるもんだと、セイは感心する事しきりであった。


 すると今度は今まで黙って話を聞いていた鈴が、少年の目をまっすぐ見据えながら、しゃきしゃきと言った。


「鷹春さん。お家はきっとマスコミでいっぱいでしょう。あなたにはお母様がおられないのでしたね? それなら、ここに泊まって行かれるといいですよ。ここなら新聞記者もテレビ記者も、あちが一歩たりとも入れさせませんからね。安心してお眠りなさい。そして元気になったら菊島先生をお手伝いして、お父様の汚名を晴らしなさいな」


「でも、それではご迷惑……」


「心配は要りません。お父様をお助けしたら、きちんとお宿代をいただきますから。ね? わかったら奥の座敷にお行きなさい。お布団が敷いてありますから、そこでゆっくり眠るんです。どうせ幾らも寝ていないのでしょう?」



 強めの口調と優しい笑顔に素直にうなずくと、少年は鈴に連れられて奥の座敷に下がった。


 冬一郎は満足そうに目を細めてその後ろ姿を見送ると、盃を手酌で満たし、ごぶりとやる。セイは二人の優しさが、やけに嬉しかった。冬一郎の顔を見ながら、少々はしゃいだ調子で言う。



「先生。あしは先生と鈴姉さんが大好きですよ」



 冬一郎は怪訝な顔で、タバコの煙をぷかりとやりながら半笑いで答えた。



「何だ、セイ? おめえ、なんか変なもんでも喰ったんじゃねえか?」



 そこへ鷹春を寝かせた鈴が帰ってくる。



「先生、私が作った肴が悪いって仰るんですか? 酷いひと」



 わざと唇を尖らせる鈴に、冬一郎はうへえと首をすくめる。


 ごまかすように急いでホタテにかぶりついたが、慌てすぎたのかムセてしまい、ごほごほと咳をする。



「ほらごらんなさい。バチが当たったんですよ」



 くすくすと笑いながら鈴は、冬一郎の背中をさする。



「先生、それじゃこれからの段取りをつけましょうや」



 セイはくすぐったいような顔をしてぼりぼりと頭を掻くと、照れ隠しに大声で言った。


 その大きな声にしいっと言いながら、鈴は人差し指を艶やかな唇に当てる。そしてその指で、少年の眠る奥の座敷を指した。


 たしなめられ、セイもこれまた首をすくめた。冬一郎がすかさず、さっき怒られたのを棚に上げて、声を出さずに「ば~か、ば~か」と囃(はや)す。


 子供のようなその様子に、セイは呆れて苦笑しながら肩をすくめた。


 それでも、なんだか嬉しくてニヤニヤと笑いながら、今ごろは奥の座敷で可愛らしい寝息を立てているであろう鷹春に向かって、小さな声でつぶやく。



「なぁ坊ン。この人達なら大丈夫だ。安心してお眠り」




 

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