冬一郎参上

@hiroto-fujimura

第1話

 

「いつまで寝てるんだい! お天道様はとっくの昔に昇ってんだ! 目ン玉腐っちまうよ!」


「わかった、わかった。こちとら昨日の酒が残ってるんだ。そうでかい声を出しなさんなよ」



 酒くさい息を吐きながら、冬一郎(とういちろう)はしぶしぶと起き上がった。


 隣の豆腐屋のおかみさんはその様子を呆れたように横目で見ながら、道場の窓を次々と開け放つ。


 師走の冷たい風が窓から入り込んできて、二日酔いの顔をなでてゆくのが心地よい。



「おかみさん、今日の稽古はお休みなんだよ。もう少し寝かしてくれたっていいじゃあないか」


「冗談じゃないよ! いい若いもんが、こんな昼日中(ひるひなか)までごろごろして」



 おかみさんはそう決め付けると、のそのそ起き上がった冬一郎に向かって、ホウキを振り上げた。おかみさんは北神流(ほくしんりゅう)の使い手だから、たとえホウキでも、殴られるとひどい痣になる。


 慌てて枕もとの刀を引っつかむと、冬一郎は道場を飛び出した。



 おかみさんは今でこそ豆腐屋の女房だが、元はさる大きな武家の三女で、剣術、薙刀(なぎなた)、小太刀と一通りの武芸を仕込まれているのである。つまり武家のお嬢さんが、出入りの豆腐屋といい仲になり、駆け落ちしてきたと言うわけだ。


 その際に、二人を追いかけてきた実家の追っ手を冬一郎がこてんぱんにとっちめた。


 それが縁でおかみさんとその亭主は、冬一郎の柔術道場の横で豆腐屋を始める。


 元々は自分の住んでいた母屋を豆腐屋夫妻に貸して、冬一郎自身は道場に住んでいる。


 そしてその家賃と柔術道場の月謝で暮らしている。つまり冬一郎は間違いなく、おかみさんにとっての大家なのだが、おかみさんの方はそんなこと露ほども気にしない。そればかりか天涯孤独の冬一郎の母親代わりとばかりに、いろいろと世話を焼くのだ。


 なお家賃や月謝は微々たるもので、冬一郎はちょくちょく色んなアルバイトもしている。



「こんなことなら、家を貸すんじゃなかったなぁ」



 と言うのが最近の冬一郎の口癖である。


 もっとも、この男だって豆腐屋夫妻のさっぱりとした気性には好感を持っていて、口で言うほど嫌がっているわけでもない。


 照れ隠しみたいなものだ。


 おかみさんに追っ払われスタコラサッサと逃げ出した冬一郎は、近所のソバ屋に入った。馴染みの主人に「いつもの!」と声をかける。


 店の隅の指定席にどっかりと座り込み、やがて出てきたソバガキと焼き味噌をつまみに、立て続けに湯飲みで冷酒をあおる。


 ようやく人心地ついたとばかりに、機嫌よく鼻歌を歌っていた冬一郎に向かって、ヒマそうな主人が声をかけてきた。



「先生、豆腐屋のおかみさんに、おん出されて来たんですかい?」


「おうよ。まったくあのおかみさんにも困ったもんだぜ」


「まあ、まあ。あの人も根がいいひとですからね。先生の親代わりを買って出てるようだし、自堕落な生活をしてるのを見ると、放っておけないんでしょうよ」



 顔をしかめた冬一郎に自家製のタクアンを出し、主人は苦笑しながらなだめた。


 冬一郎の事を、町の住人は先生と呼ぶ。



「ちっ、親父もおかみさん贔屓(びいき)かよ。やっちゃいらンねえな」


「みんな先生には世話になってるから、心配してるんですよ」


「余計なお世話だっての。なんでこう、ここいらの人間はおせっかいなヤツばっかりなんだろうね」



 そうブツブツと口を尖らせて文句を言いながら冷酒をあおる。


 主人は黙ったままニコニコと笑い、自分も一升瓶を傾けて湯飲みに注いだ。


 



 街を夕闇がつつむ。


 冬一郎は下駄を引きずりながら、懐手(ふところで)のまま飲み屋街を歩いてゆく。


 時たま帯に挿(さ)した携帯電話(スマートフォン)が音を立てるが、冬一郎は着歴さえ見ようともせず、夜の風にぼさぼさの髪をなびかせてきょろきょろとあちこちを見回している。


