第4話

 待ちに待った日は快晴の文化祭日和だった。どっちかって言うと体育祭日和かも知れない。ちなみに体育祭は校長先生の一件が響いたので中止になったから、学校行事としてはこの文化祭が二年生では最初で最後だった。あんまり足の速い方じゃないあたしや慧天は胸を撫で下ろしたけれど、真野君たち体育会系勢は大いに残念そうだった。その分を埋める為か、最初は乗り気じゃなかったカスタードクリーム作りに精を出してくれている。珍しいおかげか結構注文が飛んできて、その場で作って行くのは結構大変そうだった。ありがとうハンドミキサー、思いながらあたしはまだちょっと温かい生地にジャムを盛り付ける係だ。ちょっと奥の方にしないと零れちゃうから、慎重に。他のクラスの友達や外部の人ももちろん来てくれている。やっぱり手軽に食べられるデザート系は人気だな、と、あたしはキウイ係に生地をまわした。三角に切ったのをてんてんてんてん、と四つ載せていく。これも季節の品物じゃないからちょっと高級品だけど、イチゴの分奮発したって良いだろうと言う事で、買い出し班が見切り品をしこたま買って来た。ジャムの方が心配なぐらいだ。バナナはちょっと硬くて青い。スイートスポットがいくつか出来てて皮が薄くなってる方が美味しいのは知っている。でもこれしかなかったんだから、我慢して欲しい。お客さんには。

 まあ結構順調に回ってるんじゃないかと思わせられる盛況ぶりに、あたし達は満足だった。一人しかいない生地焼き係の畔上さんも、ちらちら注文客を見ては友達に手を振ったり教科担任にお辞儀をしたりしていた。ちょっと並ぶこともあったけれどおおむね列はさばけている。お母さんに借りたミニレジも役に立っている。教室内で座って食べるお客さんもぼちぼちいる。


「静紅!」

 呼ばれて顔を上げると、パシャッと旧世紀的なカメラの音がして、店の前からお母さんがこちらにスマホを向けているのが分かった。隣の子が行ってて良いよ、とウィンクしてくれたので、ごめんね、とあたしは抜け出して、並んでいるお父さんたちの方に行く。こういう個人対応はしない方が良いと思うんだけど、隣の子の気遣いを無駄にしないためにも、とりあえず出た。喋ると唾も入るから、それを防ぐためって言うのもあるんだろうけれど。

 いつも家で使っているヒヨコ印のエプロンに、三角巾にピンで留めた前髪。いつもより視界がすっきりしているって事は、前髪が伸び始めたのかもしれない。美容院行こうかなあ、でも後ろはどうしよう。いっそ家で前髪だけ……否否、あたしにそう言うセンスはない。慧天の髪をあんなにしているあたしには無茶だ。お母さんに切ってもらう? なーんて考えながら、ぺちんっとちょっと突っ張ったお父さんのシャツのお腹の部分を叩く。あはは、と笑うお父さんとお母さん。親とはありがたいものだ。裏方やってる娘を呼び出すのに躊躇がない。

「もー、あたしは盛り付け班だから表には出ないって言ったじゃない」

「だってせっかくだもの記念写真が欲しいじゃないー、今年は体育祭もなかったんだし、空手の大会は流石に見に行けないし。次の昇段試験の時には絶対行くからね! そして腕力を付けて、お父さんとお母さんをいざと言う時には守ってちょうだい!」

「何が起こる手はずなんだ……」

「大丈夫、お母さんもベッドの傍にはバールを置いているから」

「本当に何を起こす手はずだ!」

 くすくす接客班の子達に笑われ、あたしは赤くなる。ちょん、と背伸びしてきょろきょろしているお母さんに、なーに、と聞いてみると、慧天君は、と聞かれた。本当に人の話聞いてないなこの母。はーっと溜息を吐いて、あたしはいつの間にかそんなに身長差が無くなってしまった母に応える。

