第11話 初心者マーク──①

「それって、どういう意味」


 ごくりと琉笑夢の喉が上下した。


「なんだよ、言わなくともわかるだろ」

「わかるかよ、ちゃんと言え。なあ、どういう意味」


 ずいっと端正な顔が近付いて来た。

 それこそ数えきれないほど至近距離から見下ろし、そして見上げてきた顔だったが、何度見ても綺麗だなぁと思う。


 鼻筋も高く全体的に西洋風な顔立ちなのに、どこかエキゾチックな耽美さが滲み出ているのは日本人の血も入っているからだろうか。


 髪色と同じ色の眉は、瞳の形を沿うように目頭から細く伸び目尻にかけて凛々しくなっていく。

 意思の強そうな瞳は、微妙に色や形が異なるいくつもの青いガラスの破片が繊細に重ねられ、埋め込まれているかのような色合いだ。

 もともとが彫の深い顔立ちなので眼球がわずかに窪んで長い睫毛の影が入り、瞳の輝きや大きさが際立っている。

 春人は目が大きく童顔に見られがちだが、それは輪郭が丸みを帯びていてどうしても幼く見えてしまうからだ。

 そもそも琉笑夢も目は大きいのだが、成長とともに頬の丸みが消え輪郭がすっと細まりくっきりとしたことに加えて、常にだるそうにまぶたが下げられ目も垂れ気味なのでさほど大きくは見えない。

 ただ、独特なアーモンド型をしている瞳の2割ほどをまぶたが覆っているせいで、深い二重と盛り上がった涙袋の印象が強く、一度視界に飛び込んでくればいつまででも眺めてしまいそうな目の造りになっていた。


 琉笑夢のことを神だと崇めるファンの気持ちも、わからなくはない。

 まさに西洋人形さながら、恐ろしいほどに完璧な造形過ぎるのだ。

 異国の巧みの手によって造られた精巧な人形であると言われても、違和感がないほどに。


 しかし、例え顔が美しかったとしても琉笑夢は人間だ、長所もあれば短所もある。

 現に春人をしっかりと視界に捉えるため、普段以上にぐわっと広げられている目の眼力は凄まじいもので、飲み込まれてしまいそうだった。

 近づけば近づくほどくるりとカーブしている長い睫毛がこちらの目にも突き刺さりそうになり、ちょっと引いてしまう。


「まてまて、だから顔怖えって」

「聞いてんだよ答えろよ、どういう意味」

「……どういう意味って、言われてもさ」


 それは改めて言わなければならないのだろうか、ずっと兄としての態度を崩さぬようにしてきたので、しっかりと言葉にすることにかなりの気恥ずかしさを覚えるのだが。


「言って春にい、お願い」


 幼い口調に、ぐっと喉まで言葉が出かかる。

 

「謝るから、首、絞めたこと……謝るから」

「は?」

「ごめん、酷いことして。だから言え、言ってよ」


 琉笑夢が謝るだなんてまさに青天の霹靂だ、ぽかんと開いた口が塞がらない。

 切羽詰まっている様子だ、それほどまでに言ってほしいということなのだろう。


「あー……その、だから」


 普段はあまり動くことのない眉尻や口の端が震えている。

 そんな風に必死の形相をされてしまったら。お願いを無視することなんてやっぱりできない。


「──好きだよ、琉笑夢が」


 実家の玄関で出会ったあの日から。

 風呂場で初めてこの体を抱きとめたあの瞬間から。

 春人だけをまっすぐ見つめてくる琉笑夢には、絶対に敵わないのだ。


「それ、は……弟として?」

「違うっつーの、男としてだよ。おまえがオレのことを想ってくれてるのと、たぶん……同じ気持ち」


 諦めて、熱を帯びていく頬を自覚しながら正直に告げる。


「だからずっと、おまえと一緒にいた──ん、ぅッ」


 唇に噛みつかれ、続く言葉を遮られた。

 それは今までで一番性急なものだった。覆い被さってきた体に羽交い絞めにされ、水音を立てながら唇をこじ開けられぬるりと舌が入り込んでくる。


「んッ……は、ちょ、まっ」

「春……はる、春」

 

 どんどんと熱が高まり激しくなってくる口付けの合間、昔と違って逞しい腕にぎゅうっと抱きしめられれば体も痛む。みしみしと骨が砕けてしまいそうな音が内部から聞こえてきてぶるりと震えた。


