第8話

 次の日曜はレモンパイとアップルパイを両方焼いた。外でのお茶会にはちょっと肌寒いけれど、上着を着てれば紅茶もあるしそんなにつらくはないだろう。お客様は二人、四人分の茶器を庭のテーブルに出して慧天を待ち構えていると、先によッと片手を上げて庭から入って来たのは保志先生だった。足元でリードに繋いでおいたバントラインを見て、ぱーっと顔を輝かせる。猫だー! と言いながらあたしの足元に駆けて来てしゃがんでわしゃわしゃぐりぐり撫でている。バントラインは嫌がっているように見えるけれど、ヘソ天でうごろうごろ言ってるから悪くはないんだろう。大きな手にわしわしされて、楽しそうだ。

 持ち出したCDプレイヤーからはHeaven For Everyoneが流れている。ここはみんなの天国かも。天気の良い秋晴れを眺めていると、そうかもしれない。なんて思えてくる。

「静紅」

「あ。慧天」

「バントライン滅茶苦茶になってるけど良いの?」

「たまにはいいんじゃない? リードもあるし」

「子猫の首輪はすぐ外れるぞー。そんでもって猫は首が入る場所ならどこへでも入って行ける。気を付けろよ。しかし可愛いな。バントラインって言うのか? お前らもしかして結構な本読みだったりする?」

「え、なんでですか」

「ニューヨーク出身の十九世紀の小説家だ。知らんで名前つけたのか?」

「貰いっ子なので名前は筋肉少女帯由来としか知らなくて……」

 ぷっ、と保志先生は笑う。

「サボテンとバントラインか。俺の学生の頃はメロメロだったよ」

 取り敢えず慧天が持って来たクッキー缶の蓋を開け、茶葉もポットに入れる。ガラス製のそれにお湯を注ぐと、勢いよくジャンピングした。うん。茶葉は、踊るべき。一応用意した角砂糖は果たして使われるのか、思っていると最後の客人が姿を見せる。

 シャツの上からストールを巻いた、諏佐警部だ。すん、と鼻を鳴らして心地良さそうに頬を緩めて、庭から入って来る。にゃぁ、とバントラインが鳴くと。一瞬笑ってから、慌ててきびっとした顔に戻る。撫でれば良いのに、好きなら。保志先生撫でまくり擽りまくりだよ。遠慮は良くない。思いながら砂時計が落ちたのを見計らって、あたしはポットからカップへと紅茶を注いでいく。マイセンの派手な花柄が散っているものだ。紅茶から柄が透けて見えるから、その為に今日はミルクティーにしない。昔はお父さんとお母さんもこうやってお茶会をしたらしい。たまには仲の良い友達も連れて。

 友達と言うにはちょっと歳が離れてるけれど、まあ知り合いではあるよな。ラインでお茶会誘ったらやっぱり慧天と先生に探りが入ったらしいし。失礼だわー。あたしだってたまには下心の無いお茶会を開くのに。元々は慧天を一週間の疲労から回復させるためだったんだけど。毎日毎日、汗だくで授業を聞いては時折耐えられなくなってヘッドホンを被るから。話せる数少ない友人を招くのも、良いだろう。いやでも友人かなあ、この人たち。うーんと悩みながら、先生、と呼ぶ。猫に夢中だった彼はやっと顔を上げて、おお、と紅茶の存在に気付いた。

 四人で丸テーブルを囲む。パイ二つとクッキー缶はちょっと狭かった。なのでさっさとパイを切り分け、各々の皿に持って行く。すると諏佐警部が、

「私はアップルパイは食べられないぞ」

 と言う。

「解ってますよ、イチゴが駄目って事はバラ科アウトだろうと思ってたんで。こっちのレモンパイどうぞ。ちゃんと先に作ってアレルゲン付着しないようにしましたから」

「そ、そうか。しかしよくイチゴとリンゴが結びついたな」

「なんてったってお茶会の主催ですから」


 一切れ残ったアップルパイをレモンパイのお皿に乗せて、そうすると一枚皿が無くなるから窮屈ではなくなった。いただきます、とお辞儀をして、警部は恐る恐るフォークでメレンゲを潰し、はむっとレモンカードの詰まったパイを食べた。それから眼を開けて、おお、っと唸る。ふふん、初めてだけどレシピさえあればどうにかなるんだからね、静紅ちゃんは。料理の道に進むって言うのも良いかもなあ。でもそうすると専門学校だろう。慧天との進路は、決定的に分かれる。それも怖くないかな。This could be heaven for everyone。ここはみんなの、天国かも。