「慧天たち男子は裏でカスタードクリーム作ってるって言ったじゃない。あたしより更に裏方よ」

「そういえばカスタードって珍しいものね。あんまり冷凍コーナーでも取り扱ってないし。お母さんそれにしよー」

「お父さんもそれにしよー。しかしずっと裏方と言うわけではないんだろう? 生徒にも休憩時間はあるだろうから、その時にまた来るよ。二人は一緒かい?」

「うんまあ、ね」

「お店バックにツーショット取ってあげるからその時間になったらライン寄越してね! さ、静紅は戻って戻って! 他のお客さんの迷惑になっちゃう!」

 すでになっている、とは口を噤んで、じゃあね、とあたしは厨房になっているスペースに戻った。ごめんね、と隣の子に謝ると、大丈夫大丈夫、と笑われる。人運には恵まれてるよなあ、良くも悪くも。校長先生に目を付けられなかったとか、結構お人好しの刑事さんと友達になるとか。部活の最中はマイクも外してるから、結構無防備なのだ。個人的に。慧天と繋がっていないことは、あたしにはちょっと慣れない事なので。毎日毎日、繋がっているので。

 まあこういう日にはスイッチ切ってるけど、慧天の詰めてるバックヤードではQUEENが盛大に慧天の耳元で鳴っているだろう。会話はメールかラインで、池谷君たちも一緒だろうから孤独感はそうないだろうし。こうやってあたしがいなくても大丈夫な時間が増えて行くのは良い事だ。良い事だけど少し寂しくもある。怖くもある。でも、慣れて行くしかないんだ。偶に授業中発作的にヘッドホンを被る事だって、いつかは無くなるかもしれない。その方が良い。あたしが先生の言葉を復唱して伝えることだって。案外あたし達の成績のパッとしなさはその辺から来てるのかもしれないし。否、それは押しつけだ。うん。単にあたし達の地頭が……ちょっと可哀想なだけで……うん……頑張らなくちゃな。十波ヶ丘か。

 大学までエスカレーター式なんだよな、あそこ。やっぱり進学考えてるのかなあ。聞きたいけど聞けない。まだ何にも決まってないのかもしれないし。あたしを振り切るために外部に進学するかもしれないし。そうなったら、もう休日のティータイムの習慣だって無くなるかもしれない。寂しいけど、その方が良いんだと自分に言い聞かせる。最近ナイーブで良くないな。いつでも慧天を祝福できる元気な静紅ちゃんにならないと。ジャムを乗せて隣に回す。ちょっと並んできているようだったけれど、畔上さんの生地さばきでどうにかなっている。あと本当にカスタードの注文が多い。卵足りるのだろうか。そして卵白の行方は。


 昼を過ぎた頃にひょい、と顔を出したのは諏佐警部だった。空き教室に仮捜査本部を作っていたことを覚えていた何人かが警察の、とひそひそする。それがあまりいい気分じゃないらしい諏佐警部に、またあたしは表に出た。すると視線があたしに集まる。集まらないで。別に何か自首しようとかしてるわけじゃないから。

 堅苦しくないシャツにカーディガンと言う格好で現れた警部は、正直見慣れなくて珍しい。署や捜査本部ではいつも背広だったんだから当たり前だろう。柔らかい服で、こう言うのも似合うんだな、と思わされる。慧天もそういや秋冬にはこんな格好だな。一枚上に着てくる。多分それは慧天のお母さんの気遣いだろう。自分を気遣える人は大人だ。だから諏佐警視も大人なんだろう。思うと格好良さまで感じてしまった。彼女とかいるのかな、そう言えば。結婚しててもおかしくない歳だよね、三十前後って。

「彼女とは来てないんですか? 諏佐警部」

「そんなものはいない。悪かったな。現場指揮を任されることの多い立場だ、被害者とその家族以外とは出会いがない。それに自分の好きな時間をかき回されるのも好きではない。休日はゆっくり本を読んで過ごしたい性質なんだ、私は」

