第18話俺と事実

「……あっつ」


 炎天下の中、鉄板の様に熱くなった道路の上。

 麦茶入りの水筒を右手から離す事なく、一人で小さく呟いた。

 周囲は静寂で包まれており、時折子供の遊び声が微かに聞こえるのみ。

 一人で放置されているとなると、嫌でも数日前の出来事を思い出させられる。


 数日前。俺達は元の世界へと戻って来た。

 戻った方法も、何が起きたのかも、未だに全く理解は出来ていない。

 気が付いた頃には、例の神社の前に倒れこんでいた。

 当時は状況を一切把握できず、訳も分からない状態。

 ただ一つ、鈴鹿から話を聞かなくてはならないという考えの元から、朦朧としながら鳥居の元を潜り続けた。

 その様子を周辺の住民が見かけ、警察に通報したことにより、俺達は警察のお世話になる事となった。


 その後、警察の連絡を受け、俺達はそれぞれの両親に迎えられることになったのだが……それはもう鬼の形相で怒られた。

 当然と言えば当然なのかもしれない。俺達がもう一つの世界に行っている間、この世界には俺と鈴鹿が存在しなかったのだ。

 数日間、言葉一つも残すことなく、高校生が姿を消した。

 問題にならない訳がない。

 結果。俺達は数日間、自宅で強制待機させられることになった。


 そして、今日。

 両親から許可を貰ったのちに、俺は家を出た。

 外出目的は鈴鹿に会い、もう一つの世界で何があったのかを知る事。

 もう一つの世界での最後の記憶。そして、目が覚めた時にはポケットの中に入っていた、入れた覚えのない、もう一つの世界の地域新聞。

 これらの情報から、大体の状況は把握しているつもりだ。

 しかし、確かな情報が欲しい。今はただ、確かな情報が。


「ごめん尚也、待たせた?入って入って!」


 想像以上の暑さに朦朧とし始めた頃。

 勢い良く開いた扉の先から、普段通りの幼馴染が現れた。

 適当に言葉を返すと、通いなれた彼女の家へと足を踏み入れる。

 

 彼女の自宅には何度か入った事があったが、最後の訪問から大きな変化は見当たらない。

 アロマの良い香りが漂っており、不思議と落ち着いた気分になる廊下。

 小さい頃から何度も上がり降りを繰り返した、木製の階段。

 そして、階段を上がった先にある彼女の部屋。

 女子らしいぬいぐるみや、数々の写真が飾られており、その横には数々の大会で手に入れたトロフィーが飾られている。

 まさに、彼女らしい部屋だ。

 彼女はベッドの上に腰を下ろすと、ゆっくりと口を開いた。


「それじゃあ、話をしようか……もう一人のあたしについて!さあ、何でも聞き給え!」


「ああ、そうだな。聞きたい事だらけだよ。……まず最初に、この新聞の内容が確かなものなのかを知りたい」


 険しい顔つきで鞄から一枚の新聞を取り出すと、付近の卓上に大きく広げる。

 その新聞には「女子高生、面識のない老人を殺害」と見出しを付けられており、その横には見覚えのある字で「女子高生=鈴鹿」と書き込まれていた。


 新聞の内容を纏めると以下のような内容。

 数週間前の平日。並行世界のこの街にて、殺人事件が発生した。

 時間は夕方。買い物に行くべく、住宅街を歩いていた老人が鉢で殴打され、死亡した。

 犯人は同じ街で暮らす女子高生。老人の死亡を確認したのちに、現場を逃走。

 偶然現場に居合わせた住宅街に暮らす主婦の通報により事件が発覚し、警察による決死の捜索の末、犯人を逮捕するに至った。


 この内容と、書き込まれた情報を組み合わせると、並行世界の鈴鹿が老人を殺した。

 その後、老人が死んだのを確認してから、その場を逃げた。

 

 全くもって信じられない内容だ。

 彼女がそんな事をするはずがない事を俺は知っている。

 しかし、実際に新聞に取り上げられてるというのも事実。

 並行世界の最後、彼女が警察に囲まれていたのも事実。

 正直な話、俺一人では真実なのかを決めることが出来ない。

 

「だから、お前にこれが本当なのか知りたい。鈴鹿なら少しは分かるんじゃないか?」


「そうだね。……この事件は事実だけど、事実じゃないってのが正解かな」


「……どゆこと?」


「並行世界では実際にこの事件が起きた。そして、その犯人として、入れ替わったあたしが逮捕された。……まあ、他人の空似って事で、もう一人のあたしが逮捕された後に解放されたけどね!……それでね、あたしは逮捕されたけど、もう一人のあたしは殺してないと思うの」


「証拠はあるのか?」


「証拠はないけど、根拠はあります!……珍しく、あたしなりに頭使って、考えてみたんだ。これ見てよ」


 話しながら彼女が取り出したのは、一枚の地域新聞。

 その内容と言うのは、この街に住まう主婦が、近所に住む老人を殺害。

 殺害理由は毎朝早くに起きるのがうるさかったから。

 日付を見てみると、並行世界の新聞と同じ日付。

 事件が起きた時間帯も同一のようである。


「尚也なら察してるだろうけど、これで死んだ老人は同じ人。それでもって、殺した主婦と通報した主婦も同じ人。多分だけど、もう一人のあたしは主婦さんに罪をなすりつけられたんだと思う」


