天は泣くのか?

うららかな春の午後。それは日常的な出来事。

 とても平穏な時間の象徴のようでもある。

 ラルフェモの村はいたって静かだ。

 ラマフェロナにとってこの柔らかい日差しは退屈だった。

 退屈な時間に退屈な照明を当てる。

 そんな自然の照明係がいるのかもしれない。

 ラマフェロナはらくがきをはじめた。

 タイル張りが暖かそうな色合いの教室。

 そこでは初老の教師の声だけが響いている。

 今日の授業はいたって静かだ。

 みんな、しらけているのかも知れない。

 授業が終わるまでまだ三十分以上もある。

 らくがきの手を休め、ふと窓の外を見た。

 ラマフェロナはおやっと思った。

 おぼろげで温かな日差しをたいていた春の空。

 その彼方にものすごい雲が隆々と立ち上っている。

 巨大な怪物のように奇怪な隆起を描いている。

 あまねく世界の全てをも飲み込まんがばかり。

 ラマフェロナは瞳を見開いてくすっと笑った。

 そしてしきりに前後両隣の子供達をつつきだした。

 「ほら、すごい雲!」

 「えっ?」

 隣席のマライアも驚いた。

 「うわあ、すごい雲だね」

 雲の下の方は赤黒く夕方のようにうす暗い。

 街灯がぽつぽつと灯りはじめてさえいる。

 しかしこの雲に気づいたのは当然一人でもない。

 そのうち誰彼となく生徒達はそれに気付いた。

 皆、窓の外へと目をやり驚きの声をあげる。

 巨大な天然の怪物は、ますます隆起していった。

 程も無く青空のことごとくが暗雲におおわれた。

 教室の子供達の声も静かなままではいられない。

 教師もすっかり気になって生徒達に聞いた。

 「ん?なんだ、急に雲行きが怪しくなってきたな。

 みんな、傘は持ってきてるか?」

 さすがは山育ちの少年少女達。

 首を横に振るものはいない。

 生徒の一人が言った。

 「でも先生、すごい雲だね」

 「うむう……」

 年配で経験も見識も豊富な教師だったが――。

 これほどに怪しげな空を見た事がない。

 何か魔物の大群が今にも飛来してきそうである。

 漆黒の闇がゆっくりと彼らにせまる。

 「カミナリが落ちるんじゃないか?」

 誰彼なしに生徒達がざわめきだした。

 「じゃあ積乱雲だね」

 教師はしゃがれた声でつぶやいた。

 「ああ、でも春先にこんな大きな積乱雲とは珍しいな」

 刹那、閃光が走った。

 ばりばり!

 天を裂くとどろきがひびいた。

 「わああああっ!」

 意図せずとも教室中にあがった悲鳴が見事な合唱となる。

 さらに暗雲はうなる。

 ごごと低く大きな音で。

 あちこちに起こる悲鳴。

 校舎の中なら命に別状がないとは分っている。

 でも恐怖は止むすべが無い。

 ラマフェロナの顔が曇った。

 「ラマフェロナ、カミナリ恐い?」

 気丈夫なマライアが、くすっと笑ってからかった。

 ラマフェロナはちらっと少女を見やった。

 そして今度は視線を外に投げてぼそりと言った。

 「違う、この雲はおかしいよ」

 「ただのカミナリ雲でしょ?」

 ラマフェロナの顔に部屋の光だけがぼんやりと反射された。

 「夜みたいだね」

 「うん……」

 外の風が窓を激しく叩き、窓の金具が軋む。

 子供達もいちいち怯えたりする。

 いくつもの目に見えぬ魔物達がすごんでいるかのようだ。

 中に入れろ、と。

 このにわかに訪れた春の嵐。

 だんだんと子供達は、それに興奮してきた。

 やがてぽつりと、大粒の水滴が窓を走った。

 その一滴をはじめとして、いよいよ黒い雨がごうと降った。

 マライアが、ぼそっと言った。

 「降り出したね」

 「うん、すごい雨」

 室内の騒ぎが一段と激しくなった。

 思い出したようにマライアはラマフェロナの顔を見た。

 「……引っ越すって本当?」

 「……」

 ラマフェロナは、しばし黙った。

 そして小さくうなずくと、らくがきの絵を見た。

 それからマライアを見ると彼女は寂しげだった。

 「私の父さんもグーリコ党に入りたかっただろうな」

 そうは言うもののそれは出来ない。

 マライアの父は地元の工場長だ。

 ラマフェロナの父は結局、グーリコ党への参加を決めた。

 既に帝都の隣町ニューロへと引っ越す事が決まっていた。

 決別はマライアだけではない。

 ライツや、このラルフェモの村。

 遊び慣れた山々達とも離れ離れになる。

 何よりラルフェモの空は、ラマフェロナにとって一身同体だった。

 その効力も今日で終わる。

 その事を嘆き、あるいは怒り、この決別を責めているのだろうか。

 ふとそんな気が起こらないでもない。

 「天は泣くのかな……」

 ぼそりとラマフェロナがつぶやいた。

 「てん?」

 マライアが聞き返した。

 居合わせたライツはいつもと違ってあまり口を開かない。

 きっと寂しいのだろう。

 「裏山の探検行けないね?」

 マライアが少しだけ残念そうに言った。

 ラマフェロナも申し訳なさげにわびた。

 「ごめん。行きたかったね」

 「いいよ、ライツと行ってみるよ」

 ライツが小さくうなずいているのが見えた。

 ラマフェロナは今再び、窓の外を見た。

 先ほどから幾度となく雷が天を走り空を裂く。

 子供達もすっかり興奮とおびえに声をあげている。

 授業はまるで中断されていた。

 荒れ狂う風雨。

 そして昼を思わせない闇。

 天を裂く稲光の吠えるさまのすごさ。

 それはまるでこの世の終わりすら思わせた。

 ラマフェロナは一人、胸の中で呼び掛けた。

 「天はどうしてそれほど怒るの?

 悲しみをもって人をとがめるの?」

 伝説の英雄を思って――。

 ラマフェロナは窓の外に呼びかけた。

 ふと心なしか、その呼びかけに天が応じた。

 叩きつけるような雨も急に穏やかとなった。

 闇におおわれた空に、かすかな雲の切れ間すら見えた。

 「あ、まさか」

 つい声が出た。

 マライアがちらっとラマフェロナを見て笑った。

 ラマフェロナはよくそんな事をやった。

 マライアやライツもそれを見ていつものくせかと思った。

 しかしラマフェロナは今一度、降り注ぐ雨に念じた。

 「もう泣かないで。皆も寂しいけど僕は大丈夫だから」

 優しげで静かな楽曲のように呼びかける。

 今は応じるように雨空もただ静かな雨音だけを立ていた。

 立ち込めていた妖気も消え、優しげな雨となった。

 「ありがとう」

 「えっ?」

 マライアがきょとんとした顔をしていた。

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