裏山の影

教室の片隅で一人の少年がおどろおどろしい話をしていた。

 「噂によると……青い服の集団らしい。

 そいつらは、裏山に祭壇を作って生けにえの女をぐさり!」

 「ええーっ!」

 驚きと恐怖の混ざり合ったような声があがる。

 話し手はラマフェロナの級友らしい。

 登校してきたラマフェロナが教室に入ってくるのが見える。

 少年達は話を続けている。

 「……辺りにたちまち血しぶきが飛び散る。

 恐ろしい絶叫とともに……。

 そしてそいつらは怪しい呪文を唱え続けていたそうだ」

 「今度はそんな話が出てきたのか」

 ラマフェロナの耳にもすぐさまに怪しげな噂が聞こえてきた。

 今日、初耳という事でもない。

 ここ最近そのような怪しげな噂話が彼らの学校に広まりはじめた。

 噂の内容はまちまちだった。

 裏山に得体の知れない集団が出るらしい。

 何せ想像力もたくましい子供達には格好の題材。

 早速にあれやこれやと、尾ひれ葉ひれがつきはじめる。

 子供達の風説は様々だ。

 家畜をさらう盗賊団やら、先ほどの呪術めいた話。

 はたまた科学技術の実験が行われているなど。

 「俺の聞いた話では、ぴかって何かが光ったそうだ。

 そうしたらすごい爆発がしたって。そんな内容だった」

 さも見てきたかのように一人の少年がしゃべる。

 聞いていた別の少年もすっかり興奮してくる。

 「まさか、秘密兵器の開発だろうか?!」

 別の少年があきれる。

 「秘密兵器だって?!馬鹿言うなよ。

 ここデルトゥスでは兵器の開発は一切禁止だぞ」

 「国家の秘密計画じゃないのか?」

 聞いていたラマフェロナもたまらず耳をそばだてた。

 「憲法に定められている限りそれはないな」

 ラマフェロナもそれは知っている。

 しかし子供達の興味にとってそんな事は重要ではない。

 むしろ何が行われているかが興味深かった。

 それが怪しければ怪しいほど面白くなった。

 彼らは勝手気ままにあらゆるものを予測した。

 それを口に出して授業の合間のひとときを楽しもうとしていた。

 「ねえ、その話を聞く限りだと……」

 ふいにラマフェロナが輪に加わった。

 「何となく思いつかないかい?」

 「えっ?」

 新しい噂だろうか。

 皆ときめいて目を輝かせた。

 「青の剣士はオペ派の中でも一番迫害された人たちだろう?」

 あたりはしんとした。

 言われてみれば――。

 皆はそれにはじめて気がついた。

 ただその意味までは分らない。

 「ラマフェロナはそれが何なのか、わかるかい?」

 生真面目そうな少年が丁寧にたずねてきた。

 「呪いとかじゃない。もっと現実的な復讐の計画とかだよ」

 皆、肩をなでおろした。

 恐くなかったとほっとした。

 「そう言ってしまえばつまらないじゃないか」

 一人の少年があきれ顔でつついた。

 ラマフェロナがくすくすと苦笑を漏らした。

 先生が教室に入ってきて始業の鐘が鳴った。



    *  *  *


 半日も過ぎ、学校の授業も終わった。

 ライツがいたずらっぽく笑った。

 「ラマフェロナ、帰りに裏山へ行こうぜ?」

 自分の目で確かめないと気が済まないらしい。

 向こう見ずな性分を物語っているのだろう。

 朱の髪も美しいラマフェロナもにやりと笑う。

 何せこの悪友ライツは校内でも有名なほどに背が高い。

 多くの生徒たちと並ぶと、頭一個分ぐらい高い。

 遠くから見てもすぐライツだとわかってしまう。

 普段からおどろおどろしい服を着たりしている。

 どくろの絵や、怪物の絵が描かれたシャツなど。

 しかも何かあればうるせえ、とすごむ。

 教師達の間ではお世辞にもいい評価を得ていない。

 さていよいよ裏山への探検へと出発しようとすると――。

 私も行きたい、と言い出すのはマライアだった。

 もちろん護衛に電人パロラを連れて来ると。

 しかし今日はそれを渋る二人である。

 当然にどうして、と聞かれて二人は空を指差した。

 見上げれば午後の空に、すじ雲が見える。

 ラマフェロナは指先を口に含んだ。

 それを抜いてマライアの前に出すとうなずいた。

 なるほど。

 風がややあるのが分る。

 「この様子だと崩れると思う」

 山間部に住む子供達である。

 風向きと雲の流れだけで、数時間後の雨すら予測できる。

 出来ないようでは裏山に登る度に遭難する羽目になる。

 「だったらラマフェロナもライツも今日は危険じゃない?