 綺麗な女の子をからかったり知り合いと話し込んだりしながら、あちこちの店に顔を出してゆくが、安いのだけが取り得の飲み屋街はどこも客でいっぱいだ。


 安い色宿の客引きがそでを引くのを振り切りながら、冬一郎は通りのドンツキにある、ユメヤと言う風呂屋に入っていった。


 無論、風呂に入るためではなく、二階の休憩所で飲むためである。


 ユメヤだけでなく大抵の風呂屋の二階には休憩所があり、風呂上りの客はそこで食事をしたり酒を飲んだりする。少々フトコロの暖かい者は、芸者を呼ぶことさえある。



 暖簾をくぐり、番台の小僧に一声掛ける。


 心得た小僧は奥に向かって声を上げた。


 中から出てきた女将の鈴(すず)に手を上げて挨拶すると、冬一郎はそのまま二階に上がってゆく。


 二階は結構な入りで、馴染みの顔もちらほらと見える。彼らは冬一郎の顔を見るとこっちに来いと誘ってきた。冬一郎は顔の前に片手を立てて拝むような仕草をしたあと、奥の小座敷を指す。


 それで鯨解(げいかい)した馴染みは、それ以上冬一郎を誘うことも無く、またバカ話をしながら呑み始めた。


 冬一郎は小さく笑うと、小座敷の中に入る。


 程なくして鈴が、酒と肴(さかな)の乗った膳を持ってあがってきた。


 一声掛けて冬一郎の返事を聞くと、そうっとふすまを開ける。


 中では冬一郎が、窓っぺりに腰掛けて鼻歌を歌っていた。



 鈴は、黙ったまま膳を整えると盃を差し出す。


 冬一郎はゆっくりと立ち上がると、膳の前にあぐらをかいて盃を受け取った。


 鈴は袖をまくって陶磁器のように白い腕を見せながら、銚子を取って酒を注ぐ。


 冬一郎は黙ったままひと息に盃を干し、ぶん、としずくを切って差し出した。鈴が受け取ると、銚子を取り上げて盃を満たす。


 彼女が盃を干すときに、白い首と着物の胸元がよく見えた。


 それを目を細めて眺めながら、冬一郎はあご先で窓の下を指す。



「ずいぶんとキナくせえじゃねえか」


 鈴は小首をかしげて冬一郎を見た。その仕草が、またなんとも言えず色っぽい。思わず抱き寄せそうになって、思いとどまった冬一郎は、慌てて言葉を継ぐ。



「表だよ。物売りや浪人を装っちゃいるが、ありゃ警察だ。アレで変装してるつもりだってんだから、笑わせやがるぜ。何があったんだ?」


「そのことでご相談があるんです」



 鈴はささやくように言いながら、隣の座敷に目を向けた。


 冬一郎はうなずくと、立ち上がって仕切りのふすまを開ける。開いた向こうには、ひとりの男が超然と座っていた。鈴に負けず劣らずの、真っ白でつややかな肌。長いまつげの下の、すっと切れ長の目。紅を差したように赤い唇。


 そこだけ周りよりも気温が低く思われるような気配を発しつつ、その男は静かに座っていた。


 窓から差す月明かりが、男の妖艶(ようえん)さを一段と引き立てる。



 美しい男であった。



 冬一郎は断然面白くないと言った顔つきで、鈴を振り返る。



「こいつが何をやらかしたんだ?」


「やらかしたのは、私ではありませんよ?」



 鈴が答える前に、男が後ろから答えた。冬一郎はくるりと振り向くと男に向かってわめいた。



「まず、名乗りやがれ」


「これは失礼。私はこのたび警察署長に就任した、葵秀庵伊周あおいしゅうあんこれちかと言います」


「俺ぁ、菊島冬一郎三矩きくしまとういちろうみつよしだ。通り一本向こうで柔術道場をやってる。んで、その署長さんがなんだってこんな風呂屋にいるんだ? 下の剣呑(けんのん)なヤツラはあんたの部下か?」



 詰め寄る冬一郎の勢いを柳に風と受け流しながら、葵は涼しげな笑顔さえ浮かべて言った。



「ええ、そうです。両替商のウネミヤをご存知でしょう? 実はあそこのご長女、奈津(なつ)さんが昨日の夕方、誘拐されましてね。その捜索のために、ユメヤさんにも協力していただいてるんです」


