第2話

 

 河原には10人の警官隊がいた。すでに抜刀して以蔵を取り囲んでいる。


 以蔵は腰溜(こしだ)めに刀を構えたまま、身体をハスにして警官隊を睨みつけていた。その後ろには奈津(なつ)が気丈にも唇をしっかりと結んで、同じように警官隊を睨んでいる。


 一斉に抜刀した様子は、まさに白刃の林である。


 睨みつけながらも以蔵は、内心、縮み上がっていた。



 初代内閣総理大臣、坂本竜馬が明示(めいじ)政府を開いてから130年。


 平聖(へいせい)の現代。日本は国際社会の一員として、また経済大国として、良くも悪くも大きな存在となっている。


 自国の文化と外来の文化の調和に成功した日本は、古くからの精神的文化を大切にしながらも西洋文化をしっかりと取り入れていた。


 しかし、この国において唯一、外国に非難されている習慣がある。



日本刀の帯刀だ。



 警官や軍人が銃や刀を所持することはともかく、免許を取得すれば誰でも日本刀が持てるというこの悪法を、どれだけ外国に非難されようとも日本政府は頑(かたく)なに守りつづけてきた。


 もっとも刀による傷害事件は、正当防衛を除いて最低10年の実刑であるから、実際に刀を抜いて喧嘩することは少ないのだが。


 それでもこの野蛮な習慣は、外国人にはなかなか理解されにくいものであった。



「待て待て待てぇ! それっきし動くんじゃねーぞ! てめーら、以蔵に怪我なんぞさせたら、タダおかねえからな、コラッ! 刀を収めやがれっ!」



 大声を上げて飛び込んできたのは、もちろん冬一郎である。愛刀の虎鉄(こてつ)を引っさげて、警官隊と以蔵の間に割って入った。そこへ例の美形署長、葵秀庵が現れる。手には最新武器である、スタンブレードと呼ばれる電撃刀を握っていた。


 葵はこの上なく儚げな笑みを浮かべると、やさしい声で冬一郎に言った。



「菊島さん、お退きください。でないと、あなたも公務執行妨害で逮捕しなくてはなりません。まさかコレだけの人数を相手に逃げられるとは思っていないでしょう?」



「どうだかな? てめえの部下に聞いてみな」



 怪訝な顔で葵が振り返ると、警官隊のひとりが進み出て敬礼しながら言った。



「申し上げます。我々10人では、おそらく菊島氏を拘束することは不可能であると思われます。殺してもよいということであれば、どうにかなる可能性もありますが。それでも、被害が甚大なものになることは間違いないかと思われます」



 葵はビックリしたように冬一郎を振り返る。



「話には聞いていたが、それほどまでに手練(てだれ)とは……」


「そういうことだ。なあ、署長さん。こいつらこのまま逃がしてやっちゃあくれないかなぁ? 惚れた相手と一緒になるのが、人間、一番の幸せだとは思わないか?」



 冬一郎の言葉に、終始穏やかだった葵の顔がぴくりと反応する。


 葵はそのまま電撃刀を抜刀すると、冬一郎に向かって構えた。電撃刀の刃先からバチバチと青い火花が散る。刃先と鍔元の間に高圧の電流が流れるこの刀は、手練の刀使いに対する警察の新兵器だった。


 葵はこの新兵器を正眼に構える。



「ちっ、メンドくせえモンもってやがる」



 葵の刀を受ければ、その瞬間、冬一郎の身体は電気に打たれて失神するだろう。


 冬一郎は刀を鞘(さや)に収めたまま、じりじりと相手との距離を測った。左手で鯉口を切り、右手を柄に添えている。そのままの姿勢で冬一郎は以蔵に叫んだ。



「以蔵! 船に乗れ!」



 飛び上がった以蔵は、それでも奈津の手を引いて、急いで船に向かって走り出した。


 逃がすまいとして駆け寄ろうとする警官を、冬一郎がじりっと近寄って牽制する。警官も冬一郎の腕を知っているだけに、そう簡単には動けない。


 と、冬一郎の気が一瞬それた隙を見逃さず、葵が飛び込んできた。


 反射的に刀で受けそうになり、冬一郎は慌てて身体をひねる。


 間一髪避けられた葵の刃は、そのまま跳ね上がって下から冬一郎を襲う。読んでいた冬一郎は、これを鞘ごとの刀で受けた。バチバチと火花が散るが、鞘は木製である。斬撃に割れはしても電気を通すことは無い。