 こんな時こそパロラを連れて行かないと」

 マライアも引き下がらない。

 何せ彼女には電人パロラがいる。

 電人がいるのだからその方が安心だと。

 彼女の言い分でもある。

 しかし今日の二人は素直にうなずいてくれない。

 「いや、今日はよしたほうがいい」

 ライツが真顔でいうとマライアも少々、寂しげな顔をした。

 「それにまだ様子見だから。

 きちんとした探索をするなら日取りを決めてよう。

 きちんと計画を立てて装備もしてね?」

 様子見との事ならばと仕方ない。

 マライアもようやくうなずいてくれた。

 「さてと……行くか?」

 マライアの背中が寂しげに小さくなっていく。

 二人は鞄を背負ったままに、裏山へと向かった。



    *  *  *


 「最近、裏山に変な人が出るらしいから、近づかないように」

 学校の先生にはそう言われていた。

 が聞き分けられるはずもない二人だった。

 何よりもこの裏山は彼らにとって最高の遊び場だ。

 夏にもなると蝉しぐれの中を、虫取りに出かけた。

 怪しい洞窟を見つけては秘密基地にした。

 だいたいどの道を通ればどこに出るかも知っている。

 探検とは言ってもただ山道に沿って歩くだけ。

 周辺に異常がないか確かめる程度に過ぎない。

 ざざと青草を踏み分け入った裏山は、いつもと変わらない。

 新緑は青々としげり、小鳥たちは楽しげに歌い翔ぶ。

 じゃり道を踏みしめる足音も心地いい。

 額にうっすらと汗をかきながら二人はわくわくしていた。

 山の頂上目指し英雄の歌など勇ましく歌いながら。

 時に冗談を言っては笑い、時に木の実を取って食べた。

 見晴らしの良さげな小高い山腹に差し掛かった。

 二人は、ふうと一息ついて振り返った。

 ここはラルフェモの景色が一望出来る場所だ。

 いわば見晴し台のようなもの。

 ぽつぽつと見える家々から白い煙が立ちのぼる。

 向こうにある牧場では牛や山羊たちが、のんきに草を食べている。

 いつも魚を追いかける小川が万華鏡のようにきらきら光る。

 眼下の小さな街では小型の馬車がいくつも走って行った。

 この美しい風景は何にも代えがたい。

 大自然と言う名の芸術家による見事な名画そのものだった。

 なので今は裏山に潜む怪しげな噂などどうでも良かった。

 ラマフェロナは道脇の雑草をざざっと手で払った。

 「どうする?山頂まで登る?」

 ライツは彼方にたなびく家々の煙をながめた。

 そして人差し指を口に含むとそれを天にかざした。

 「いや、そろそろまずいんじゃないか?」

 ラマフェロナも彼方の家々から立ち昇る煙をながめた。

 天から糸でも降ろしているかのようだったえんとつの煙があった。

 それがゆるやかに蛇行し、心なしか南へとたなびきはじめていた。

 程もなく――。

 草木がざわめきはじめた。

 ライツがつぶやいた。

 「そろそろ一雨来るかもな」

 「そうだね」

 見上げると太陽がおぼろげな白い雲にすっかり覆われていた。

 二人は今一度、裏山の山頂を見上げた。

 帰る途中、木々までもがざわめいてはしなった。

 二人の背を押す風はどこか生温かい。

 まるで早く帰れとせき立てるかのようだ。

 「これは何だ?」

 ライツがふとわき道の大きな石を覗き込んで言った。

 石碑のように見える。

 古いものらしく薄汚いこけがびっしりとおおっていた。

 トカゲが石碑の影を走った。

 「何か書いてある」

 目を凝らしたラマフェロナがそれを見つけた。

 そこには――。

 古めかしい文字で何やら奇怪な言葉が書き記されていた。

 「どれどれ……」

 目を細め、やや意識を集中させてみる。

 二人は石碑に顔を近づけ、怪しげな碑文を読みはじめた。


 偉大なる女王を称えよ


 よこしまなる侵略者の傀儡に死を与えよ


 暗愚なる王には裁きが降りるだろう


 そして女王は再び


