食卓に泣く者ばかり

工場から帰って来た父の表情は暗かった。

 「ああ、やりきれん」

 母は煮立った鍋を置いて心配した。

 「どうしたの?」

 答えようとしたらラマフェロナが二階から降りてきた。

 「ラマ坊も変ね。どうしたの?大丈夫?」

 よく見るとラマフェロナのえりがだらんと伸びている。

 父の顔色がさっと変わった。

 「ラマ坊っ、そのえり首どうした?」

 「うん、女だって言われて脅された。

 でも大丈夫。やっつけたから」

 「本当にか?!」

 父はテーブルに身を乗り出した。

 「ああ、それは本当。

 でもああいうのはいい気がしないよ。

 それより父さんはどうしたのさ?」

 今度はラマフェロナが聞いた。

 父はしばし口ごもった。

 まとまりがつかないらしい。

 母は心配になって夫の肩に手を当てた。

 「本当に大丈夫?」

 父はワインをくいっと飲んで気を落ち着かせた。

 「うむ。ここはラルフェモの工場よりも仕事は楽だ。

 グーリコ様には感謝している」

 父の手が食卓の上でぎゅっと拳に変わった。

 「でもかわいそうなものを見た」

 妻はそっと夫の手を握った。

 「何を見たの?」

 父はうなずいた。

 「俺はいいよ。楽な仕事だ。

 だがあんなひどい工場はない」

 何を言っているのかさっぱりわからない。

 父はそっとラマフェロナの朱の毛を撫でた。

 「子供達が働かされていた。

 ラマ坊と二、三才ぐらいしか年の差がない子がな」

 ラマフェロナは首を傾げた。

 「学校は?」

 「行ってないだろうな。かわいそうに。

 あんな子供達が、朝早くから働きずくめなんだ。

 重い荷物を持たされたり、一日中走り回されている。

 それに少しでも休むと大人達が怒鳴るんだ。

 ぼやぼやするな、ってね」

 話を聞いていた母は少しむっとした。

 「グーリコって人はそんな事をさせてるの?」

 「いや、グーリコが悪いんじゃない。

 工場の下請けが悪いんだ。

 難しい話になるが、工場で子供を働かせて

 金をもうけている連中がいるんだよ」

 「ひどい話ね」

 「とにかく子供の扱いがひどい。

 でも子供達も逆らう訳にはいかない。

 そういう子供達は家も貧しいに違いない。

 そんな子が学校にも行けず大人になったらどうなるか。

 ずっと貧しい労働者のままで過ごすだろう。

 働けなくなったらどうなる事か」

 ラマフェロナはますますおかしいと思った。

 「ならグーリコさんに言うべきじゃないの?」

 父は首を振る。

 「グーリコのせいじゃないんだ。

 下請けの連中が悪いのはどうしようもない。

 注意されたって知らないふりをするだろう。

 何よりかわいそうなのは子供達だ。

 朝は早くから仕事に就いて夕方までこき使われる。

 身体は鉛のように重々しいし、ふらふらしている。

 着ている作業着はいつも汗でびっしょりだ。

 そんなひどい仕事なのに抜けられない。

 そんな子供達がほっと出来るのは仕事の終わりだけだ。

 でもまた次の日も仕事にやってくる。

 ともかく下請けの連中がひどい。

 それだけ子供をこき使っておいて支払いは少ない。

 紹介料をくすねてへらへらと笑っている。

 子供達の給料は俺の半分もない。

 少しでも失敗すれば給料を差し引かれる」

 話を聞いていた母も沈痛な顔になった。

 「でもあなたが訴えたら職場はぎくしゃくするわ」

 父は首を振った。

 「いや、俺一人が苦しむならまだいい。

 だが俺はお前達を養わないといけない責任がある。

 目の前で悪い事がなされているのに何も出来ない。

 あの子達が本当にかわいそうでしょうがない」

 とうとうに父は肩も震わせては泣いた。

 「俺はあの子達よりずっと楽だ。

 なのにずっといい給料を貰っている。

 あの子達の方がずっとあの苦しみに耐えて……。

 精一杯がんばって生きているというのに!!

 何故だ?!

 何故、一番がんばっている者達が貧しいのだ。

 思えば役人など書類に判を押すだけじゃないか。

 それだけで彼らよりもずっと収入を得ている。

 それは試験の末に勝ち取ったものだからか?

 それでいいのか?

 楽をしてもうけてそれでいいのか?

 これでは内乱が起きるのも当然だ。

 オペ様がいなくなって何もかもおかしくなった」

 ラマフェロナは褐色の瞳でせつなげに父を見た。

 「父さん」

 父はその優しげな瞳が、なおさらいとおしかった。

 「ラマ坊。

 お前だけは何があっても幸福にしてやりたい」

 父はただ涙にむせぶ。

 ラマフェロナはどうして良いかわからなかった。

 父がぎゅっとラマフェロナを抱いた。

 ラマフェロナは父の悲しみが和らぐ事しか願えない。

 今はただそっと瞳を閉じるばかりだった。

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