第5話 『diDi』──①
『diDi』
とかいう名前を頻繁に見かけるようになった。
雑誌で、テレビで、ネットで、CMで、広告で、SNSで。とにかくあらゆる所で。
帰国子女かつハーフのモデルやタレントも数が増え、芸能界へ出たり入ったり炎上したり消えたり戻ったりを繰り返しほぼ飽和状態となっている現代社会。
その中でも帰国子女でかなりの長身、スレンダーな体躯、かつ女性と見まごうばかりの美貌を持つ金髪碧眼のハーフの美青年はかなり人目を引くらしく、あれよあれよとファンの数も凄いことになっていた。
柔らかい曲線を描く艶やかで眩い髪に、ツーブロックの刈り上げ。男らしくもあり女性らしくもあり、そのどちらでもなくそのどちらでもある。
メンズ・レディース関係なく大手メーカーとのコラボも数多く、どんな派手なメイクすらもやりこなし、どんな服であったとしても着こなし、それが例えヒールであっても履きこなす。
最近では曲なんかも出して、そのファッション性の高いPVやダンスもさることながら、歌が驚くほどにうまいものだから動画の総再生回数も凄いことになり、男女問わず学生、そして社会人たちが盛り上がっている、らしい。
なんでも、きめ細かで透明感のある美しい顔と漢らしくて色気のある芯の強そうな低音とのギャップが良いらしい。
そして、ファンへの対応がとても丁寧だと話題だ。
海外のアイドルや俳優にのめり込んでいる若い世代も、突如として頭角を現した前衛的なモデル、タレントの『diDi』なる人物には興味を引かれるらしく、じわじわと戻ってもきているらしい。
そういえば前にテレビで特集も組まれていたな。
そのうち俳優業にまで進出するんじゃないかと実しやかにささやかれてもいるらしいが、それには否と、春人はしっかりと断言できる。
にこっ、じゃなくにたっ、と笑うアイツに、自然な笑顔なんて作れるはずがない、と。
「よぉ、ダーリン」
そんな低過ぎる声の「ダーリン」があるものか。
春人は煙草を咥えたままにたっ、と片方の口角を吊り上げたかつての美少年そして現美青年から逃れるべく、思いきり扉を閉めようとした、のだが。
ガッとえらくながい脚を扉の隙間に突っ込まれて、ひえっと飛び上がった。
「──んで閉めんだよ」
一瞬で怒気が込められた地を這うような低い声にもう両手はぶるぶるだ。
「ばっ、やめろおまえ、壊れるだろうが、ドアが!」
「心配すんの普通ドアじゃなくて俺ね、現役だぞこの美脚は。おら、開けろ」
自分で言うか、と突っ込もうと思ったのだがちょっとでも気を抜けば確実に突破される。扉の隙間の高い位置から自分を見降ろしてくる視線が痛い。
どんどん強引に隙間にねじ込まれていく足は大きくて、隣に並んだ春人の平均的な大きさの足とは比べ物にならなかった。
このぐらいの大きさでもヒールとか履けちゃうんだもんな。
年配の世代やネットのごく一部では「若い男が女が履くヒールなんかを履くなんてけしからん、気味が悪い」なんて言う人もいるらしいけど、春人はそう思わない。
だってあんなにも素敵なのだ。かなり様になっていて綺麗で思わず駅前のポスターの前で立ち止まって凝視してしまった昨夜の自分の姿を芋づる式に思い出してしまって慌てる。
今は感心している場合じゃない、この長い脚の主を追い返すことが先決だ。
「帰れってば! なんでこんな夜中に来るんだよ」
「いいから開けろ扉壊されたくねえだろ。それとも壊されたくてやってんの?」
外は夜、暗い隙間からのぞく爛々と輝く青い瞳。
いやホラーかよ、と心の中だけで突っ込む。
全国のコイツのファンが今の発言を聞いたら何を思うだろうか。
琉笑夢を見ては、将来が楽しみねぇとにこにこ笑っていた母親も、まさか琉笑夢がモデルという道に進み、ましてやこんな超一流の有名人になるとは思っていなかっただろう。
テレビやら広告やら雑誌やらでよく見かける『diDi』。ディディこと──飛鳥間・ディディエ・琉笑夢の姿は、春人の知っている彼とはだいぶ違う。
クールかつビューティーかつ妖艶で色気のある青年とかいう設定で通ってはいるが、実際の琉笑夢はかなりワガママだし些細なことで直ぐに怒るしキレ散らかす。
とは言ってもキレる9割の理由は大抵春人絡みなのだが。
例えば春人がこうして琉笑夢を追い返そうとしたり、琉笑夢を放置して別のことに集中したりしていると激しく機嫌を損ねる。
つまり、春人が構ってくれないと子どものように怒るのだ。
ちなみにキレる残りの1割は食事に関することだ。
イメージ戦略のためなのか甘い物は苦手、とかいう設定にしているようだが琉笑夢は大の甘党で、特に洋菓子が大好きだ。
苦い物は眉間の皺を何本も増やしていかにも苦い物を食べていますって顔で咀嚼するし、苦い薬なんて絶対に飲まない上に俺は自然治癒派だと駄々もこねる。
前に、夏休みに春人の家に遊びに(という名の長期外泊)来ていた琉笑夢が風邪を拗らせた時は、無理矢理薬を飲ませるのに苦労したっけな。
飲む代わりに膝枕を5時間ほど強要されて脚が死んだ。
セミの鳴き声の煩さと風鈴の涼やかな音色と痺れて感覚がなくなる脚。
この三つは春人にとって夏の季語になった。
琉笑夢の大好物はシュークリームで、彼が遊びに来る日は決まって母親がシュークリームを用意していた。家に帰って来て冷蔵庫にシュークリームがでんと入っていれば、「ああ今日は来るんだな」なんて思ったものだ。