 この大地に豊饒をもたらすために


 君臨するであろう


 ラマフェロナは黙ってライツの顔を見た。

 青ざめたライツの顔にいつもの精かんさはない。

 「い、いそごうぜ」

 「うん」

 こういう奇怪な話に弱い点ではまだ二人とも子供でしかない。

 あたりはにわかに薄暗さを増し、心なしか視界がぼやけてくる。

 ライツの顔色はますます悪い。

 「霧が出て来たな」

 幸い人の作った山道を降りるだけなので道に迷う事はない。

 たださっきの不気味な碑文も気味が悪い。

 つうと冷や汗が走る。

 前にはこんな石碑があるとは知らなかった。

 確かにこれまで何度もこの山に足を踏み入れたのに。

 あるいはただの石だと思って、気づかなかったのかも知れない。

 今は、隣にいる親友に何を言っていいかわからない。

 ただ、二人の靴音だけが乾いた山道に響いてゆく。

 ふとラマフェロナは言い知れぬ恐怖感を覚えて振り返った。

 裏山の中腹に何かの影がちらっと見えた。

 「ライツ!」

 ラマフェロナは慌ててライツを呼び止めた。

 「何だ?」

 ライツは思わず振り返った。

 そしてラマフェロナの視線の先にあるものを見た。

 「ん?」

 ライツは眉間にしわも寄せるほどに目を凝らした。

 霧にまぎれこの山中に何かがいるらしい。

 影はしばし霧に浮かんでは消えた。

 目の錯覚などではない。

 ラマフェロナがつぶやいた。

 「動物かな?」

 「いや、あれは人間の影だ。一人じゃない。大勢いる……」

 「何をしに来てるんだろう?」

 「わからねえさ。何かの調査じゃないのか?」

 「かな。でも青い服を着てるね……」

 興味深そうに立ち止まって見ていると、ライツが肩を叩いた。

 「今日は偵察だ。次にまた詳しく調べりゃいいさ。

 そろろそ帰ろうぜ。雨が来る」

 「うん」

 反目する理由はない。

 いち早くこの場から去らねばならない気がした。

 何か良からぬ事でも起きそうな気がしてならない。

 自らの立てる足音にすらおびえるようだった。

 二人はやや急ぎながら山道を下りはじめた。

 振り返り歩いてはまた振り返る。

 やはり見間違いではないかと思いたいかのように。

 ただとぼとぼと口数も少なく歩く。

 未知ゆえの恐怖がありそれだけはぬぐい去れない。

 それでもようやくにして裏山の入り口が見えはじめると

 二人は大きく胸をなでおろした。

 裏山はすっかり白い霧に包まれている。

 改めて思い返すならそれはあたかも、ほんの片時だけ……。

 異界へと足を踏み入れていたかのようでもある。

 そして今この山道の入り口に立ちながら知った。

 ようやくその異界から見慣れたラルフェモの村に戻って来れたと。

 「ふう……、ははは……」

 ライツが苦笑を浮かべてぽんぽんとラマフェロナの肩を叩いた。

 「は、はは……」

 ラマフェロナも乾いた笑みを返した。

 二人は疲れきった表情で、とぼとぼと家路についた。

 空はいっそう薄暗さを増していた。

 時折、ぽつぽつと小さな水滴が、彼等のみずみずしい頬を刺した。

 村落の辺りまでくると、夕食の支度中らしい。

 あちこちの家から煙が立ち上り、おいしそうな匂いがして来る。

 ライツがラマフェロナに言った。

 「今度はマライアとパロラを連れて行こうぜ?」

 ラマフェロナの家はもうすぐそこだった。

 まだライツと居たかったが、ライツはじゃあな、と軽く手をあげた。

 ラマフェロナも仕方なく「うん、またね」と応えて手を振った。

 どっと気疲れが出た。

 小さくため息を落とすと、ライツの背中が彼方に消えた。

 ラマフェロナは自分の家の前で、ぼそりつぶやいた。

 「あれが青い影なのか……」

 ふいに家の中から母の声がして

 ラマフェロナは慌てて家の中に入った。


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