第4話

 

「ごめんよ」



 冬一郎が玄関先で声をかける。


 と、中から艶のある絹の黒地にまっ白い髑髏(どくろ)の柄を描いた、派手な着流しの男が顔を見せた。



「おや? 珍しいヤロウが来やがったな。どうした?」



 その顔ににやりと笑いかけると、冬一郎は家の中を指した。



「なに、ご隠居に相談事があってな。どうも俺の手には余りそうなんだよ。ご隠居は奥か?」


「ああ、奥でまたなにやら難しそうな本を読んでるよ。今、邪魔するとうるさいから、しばらくこっちで待ってろや。そのつもりだったんだろう?」



 冬一郎の顔ではなく、ぶら下げてきた一升瓶を横目で見ながら、髑髏の男が言った。



「まあな」



 答えたときにはすでに、上がり框(かまち)に足がかかっていた。


そのまま勝手知った様子でずんずんと家の中にあがりこむ。男は男で案内もせず自分は台所に向かうと、湯飲みと漬物の乗った皿を持って冬一郎の後を追った。


 男が酒肴の仕度を持って座敷に入ると、冬一郎はすでに窓辺へどっかりと腰を下ろし、目を細めて庭の景色に見入っていた。


 実際、よく手入れの行き届いた美しい枯山水である。この凛(りん)とした庭が妙に好きで、冬一郎はこの家に来るといつも同じ場所に座る。


 髑髏の着物の男は差し向かいにあぐらをかくと、湯飲みに酒を注いで勝手にやり始めた。


 庭を眺めていた冬一郎は、やがて振り向くと、こちらも無言で一升瓶を傾ける。


 しばらくの間、酒を注ぐ音と漬物をかじる音だけが座敷に響いていた。



「うん。いい酒だ」



 髑髏の男がにやりと笑うと、冬一郎も片頬で笑いながら、



「綾瀬の新造オヤジんところで買ってきた」


「そうか。あっちに用事があったのか?」


「いや、おめえに買って来たんだよ。おめえにも一枚噛んでもらいてえと思ってな」


「ち、そんなこったろうと思ったぜ。やっぱり、タダ酒は高ぇや」



 男は漬物をかじって湯飲みをごくりとやると、



「特におまえのタダ酒はな」



 と言って笑った。



 男の名は、門倉誠兵衛宗春(かどくらせいべえむねはる)。


 門倉流宗家の嫡男であり、冬一郎の一番の悪友であった。


 門倉流と言うのは、歴史的には裏千家と同程度の長さを持つ、茶道の家元である。


 一子相伝というあまり意味のない流派の掟(おきて)を頑(かたく)なに守っているため、世に出ることもない全くもって無名の流派で、冬一郎も誠兵衛と出会うまではこれっぽっちも聞いたことはなかった。


 彼らの出会ったいきさつと言うのが、これまた不思議な縁のめぐり合わせなのだが、長くなるのでまた後日にゆずる。



 庭を眺めたりバカ話をしながら二人が呑んだくれていると。


 やがて誠兵衛の後ろのふすまが、すいと音もなく開いた。立っていたのは、先ほど冬一郎がご隠居と呼んでいた誠兵衛の祖父、門倉光雲信綱(かどくらこううんのぶつな)である。



「ご隠居。お久しぶりです。お元気そうで何より」


「冬一郎か、久しいな。貴様もっと顔を出さんか。わしぁおまえの親代わりなんだからの」



 どうにもちゃらんぽらんな生き方が心配なのか、この街には冬一郎の親代わりと称する人間がやたらと多い。本人は人徳だの、うるさくてしょうがないだの勝手なことを吹いているのだが、そう言っている本人が、やたらと人の厄介ごとに首を突っ込むのだから世話はない。


 要するに、そういう町の気風なのである。



「すみません。これでなかなか忙しいもンで。でもご隠居。ご隠居が親代わりってんじゃ俺、誠兵衛のオヤジになっちまう。そいつは勘弁して貰いてえな。ご隠居ぁ、どっちかってえと……爺代わりですぜ?」