ちなみに春人の好物はあんこの入ったたい焼きなのだが、琉笑夢には「じじくさ」と鼻で笑われる。ちなみに春人はブラックコーヒーも好きだが琉笑夢は飲めない。
そのくせ、毎朝飲んでいますとかインタビューでは答えていた。嘘つきめ、おまえが朝一番に飲みたがるのはココアかオレンジジュースだろうが。
ミキサーで作られた野菜ジュースですら「ただのヘドロ」と称する男だ。
昔はピーマンも全部オレに流していたくせに。
今でも人参を皿の端にこっそり避けて食べてること、オレは知ってんだぞ。
「嘘つきは泥棒の始まりだ……」
「何ふけってんの、うざ。年?」
くっ、コイツ。小さい頃は「春にい、だっこして」なんて甘えながら手を伸ばして来たくせに。いつからこんなに口が悪くなったのか。
「いいから早く開けろ。開けろよ開けろ開けてって、なあ、なあなあ」
どんどんでかくなっていく血走った青い目に背筋がぞっとする。
いやだからホラーかって! 春にいなんで閉めるんだよぅ一緒に寝たいよぅと切ない声を出しながら春人の部屋の扉をとんとこ叩いていたあの頃の琉笑夢が懐かしい。
今の琉笑夢はこれ以上叩いたら扉が割れるんじゃないかと心配になるほどの力でドンドンと重い一撃をお見舞いしてくる。
ご近所迷惑になるから静かにしろと何度言っても止めてくれない。前に住んでいたアパートでは30分以上叩かれてお隣さんに不審な目で見られた。
体もでかくなったんだから本気の力で叩けば傷が付くこともわかるだろうに──いや、もしかしたら幼い頃もあれはあれで本気の力だったのかもしれないが。
「明日も仕事なんだよ!」
「はい嘘、余裕で休みじゃん、自発的な3連休だってな」
「えっなんで……」
「道子さんから聞いた」
「おまえらほんと仲いいな!」
何余計なことバラしてんだ母さん! と叫んでやりたかったが、ご近所迷惑になるのでやめた。家賃もそこまで高くない5階建てマンションの一室だ、大きな声はご法度である。
確かに一昨日、最近忙しそうだけど元気にしてる? と連絡がきたので明後日から休みだから大丈夫と返しはしたが、まさかそれを琉笑夢にそのまま流してしまうとは。
道子は琉笑夢に今でも甘かった。
春人の頃は鬼教育だったくせに、酷いよ母さん。
「ふうん図星? 嘘つきは泥棒の始まりなんじゃなかったっけ、春」
ぎちぎちと隙間に手を突っ込んできながら、もう片方の手では悠々と煙草をふかし続ける19歳がにィっと笑った。
にたっ、とも違う笑みをいつのまにか修得していたようだが、それでも心地よい笑みだとは思えない。
なんというか、獲物を狩る肉食獣のような目をしている。
獲物は誰だ、いやオレかと内心で結論付けて頭を抱えそうになる。
思い出補正も入っているかもしれないが、それでも小さい頃の琉笑夢は本当に天使のようだったのに。
出会ったその日から春人に懐き、春人にべったりで、頭を撫でてやると嬉しそうに口許をほころばせて、抱っこしてなんて甘えてきた。
ヒヨコのようにどこまでも後を付いてきて、トイレの中まで付いて来ようとしてきて、春人が興味を示すものや人に全て嫉妬して、嫉妬のあまり人が部屋の壁に貼っていたポスターをびりびり破いてきたりCDをカチ割り「おれをみて」アピールをしてきたり時には人にコップを投げつけたりこっちを見ないからという理由で蹴ってきたりするような天使──いや違うな、思い出補正過ぎた。
昔からホラー感が強くてその片鱗はあったのだ。
俗にいうヤンデレというものの。
「ど、堂々と煙草吸ってるおまえの方がやべえだろ! あのな、琉笑夢。酒と煙草は二十歳になってからだって」
「いい加減黙れば」
尚も言葉を紡いで時間を稼ごうとしていると、琉笑夢がすっと笑みを消した。ふうと燻らされた紫煙が隙間から降りかかってくる。
一気に深海へと堕ちたかのような深い青に見下ろされる。じりじりとした攻防戦が力のある者の手によって叩き壊される合図だ。
負け戦であることは、初めからわかっていた。
「開けろ、春。開けねえと躾直すぞ」
びしりと固まってしまった春人を無視し、さっさと長い脚のみでドアを押し開けて玄関先に入って来た長身。
彼にとっては天井が低くて狭そうだ。
かつんと茶色の革靴を響かせただけなのに、そんなたった一つの動作でさえ洗練された動きに見えてしまう。
当たり前か、本業がモデルなのだから。
春人の部屋を訪れる時の琉笑夢は、テレビや雑誌で見かけるような派手な格好は全くしていない。今日だって、目立たないようにだろうアウターとトップスとパンツは黒っぽい色で統一されている。
ブラックスキニーに、同じくブラックのVネックの長袖カットソー、そしてネイビーのテーラードジャケットという出で立ちだ。
しかも黒の帽子を目深に被って目立つ髪を隠していた。
乱雑に放り投げられた帽子が玄関の棚からずり落ちそうになり、とっさに掴んで乗せる。
「おまえな。適当に置くなって……」
「喉乾いた」
「……水しかねえからな」
同じように雑に脱がされた琉笑夢の靴を丁寧に並べ直し、我が物顔で部屋に侵入してくる琉笑夢の後を追う。
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