「なるほどな……」


 確かに、彼女の言っている事は正しい可能性が高い。

 状況から考えるに、もう一つの世界で老人を殺害したのも老人。

 となれば、彼女の発言通り、もう一人の鈴鹿は罪を擦り付けられた可能性が高い。

 冤罪で逮捕され、今現在も苦しんでいる可能性が高い。


「それに、何となくだけど分かるんだよね。あたしはやってないって」


「何となく……?」


「うん。並行世界でも、あたしはあたしだからかな?あたしは絶対にやってない!」


「そうか……それじゃあ、これからどうする?無実だってんなら、助けるか?犯人分かってるし、上手くいけば……」


「うーん、どうだろ?実際の所、高校生が何か言おうと、特に変わらないんじゃないかな。普通に考えて、高校生が事件の犯人は別人だ!って言っても、聞き入れてもらえないんじゃないかな。あたしが出て話すっていう選択もあるけど、それもそれで問題になりそうだしさ!」


「じゃあ、どうする?」


「そうだな……」


 彼女は少し考えるように俯くと、数十秒黙り込んだ。

 そして、答えを決めたのか、真っ直ぐこちらを向くと、一言。


「尚也が決めて」


「……え?」


「尚也は優しいからさ。あたしがどうしたいっていったら、あたしがしたいようにするでしょ」


「だけど、今回の事は大きい出来事過ぎる。だから、自分の考えで決めてほしいの。あたしの考えじゃなくてさ」


「俺は……」


 自らの考えを話そうとするが、ギリギリの所で言葉は止まった。

 まだ、どうすればいいか、どうするべきなのかという考えが纏まっていなかったのだ。

 何とか考えを纏め、自分の意思で考えを話そうとするが、言葉が出てこない。

 必死に脳を働かせるか、どうするのが正解なのかが分からない。

 言い淀み、下を向いている俺を見た彼女は卓上の書類を纏めながら、優しい声を発する。


「まあ、時間はないけどさ、ゆっくり考えて良いと思うよ。どうしようと、あたしは尚也の考えを尊重するよ。……あ、あたしはあたしの考えを尊重するから、そこまで尚也に協力できないからね!それだけよろしく!」