「っ……痛え、骨痛えって、ルゥ、つぶれ……むぅ、ん」


 だが琉笑夢は強く抱き締めることを止めない。

 春人の声が聞こえていないのか、それとも余裕がないのか。

 つい閉じかけてしまいそうになる唇を食まれ、割り割かれ、執拗に舌を絡めとられる。

 辛うじて拘束を逃れた右手で琉笑夢の背を軽く叩いてみても離れない。

 口内を弄ってくる舌も、どんどんと深いところまで侵入してくる。


「ん、ん……ぅ、ぁ、ん……」


 きつく抱きすくめられて体が痛いし、好き勝手に口内をまさぐられて息が苦しい。

 けれども吐息すらも奪うほどの勢いで、角度を変えて何度も重ねられる唇の貪欲さにじんわりと心が温かくなってくるのも事実だった。

 触れ合った服越しの肌を通して、琉笑夢が今どれほど春人を求めているかが伝わってくる。


「る、え」

「春……はる、好き、春人……」


 息継の合間、ほんの数ミリ唇が離れる度に名前を呼ばれる。

 うっすらとまぶたを上げれば、目の輪郭を捉えられないほど深い青色が間近にあった。長い睫毛がぱさりとかかる。

 春人の一挙一動を一瞬たりとも見逃さないとでもいうように熱を孕んだ瞳に、ぞくりと背筋が震えた。


「んぅ、ふぁ……」


 もう舐める場所もないくらい口内をじっくりと堪能されてから、舌がゆっくりと引き抜かれた。絡み合った二人分の唾液が唇の端から垂れ、顎を伝う冷たさが火照った肌に染みる。

 やっとまともに息が吸えた。ぜいぜいと呼吸が乱れる。

 それなのに、必死で息を整えようとしている最中にまた押し付けられそうになる濡れた唇に、慌てて待ったをかける。


「ッ~~、タンマ、苦し……」

「……、煩え、待てるかよ」

「っ、も……おまえ、んん……」


 顔を背けても追いかけられて唇をふさがれる。狭い可動範囲で脚をバタバタと動かしても全く効果がなかった。びくともしない。

 再び始まった嵐のようなキスに翻弄される。休憩させろと何度か頼み込んだものの聞き入れてはもらえなかった。

 部屋に響く濡れた音と時を刻む時計の針の音だけが響く中、さすがにもう限界だと琉笑夢の後ろ頭をかなり強く引っ張ったことでやっと離れた。

 けほ、と喉の奥に流れて来た唾液を飲み下す。口の周りは溢れた雫でべたべたになっていた。

 力の入らない腕で濡れた唇を擦ろうとしたのだが、強引に引き剥がされた。


「手ぇ邪魔」


 不機嫌極まりないといった声にイラっとした。

 コイツ、さっきまではあんな殊勝な態度だったくせにちゅーしただけで調子戻しやがって。


「あのなぁ! 手加減しろよ、こっちは階段駆け上がっても結構……息切れすんだぞ」

「じじいかよ」

「なんだって?」


 ひょいひょい日本中を飛び回っている19歳と日々デスクワークが基本の27歳を同じにしないでほしい。

 25を過ぎると徹夜も厳しくなるし、そもそも体力も経験値も違うのだから。


「って、おい」


 だというのに、さも当然のことのように服の隙間から不埒な手が侵入してきた。


「な……んだよ、この手は」

「なにって、春が俺を好きで俺も春が好きってことは晴れて恋人同士になったってことだろ、つまりはそういうことだろ」


 どういうことだ。食い気味に言われて首を捻る。

 つまるところそうなのだろうが、琉笑夢と春人が恋人同士だなんてなんだか馴染みのない言葉だ。


「まあ、そう、なんのかな?」

「そうなるんだよ。なら恋人同士がベッドの上でやることなんて一つだろーが」

「や、やることって言うのは」


 聞かなくとも答えなんてわかり切っているのにあえて声に出してしまうのは、否定してほしいからに他ならない。


「──セックス。正確にはアナルセックスだけど」


 だが微かな希望も虚しく、きっぱりと断言されてしまった。


「え、っと……」


 男同士ではそこを使うということは知っているのだが、心を通じ合わせてまだ数分しか経っていないのだ。

 まだ心が追い付かない。


「さっさとやるぞ」

「まっ、まて、まてまて」

「無理、散々待った。さっさとケツ出せ」

「ケツって、おまえ情緒とかねえのかよ!」

「春に情緒がどうのとか言われたくねえし」

「あのだからちょっとまってくれって、オレもう27歳だけどさ……初めてなんだよ」

「──は?」

「だ、だから……本当はオレ、誰ともそういうことしたことなくて」


 だぁん、と顔の横に拳を叩きつけられて硬直する。


「あのさぁ、なに言ってんの?」


 たらりと額から汗が垂れてしまったのは、シングルだがそれなりに質のいいはずのベッドが今の一撃でかなり浮き上がったからだ。

 ぎりぎりと耳元で、握りしめられた琉笑夢の拳の音が聞こえる。


「それ当たり前だから。おまえが誰かに突っ込んだり突っ込まれてたりしてたら春の目の前で相手殺して春も殺して俺も死ぬ」


 いやどこにキレてんだよ。血走らせた目でかくんと首を傾けた琉笑夢の姿はまさにホラーだった。

 前に琉笑夢と、美貌の殺人鬼が嫉妬のあまり恋い焦がれた主人公の恋人を主人公の目の前で斬殺した海外のパニック映画を一緒に観たのだが、そのワンシーンが今の琉笑夢と被った。