「何読むんです?」

「妹尾河童」

「そんなに著作ないでしょう。あ、小説は読まない方なんですか?」

「紀行文が好きなのは認めるが、ちゃんと少年Hは読んだぞ」

 意外な趣味だった。そりゃジムに通ってムキムキしてるとは思っていなかったけれど、まさか読書が趣味とは。慧天もあたしもあんまり小説や紀行文って言うのは読まないけれど、この警部が夢中になるぐらいだから面白いんだろう。図書館にありそうだし探してみようかな。そう言えば図書委員会も飾り付けをしているはずだ。慧天と一緒に見に行こうか、考えながら慌てて調理場を見る。まだ込み合ってはいない、小休止状態だ。デザート系じゃなくお腹にしっかり堪るものを食べに出た人が多いんだろう。デザートはその後だな。そしてその頃があたしと慧天の休み時間だ。

「クレープ食べて行きます? カスタードクリームとか使ってて珍しいですよ。イチゴはジャムですけど」

「いや、顔を見に寄っただけだ。折角招かれたのだからな。それにイチゴはアレルギーがあるから、食べられない」

「イチゴ抜きとか」

「勘定の計算が面倒だろう。西園君はバックヤードか?」

「カスタードクリームぶいんぶいん作ってます」

「男子は大変だな、いつの時代も」

 くすっと見慣れない笑顔を出されて、へぇ、と思う。この人こんな風に笑うんだ、なんて。


 それじゃ、と調理場に戻ったあたしは生クリームとカスタードクリームを間違えないように、気を付けながらオーダーされたものを作って行く。チョコスプレッドがそろそろ足りなくなって来たので、バックヤードに取りに行った。男子達はクラス中から集められたハンドミキサーでぶいんぶいんカスタードクリームを作っている。が、やはり卵がもう足りない。かと言って卵白はもう増やせないぐらい溜まっていた。うーん、これは。

 咽喉マイクのスイッチを入れて池谷君と肩を合わせていた慧天に声を掛ける。ぱっと明るい顔をされると、バックヤードが性に合ってる人間もいるんだよな、と思わされた。ニコニコしながらどうしたの静紅と問われ、諏佐警部が来た事を話す。ちょっと暗い顔になったのは、爆弾騒ぎを思い出したせいかもしれない。僕はこの世を。ええい、それは良い。良いったら良いんだ、少なくとも今は。

「休憩になったら図書室行かない? 諏佐刑事、妹尾河童が好きなんだってさ」

「僕も好きだよ。少年H。自伝系は結構好きなのが多い」

「作家が好きじゃないのに自伝は読むのって、なんか不思議ね」

「先に作家の生い立ちを知った方が面白いこともあるんだよ。滅多にないけどね。ちょっと違うけどゲゲゲの女房も好きだったかな」

「何だっけ、ドラマになった奴?」

「そうそう」

「はー」

 声が聞こえてあたしは池谷君を見る。口をぽかんと開けて、あたし達を見ていた。

「本条とは本当に普通に話せるんだな、西園」

「本条とは本当に普通に話せるんだな西園、だって」

「静紅は特別だよ。静紅がいなかったら今の僕って居ないもん」

「それはあたしもご同様だけどね」

「またパイ食いに行ってもお邪魔じゃない? 俺ら」

「またパイ食いに行ってもお邪魔じゃない、俺ら。だって」

「お茶会には人がたくさんいた方が良いよ。増えたパイの取り分も増えるし」

「意外とがめついな!」

「意外とがめついな、って」

「静紅のパイは独り占めしたいからね、僕」

「今度なんか違うの作ってみようか」

「それも良いね! ところで静紅、何か取りに来たんじゃないの?」

「あ、そーだチョコスプレッド。無くなりかけで取りに来たんだった。じゃ、また休憩時間にね、慧天」

 うん、と笑った慧天を置いて、あたしは目的の袋を取り、調理場に戻った。

 そう言えば慧天のお母さんはまだ見ていないな、と気付くのは、もうちょっと後である。

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