「奈津ちゃんが、かどわかされた? マジか?」


「ええ、そうなんです。幸い犯人の目星はついているんですが、その足取りを見失ってしまって。」


「ユメヤならいろいろなやつが出入りするから情報がある、と睨んだわけか。なるほど、前の石頭の署長とは、ちっとばかし毛並みが違うようだな。んで? その目星ってのは?」


「このあたりを根城にしている浪人、岡島以蔵(おかじまいぞう)です」



 聞いた瞬間、冬一郎は大笑いした。



「ははははっ。犯人って以蔵かよ。それなら話は別だ。署長さん、それは誘拐じゃねえよ」



 不信そうな顔をする葵に向かって、冬一郎はなおも大笑いしながら言葉を継ぐ。



「以蔵と奈津は両思いだ。おおかた思い余って駆け落ちしたんだろ。あの業突(ごうつ)く張りで、商売大事のウネミヤが、浪人と娘の結婚なんて許すわけがねえからな」


「そうでしたか……それで彼らの行きそうなところは判りますか?」


「さあな。見当もつかねえよ」



 そのとぼけ方があまりにも白々しいので、葵はもうひといき食い下がってくる。



「ウネミヤさんから被害届が出ています。このままだと彼は指名手配されてしまいますよ?」


「あーそうかい、好きにしたらいいさ。以蔵なんかがどうなろうと、俺の知ったことか。知らねえつったら、ホントに知らねえんだよ」


「……判りました。いや、貴重な情報ありがとうございます」



 それだけ言うと葵は立ち上がり、身を翻して座敷を出て行った。二階を通って階段に行くまでの間、店やお客の女の子がその秀麗な姿にぽ~っと見とれている。


 その結果、男連中は舌打ちしながら手酌で飲む羽目になった。



「鈴! てめえまで見とれてるんじゃねえだろうな?」



 じろりと睨んだ冬一郎の言葉に、鈴はにっこりと笑って答える。



「あら嬉しい。妬(や)いてるんですか?」



 覗き込んだ鈴の吸い込まれるような漆黒の瞳に、冬一郎は慌てて視線をそらすと、なにやら口の中でむにゃむにゃ言いながら盃を取り上げる。


 すかさず鈴が銚子を差す。


 冷酒をぐびりとあおると、冬一郎は窓の外の闇夜に向かって大きな声を出した。


 もちろん人っ子ひとり見えない……はずだった。



「セイ。いるんだろう? 顔出せや」



 その言葉と同時に窓から一陣の風が吹き込んでくる。


 と、膳を隔(へだ)てた冬一郎の前に、いつのまにか男がひとり座っていた。


 冬一郎より一回り小さな身体を絣(かすり)の着物と袴につつんだその男は、ぎょろりとしたどんぐりまなこで冬一郎を見ながらニヤニヤと笑っている。


 元「内閣諜報部員」にして、現在はこの町一番の情報屋セイである。元がスパイと言うことで、みなうす気味悪がって近づかないのだが、冬一郎とはなぜかウマが合い、冬一郎のために格安で動くことが多い。


 本名も素性も謎につつまれている。酒が好きで、一説にはそれで内閣諜報部をクビになったと言う噂まで流れていて、そのへんが冬一郎と仲のいい原因かもしれない。



「先生も鈴姉さんにかかっちゃ形無しですな」


「うるせえ。余計なこと言ってるんじゃねえよ。それより……」


「以蔵なら河原ですよ。河原の小屋の中で、駆け落ちの準備をしています。夜更けに逃げるつもりでしょうね」


「舟か……あ~のバカが!」


 叫ぶなり、冬一郎は畳を蹴って立ち上がった。


 鈴が黙ってタスキを渡す。受け取った冬一郎はタスキをくわえてソデを端折る。


 袴をつかんでユメヤの階段を一気に駆け下り、玄関口で下駄を引っ掛けると表に飛び出してゆく。



「たぶん、間に合いませんけどね。いまごろさっきの署長さんが、とっくの昔に河原一帯を捜索しているでしょうよ。遠くに逃げるのに舟ってのは、誰でも真っ先に思いつきますからね」



 意地汚く冬一郎の残した酒を飲みながら、セイはそう独り言を言った。


 鈴は穏やかに笑うと銚子を差し出す。


 セイが戸惑っていると、鈴が再び笑った。艶やかな笑顔に、セイも思わず微笑んでしまう。微笑んだセイに向かって鈴が言った。



「お勘定は先生持ちですからね。遠慮なくどうぞ」



 それを聞いたセイが、もちろん遠慮などするわけが無い。



 

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