 冬一郎は鞘の破片を飛ばしながら葵の刃を跳ねのけると、そのまま抜刀して葵の胴をなぎ払った。無論ミネ打ちではあるが、ミネと言っても要は鉄の棒である。殴られれば悶絶は間違いない。


 しかし葵も使い手であった。


 体勢を崩しながらも、冬一郎の刀を避けて地面に転がった。


 冬一郎は、警官隊が自分達の戦いに見とれて、以蔵を追っていないのを確認すると、転がる葵に組み付いて電撃刀をもぎ取ろうとした。葵もそれを察知して、電撃を浴びせようと刀をこちらに向ける。


 二人は柄を握ったまま、ごろごろと転がった。



「何をしている! 早く以蔵を追え!」



 葵の命令で我に返った警官隊が慌てて走り出す。


 刀を放して立ち上がった冬一郎が、その後を追って走り出した。


 と、見えた刹那、冬一郎はびくんと震えてその場に倒れこむ。


 葵の伸ばした刃先のほんの数センチが、冬一郎の体に触れたのである。



 葵はゆっくりと立ち上がり、ジャケットについた泥を払う。


 それから、倒れている冬一郎を悲しそうに見つめた。


 二人の身体に、月あかりが煌々と注がれていた。


 




「結局、先生のくたびれ損だったって訳ですな」



 ユメヤの二階の小座敷で、セイが湯豆腐を突っつきながら、にやにや笑って言った。


 今日は冬一郎の余りではなく、自分の膳を前にしてご機嫌である。


 冬一郎は、ふん、とそっぽを向いたまま、立てひざでぐいと盃をあけた。燦々(さんさん)と照る太陽に目を細めながら、窓の外を行きかう人の波を何とはなしに眺めている。


 その横で鈴が穏やかな微笑をたたえながら、冬一郎がちっとも食べない肴をゆっくりと口に運んでいる。



「ウネミヤが訴えを取り下げたせいで、誘拐事件じゃなくて内輪の揉め事として処理されたんですよね? 以蔵はお咎めナシ、って事らしいじゃないですか? よかったよかった」



 わざと大声で「よかった」を連発するセイに一瞥をくれると。


 冬一郎は、ごぶりと一気に盃をあおり、鈴の前に突き出す。


 鈴はニコニコしながら、黙って酒を注ぐ。



「どうしてウネミヤは訴えを取り下げたんです?」



 鈴が訊くとセイは、冬一郎を伺いながらも上機嫌で言った。



「あしの調べたところじゃ、あの新任の署長さんが裏で手を回したらしいですよ。ウネミヤもあくどい事をやってますからね。それを見逃す代わりに、以蔵への訴えを取り下げさせたようで」


「ふうん。なかなか粋なところがあるじゃありませんか」



 鈴の言葉に、今度はあからさまに不機嫌な顔でじろりと睨みを効かせた冬一郎は、そのままごろりと横になった。



「先生、今日はガキどもの稽古はお休みですかい?」



 冬一郎は答えない。


 セイは鈴に向かって肩をすくめて見せる。鈴は笑いながら、窓の下を指差した。覗いて見ると窓の下には小さな男の子が二人、柔術着をもって立っていた。


 にやりと笑ったセイは。



「先生! 先生! チビどもが待ってますぜ?」



 それでもふて腐れた様子で、しばらく聞こえない振りをしていた冬一郎。


 やがてのっそりと起き上がると、ぼりぼり頭をかきながら、階段を下りていった。



「先生、お勘定は別々ですぜ?」



 背中にかかるセイの言葉に、冬一郎は振り向いて吼えた。



「やかましい! 葵とか言う署長にツケとけ!」



 セイは、うへぇとクビをすくめると、鈴の方を向いて苦笑した。


 鈴は微笑んで、窓の外を見る。



 冬一郎が子供達の頭を小突きながら、わいわいと道場へ帰ってゆくところが見えた。


 ほほえましいその様子に、おもわず目が細まる。


 セイが、やけに嬉しそうな顔で盃を干した。



 冬の空は晴れて、雲ひとつない。



 

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