 ついでに春人を抱き締めながら、気持ちわかるなあとぽそりと呟いていた琉笑夢も思い出してしまって、きゅっと臀部に力が入る。

 じわりと汗が噴き出しはじめる。


「俺以外に手ぇだしても手ぇ出されても許さない」


 確か映画の中で殺人鬼も似たようなことを言っていたような。そしてコイツならやりかねん……じゃなくて。

 一瞬にして光を失った瞳に盛大にびびりながらも、懸命に言い募る。


「そうじゃなくて! こ、こーいうのは順序ってもんがあるだろ、な? ほら、オレたちって今日が交際初日だろ? 初めてだし、ゆっくりやってほしいっつーか、合わせてほしいっつーかさ……」

「なんだそんなことかよ。安心しろって、俺も童貞だから」

「……へ?」


 今、とんでもない爆弾を落とされたような。

 眼前の麗しい青年の言葉が信じられなくて耳を疑った。


「初めて?」

「そう、初めて。前も後ろも」

「………………琉笑夢が?」

「当たり前だろ、俺のこれはおまえのケツに突っ込むためだけに存在してんだよ」

「あーえっと、その、ちょっといろいろ突っ込む前に、嘘だろ……だって、海外行ってたじゃん」


 ウェーブのかかった金色の髪をこれまた絵になるような仕草でゆったりとかきあげる琉笑夢。耳に付けられた紫色のピアスがきらりと光る。

 春人が写真家だったのなら、今の瞬間でかなりの枚数を撮っていたことだろう。


「なんで海外行ったら童貞捨てなきゃなんねえわけ。どこ情報だよそれ」

「なんでって……海外にはキレイな人結構いるだろ。だからそういうもんなのかなって」


 それに琉笑夢ほどの男ならば色々な意味で引く手が数多だろう。

 頻繁に会っていたらしい父親の教育もあって英語だってすらすらと喋ることができるわけだし。

 ちなみに春人は翻訳機がないと無理だ。この前観光客の外国人に道を聞かれてパニックに陥った。なんとか目的地まで連れていくことはできたのだけれども、かなり時間もかかってしまった上に相手にもかなり迷惑をかけた。


「綺麗な人がたくさん、ね。俺より顔のいい奴なんてあんまいなかったけど」

「お、おお……」


 琉笑夢は幼い頃から女の子に間違われるのも女顔と称されるのも大嫌いだったが、自分の顔の造形には絶対の自信を持っていた。

 というよりも自分の顔の影響力を十二分に理解していたと言ったほうが正しいだろう、不本意ながらも。


「それに」


 すっと合わせられた視線に、どきりとする。


「俺にとって一番綺麗な奴、目の前にいるし」


 たまった唾を飲み込めばごくりと喉が鳴った。

 やけに大きい音になってしまったことが恥ずかしい。


 真顔で、しかも大切な宝物を包み込むみたいに柔らかな声でそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。


 何かを言おうとして、けれども上手に言葉にならなくて何度か唇を開閉する。

 結局まともな台詞が出てくるまでたっぷり数秒はかかってしまった。


「な──なに気障ったらしいこと言ってんだよ。オレ相手におまえは、もお~……」

「本音だっつーの。海外いた時もズリネタはおまえの写真と動画だったし」

「は? 初耳なんだけど、動画と写真っておまえいつそんなものを」

「そこは今はいい」

「よくねえだろ!」


 異議を申し立てようとしたのだが、琉笑夢は会話の流れをぶった切るように勢いよく長袖のカットソーを脱ぎそこら辺の床にぽいと捨てた。

 細身ながらも引き締まりしっかりと6つに割れた腹部が現れる。耳だけではなく臍にも黒色のピアスをしていることも、今初めて知った。

 ちなみに春人も割ろうと奮闘していたのだが筋肉が付きにくい己の体に絶望し20代前半で諦めた。

 細いが男らしく筋張った指先と、伸びる脇から二の腕にかけての筋肉から目が逸らせなくなる。深い鎖骨と筋の通った首筋もしっかりと男のそれなのに、女性のようにきめ細かで白く滑らかな肌がやけにアンバランスで、何とも言えない色香が漂っていた。


 ぐいと迫って来る逞しい体。ぎしりと再び顔の横に手を置かれ大きな影に覆われる。身動ぎすることもできなかった。

 わずかに赤らんだ目許と口許のホクロがなお艶やかに見えた。濡れた厚い唇を薄く開き、ぺろりと舐めた青年の妖艶さもとてつもない。

 しかもその間、琉笑夢は慣れた手つきでスキニーのファスナーに手をかけ下ろしているのだ。


 嘘だろう。

 こんな男も女も100人くらいは抱いてきましたみたいな顔をしておいて。


「なにその顔。俺、正真正銘の未使用で新品だから。おまえと同じで初心者マークの童貞」


 春人が思っていることをまた読み取ったらしい美貌の青年に冷笑され──こんな色気ダダ漏れの童貞がいてたまるか!と内心で突っ込んだ。

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