 片膝を立てて湯飲みの酒をあおりながら、人なつっこい微笑を見せる冬一郎に向かって目を細めると、まさしく孫を見る笑顔で光雲は答えた。



「ははは、確かにの。それで? 今日は何の用だ?」


「実は、折り入ってお願いがあるんですが」



 居住まいを正し真面目な顔になった冬一郎に、やれやれといった顔を返す光雲である。



「ち、貴様がそういう殊勝(しゅしょう)な顔をしてるときは、大概やっかいな話を持ってきた時だからの。部屋で寝てりゃよかったか」


「まあ、そう言わないでお願いしますよ。実はですね……」



 冬一郎は、奈津がシラハマの長男新之助に目をつけられて、それを自分が助けた話を手短に語る。光雲と誠兵衛は口をはさむこともなく、黙って話を聞いていた。



「で、どうやら上手く行ってたんですよ。俺が相手じゃ若い衆を使って脅したってカエルの面になんとやらだし、かと言っていくらシラハマでも、商売の方でどうにかするってのは無理だ。商社と町道場じゃ畑が違いすぎますからね。なもんで、とりあえず話は終わったろうと思っていたんです」


「うむ。今のところわしの出番はないようじゃな」


「どっこいシラハマも、さすがにアレだけの大店を一代で築いた男です。諦めが悪いのは商人の長所とばかりに、やっこさん、次の手を繰り出してきました。人を使って俺をつけ回させ、俺に他の女っ気がないか調べさせたって訳です」


「それじゃ、いろいろと出てきてシラハマの奴も喜んだろう」


「やかましいや」



 まぜっかえす誠兵衛の顔をひと睨みすると、冬一郎は再び光雲の方を向いて話し出した。



「んで、冬一郎はユメヤの鈴って女とねんごろだってな話を、奈津のところへご注進にいった訳ですよ。ごていねいに新之助本人がね。ところが奈津はちっとも動じない。あたりまえです。もともと俺と奈津はなんでもねえんですから。しかし、新之助にしてみれば、奈津の『ほかに女がいようと怒る気もみせない』っつぅ一途なところが、ますます気に入っちまったというわけです」


「はは、てめえの書いた絵図面なんぞ、そんなもんだ。それじゃあまるっきし、もとの木阿弥じゃねえか。いや、余計に惚れたってんだから、もっと始末が悪りいやな。まったくドジなヤロウだぜ」


「うるせえっての。誠兵衛は少し黙ってろ。でね、ご隠居。シラハマの野郎、ついに手っ取り早い方法に出たんですよ。バカなヤツラなんですが」


「ふふん、かどわかしか」


「そういうことです。まったく奈津の奴もよくかどわかされるなぁ、ってなモンなんですが、まあ、そう呑気にもしてられなくて。なんたってシラハマっていや例の……」


「うむ? ああ、そうか。『幸福の実り』か……なるほどな。宗教団体相手じゃ、警察もうかつに手出しはできない。それで、わしのところへきたわけじゃな?」



 宗教法人「幸福の実り」は、総合商社シラハマの社長である白浜幸甚(しらはまこうじん)主催の新興宗教団体である。書類の上では商社シラハマとは何の関係もないことになってはいるが、実質は税金対策と社員の洗脳、およびシラハマが裏金を作る資金源と言われている。


 拉致された奈津が洗脳されれば、警察は手出しすることができなくなる。


 本人に自分の意志でそこにいるのだと主張されては、誘拐が成り立たなくなってしまうからだ。


 そこで彼女が洗脳される前にシラハマ内部に潜り込み、奈津を助け出そうと言うのが冬一郎の作戦であった。そして、その後のごたごたを収めてもらうのに、この、やたらと顔の広い光雲の力を借りたいと言うのである。



「わかった。洗脳される前に助け出してしまえば、こりゃ立派にシラハマの誘拐が成り立つからの。あとは警察をちらつかせながら、わしが白浜幸甚と話をつけてこよう。冬一郎、そうと決まれば一刻も早く行動せねばならんぞ?」



 光雲が言うのと、誠兵衛が立ち上がるのが同時だった。



「そうは言っても、具体的にどうするつもりなんだ? またドジな絵図(えず)引きやがると、今度はタダじゃすまねえぞ?」



 誠兵衛が湯飲みを干しながらそう言うと、冬一郎は向き直り、真剣な面持ちで言った。



「もぐりこんで、中から建物の鍵をはずして、奈津を連れて逃げ出すのさ。セイのヤロウと、俺と、おまえがいりゃあ、そう難しいことじゃねえだろう?」


「するってえと、誰が『幸福の実り』にもぐり込むんだ? セイの奴か……いや、セイは無理だな。あすこの長男坊と一、二回やりあってるから面が割れてる」


「俺もダメだ。それで誠兵衛、おめえに行ってもらいてえんだ。ひとつ頼まれてくれ」



 誠兵衛は少しだけ考えるような仕草をすると、ふいににやりと笑って冬一郎の顔を見た。



「じゃ、おめえはまた綾瀬に行って、新造オヤジの酒を一斗ばかり買い込んでおけ」



 それが誠兵衛の返事だった。




 

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