「初めて食べたが美味いものだな。上のメレンゲも香ばしいが、中のクリームも甘酸っぱくて良い」

「レモンカード、って言うんですよ。柑橘アレルギーはなかったみたいで良かったです」

「良いなー静紅の新作一番乗り。僕ちょっと嫉妬しますよ、警部」

「君はこういう時は喋られるんだな、西園君」

「QUEENが掛かってる時は大体喋りますよ。いつもよりふてぶてしく。あとラインも結構お喋りらしいって聞いてます。あたし達の間だと使うより話した方が早いんであたしは知らないんですけど」

「すごいぞ、西園のラインは……」

「ああ、すごいぞ……」

 遠い方向を向いている大人二人にきょとんとしながら。あたしはいつものアップルパイをつつく。リンゴの季節だからお手軽なのは良い事だ。母方の実家は農業をやっているので、毎シーズン箱詰めが届く。今回はリンゴ。あなたがパイ焼くの好きで助かってるわ、とは母の言。ちなみに両親の分のちょっと小さなパイは今二人が家の中でつついているだろう。お母さんが作れば良いのに、と言ったところ、休日の昼間くらいはだらけたいわー、なんて言うもんだから。まあ、先週の文化祭に来る為の用事を色々ねじ込んだから本当に忙しかったんだろうけど。そして結局あたしと慧天のツーショットは撮らせなかった。と言うか忘れていた。散々プンスコされたけど、それより頬の湿布の方を問い詰められた。でもあたしは『ちょっとした事故』で済ませた。夏の事件で突き落とされた時みたいに。

 頬に湿布はもうしていない。口の中の傷ももうない。慧天のお母さんは、あたしを見る目が変わったのか。それは解らないけれど、いつもより良いクッキー缶を持たされてきたってことは、まあ、ちょっとぐらい柔くなったのかもしれない。怖くて慧天のうちに中々遊びに行けないのは、今更始まった事でもないし。


「で、委員長と畔上さんどうなるんです?」

 今日諏佐警部を呼んだ最大の疑問であるそれを問えば、私は少年課じゃないんだがな、と恩着せがましく溜息を吐かれる。でも調べて来てくれてる辺り、やっぱりいい人なんだろうなあと思わされる。こんな中学生のどたばたでも。人死にがあったかもしれない事だから、ちゃんと話を聞いてくれる。

 胸ポケットから出した黒い革の手帳を開き、諏佐警部は目を眇めた。近眼なのかもしれない。

「保志先生が持って来てくれたクレープ生地とガイシャの食べたクレープ生地、両方から蕎麦粉の反応が出たそうだ。そして運び込まれた男は確かに蕎麦粉アレルギーだった。それほど反応が強くはなかったようだが、一週間は入院で様子見。そろそろ退院している頃だろうな。その後から痴漢の件の事情聴取だ。二人の女子生徒の事は、それからになるだろうな。バスの沿線でも他に痴漢に遭った女性がいないか探しているところだ。以上」

 ぱたん、と手帳を閉じ、再びレモンパイに意識を戻す警部。紅茶に角砂糖を入れようとして、一旦その手を止め、ストレートで味わってくれる。ん、と頷いてパイを食べたから、慧天の怒りは買わなかった。そうそう、甘いものには渋いもの。その鉄の掟が慧天にはある。くっく、喉を震わせて笑った保志先生は、やっぱりストレートティーで喉を潤す。慧天は機嫌が良さそうに、さくっとパイにフォークを入れた。あたしも同じようにして、ちょっと紅茶は冷ます。猫舌だもん。この季節でも、ちょっとしんどいもん、熱いものは。喉元過ぎれば何とやらで、身体はぽかぽかして来るけれどさ。でもでも、って奴だよ。シロップも入れてないしさ。