 彼女はそれだけ告げると、母親が帰宅する事を理由に、半強制的に俺を追い出した。

 暫くの間、玄関前で立ち尽くしたのちに、脳を最大限に回転させながら行く当てもなく歩き始める。


 ……彼女は最後、助けに来ないでと言っていた。それに、自ら警察に捕まった。

 彼女の意見を尊重するのなら、助けないというのも一つの選択だろう。

 しかし、実際に彼女がやっていないというのならば、彼女を助けないのは良くないのではないだろうか。

 真犯人であろう人物が分かっているのであれば、その正体を警察に伝え、真犯人を捕まえてもらうのが彼女だけでなく、被害者の家族の為でもあるのではないだろうか。

 とはいえ、鈴鹿が言っていた通り、一般高校生のただの意見を警察が聞くとは思えない。

 証拠を出せと言われれば、そこまでなのかもしれない。

 そもそもとして、並行世界とこちらの世界は違う。

 ここで並行世界の結果を変えるのは、良くないのではないだろうか。

 非常に似ている世界であるとはいえ、二つの世界は別物である。

 彼女が捕まるのが、並行世界にとって本当の歴史だとすれば、並行世界の歴史を捻じ曲げる事となる。

 ハッキリとは分からないが、これは非常に問題のある行為である可能性がある。


 というか、世界が違うのならば、彼女は鈴鹿と言えるのだろうか。


 ……考えれば考える程、どうすれば良いのか分からなくなる。

 俺はどうしたいのか。助けたいという気持ちもあるし、このままの方が良いのではないかと言う気持ちもある。

 俺はどうすれば……もう一人の俺なら、どうするのだろうか。

 もう一人の俺なら助けるのだろうか。それともこのままを選ぶのか。


「………………あ」


 答えが見えず、ふと顔を上げた。

 すると、俺の目の前には行きつけのラーメン屋が建っていた。

 毎週のように見てきたラーメン星と言う看板に、店内から漂う食欲を誘う匂い。

 思わず腹の虫が鳴り、唾液も分泌されていくのを感じた。

 早めの夕飯にラーメンを食べていくことに決めると、スライド式のドアをゆっくりと開く。

 普段とは違い、カウンター席に腰を下ろすとメニュー表を手に取る。

 少し考えると、店員に声をかけ、ラーメンを注文する。


 ラーメンが来るのを待つ間、楽しい事を考えようとするが、考えとは裏腹に、自然と現状の問題について考え始めてしまう。

 自分が今すべき事。自分が今したい事。

 考え、意見を出しては、それで良いのかと考え直す。

 考え、意見を出し、否定し、考える。

 永遠に無駄とも思える考えを脳内で繰り返していると、良い匂いを漂わせるラーメンがカウンターに置かれた。


 置かれたラーメンは塩ラーメン。

 普段ならば特製とんこつを選ぶところだが、気が付けば普段とは違うものを頼んでいた。

 考えるのを一時停止すると、割り箸を割り、ラーメンに口をつける。

 さっぱり塩味が効いており、シンプルなのにも関わらず旨味が詰まっているのを感じる。

 想像以上の美味しさに、自然と箸が進んでいく。


 半分以上食べ進め、少しずつ腹が膨らんできた頃。

 ふと、「確かに、ここまで美味しいのであれば、鈴鹿が毎回頼んでいたのにも納得だ。」と考えてしまった。

 考え始めてしまえば、もう止まらない。

 ラーメンの事で忘れていた、彼女の事を再び考え始めてしまう。

 思わず箸が止まった時、カウンターに一つのお椀が置かれた。

 そこに入っていたのは特製とんこつラーメンが少し。

 一体誰が置いたのかと顔を上げると、そこには一人の中年男性が立っていた。


 名札へ目をやると、店長星と書かれていた。

 来店時、ほぼ毎回働いているとは思っていたが、店長であるというのは初めて知った。

 新たな事実に多少驚きながらも、カウンターに置かれたラーメンについて尋ねる。


「あの……頼んでないと思うんですけど」


「ああ、ただのサービスだよ。毎回それ頼んでるだろ?」


「はい……え、毎回って……覚えてるんですか?」


「そりゃあ、お前、毎週のように食べに来てくれる常連さんだからな。勝手に顔と注文は覚えるよ。確か、毎回三人で来てたよな。今日は一人かい」


「あ、はい。まあ、そうですね」


 疾しい事はないのにも関わらず、自然と顔が下を向いてしまう。

 そんな俺に何かを感じ取ったのか、優し気な笑顔で言葉を発した。


「なるほど。お嬢ちゃんの方と何かあったんだな。それも、結構でけえことだな」


「え、何でそれを……」


「これでも人生経験豊富でな。3回転職、平社員、店長、バイトといろいろ経験してるんだ。それくらいの事見ればわかるさ。まあ、分かった所でって感じではあるがな!」


 彼は軽く笑うと、テーブル席の客に炒飯を置いた。

 そして、再び目の前に戻ってくると、ハイボールと書かれた缶を手に取り、慣れた動きで口へ運び、喉を潤す。

 美味しいのか、幸せそうな顔をしながら声を零すと、こちらに顔を向け、懐かしい思い出を語るように、一つの話を始めた。


「まあ、ただの店主の俺が、今日初めて話すあんたに良い話は出来ないけどな、経験に基づいて導き出した、一つの答えを伝える事は出来る。高校生の少年、自分の心に従えよ」


「自分の心に?」


「俺は転職を繰り返してラーメン屋になった訳だがな、親に言われた会社に入ったり、評判の良い会社に入ったり、適当に入ったり、色々な理由でやって来た訳よ。けど、全部上手くいかなかった」


 少し悲しそうな顔をしたかと思うと、再びハイボールを口に入れ、喉を潤し始める。

 そして、一瞬のうちに空になった缶を音を立てて握り潰すと、再び笑顔を浮かべ、口を開く。

 その表情はどこか楽しそうで、どこか優しさがあるように感じる。


「全部だめでどうしようかとなった時、俺は自分の心従ったんだよ。結果、俺は成功して、今にいたる!……まあ、長々と話したけど、他人の意見に従うのも大切だが、結局の所、自分の心に従うのが一番って事さ。兄弟や、親友がいようが、お前の事を分かるのはお前だけ。お前は全世界でお前だけなんだからな!」


「俺は俺だけ……あの、自分がどうすれば良いか、どうしたいか分からない時はどうすれば……」


「そりゃあ、お前、自分の全部をさらけ出すんだよ!そうすれば、自分の心の底ってのが分かるはずだぜ。まあ、そう言った仮定では友達を頼るのもありだな!まあ、ラーメン食って元気だしな!そんでもって、三人でも、四人でもまた来い!」


 今日一番の笑顔でそう言うと、女性店員の平手打ちが彼に直撃した。

 どうやら、仕事中に酒を飲んだことに気づき、怒っているようだ。

 ふと、彼女の胸元へと目をやる。そこについている名札に書かれている名は星。

 見た目から察するに、店主の娘というのが妥当だろう。

 彼は平謝りを続けながら、空き缶を捨てると、再び仕事へと戻る。

 

 俺は塩ラーメンを食べ切ると、サービスで貰ったラーメンに手を着ける。

 塩も美味しかったが、やはり一番は特製とんこつだ。

 食べなれたこの味が溜まらない。

 数分前以上に箸が進み、気が付けばスープまで飲み切っていた。

 全てのラーメンを食べ切ると、会計を済ませ、店主に軽く礼を言う。

 そして、店を出ると同時に、親友へ連絡を入れた。

 彼に全てを打ち明けるために。

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