 にぃにぃ鳴いてるバントラインの声に、あたしは机の下を覗き込む。テーブルの足に繋いでいるリード、その近くでわちゃわちゃ遊んでいるのは諏佐警部の足。スニーカーだ、革靴とか穿いてる人かと思ってたけど以外だ。その足がぐりぐりとバントラインと遊んでいるのに、ぎくっと足を上げて何でもなかったようにぺたりと地面に下ろされる。顔を上げてじーっと諏佐警部を見ると、何でもない顔をして紅茶を飲んでいた。

 浮いてる汗なんて紅茶のものですよ? と言いたげにすましているのが可愛くて、ぷっとあたしは笑ってしまう。すると慧天と先生が同時に首を傾げた。良いの良いの、あなた達は知らなくて。居心地悪そうにパイをもっつもっつ食べてる可愛い警部の秘密なんて、あたし一人知ってれば十分だ。

 よく見ればストールを止めているピンも猫の形をしている。バントラインとは初対面ではないはずだけど、もしかして期待してうちに来たのかもしれない。僕はこの世を憎む。少年の言葉を運んで来た猫。遺言を持って来た猫。爆弾魔の愛した猫。その辺の事は、あたしも慧天も警察に言っていない。だから諏佐警部も知らない。サボテンと一緒に逝ってしまった少年の事なんて知った事じゃない。だけど、だけど、その痕跡としてこの子は今でも生きている。

 生きていれば何か痕跡が残るものだ。多分倒れた男性からも、何らかのボロが出るだろう。そうであって欲しい。委員長の為にも、畔上さんの為にも。証言が二人分あれば有罪は濃厚だろうと思うんだけれど。そうであって欲しいと、思うんだけれど。


「あ、静紅、このパイ美味しい!」

 呑気にレモンパイに手を付けた慧天が、言って笑う。ありがと、と言ってまだちょっと熱い紅茶に手を付けた。甘さが渋さに流れていく感じは好きだ。舌はピリピリ痛むけど、ちょっとずつなら平気。ちょっとずつ飲み込んでいこう。口の中の傷はもうないんだから。腫れていた頬も無事治まったんだから。

 慧天だってもう蕁麻疹の名残はない。

 だから、大丈夫。

 神様の決めたことメイド・イン・ヘヴンだから。

「しかしこの渋い音楽趣味は一体誰の物なんだ」

「あたしと慧天の趣味ですよ」

「君たち生まれてないだろう……」

「映画にもなりましたし、結構ファン増えたんじゃないかなーと思いますよ。その割に名画座のフラッシュ・ゴードンはそんなに賑わってませんでしたけれど。悲しい」

「フラッシュ・ゴードン?」

「QUEENが劇伴やった古いアメコミヒーローものの映画です」

「あの時に見ていたものか?」

「はい」

「何あの時って。先生聞いてない。そしてその映画も知らない」

「古いしあんまり人気無かったからかな……まあ色々あったんです。優秀なファンになってくれそうな子もいたんですけれどね」

「過去形か。深く突っ込まないでやろう。だからお前らもうちょっと成績の心配もするように。期末テストで赤くなったら流石に助けてやれんぞ」

「わ、解ってますよ。ね、慧天。次は講習も受けることにしてるし」

「なんだ君達、そんなギリギリな学生の身分で謎解きなどやっていたのか。ご両親に怒ってもらわなければならないな。それは」

「足元楽しそうですね警部」

「なっ」

「おっホントだー。警部可愛いものも好きだったんだなあ」

「微笑ましそうに言うのは止めてくれないか保志先生! この歳で彼女のいない独身男がペットに走ったら絶対結婚できなくなると言われて普段は我慢しているんだ! ええいこうなったら抱っこしてやる! 産毛が濃い! 可愛い!」

 にぃにぃ鳴きながらざりざりの舌で警部の頬を舐めるバントラインに、あたし達はけらけら笑う。

 This could be heaven for everyone。

 ここは、みんなの、天国かもしれない。

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神様が決めたこと ぜろ @illness24

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