第6話 『diDi』──②
どれもあちこちの店で見かけるような量産型の服のはずだし、普通の男ならばこんなに重そうな色合いを重ねるとどこか芋っぽくなってしまいそうなのだが(少なくとも春人は着こなせない)、すらっと背が高く手足の長い琉笑夢が身に着けるとどれも値の張ったブランド品に見えてしまうという不思議だ。
これでまだ20歳前なのだから恐ろしい。
春人が19歳の頃は、大学の食堂で友人たちと今日はA定食が安いなぁなんて当たり障りのない会話を楽しみながらだらだら食べてノートを撮ったりコピーしあったりお笑い動画を見て笑ったりゲームしたり講義中に寝てしまったりと、狭い世界でまったり生きていた。
そしてその頃の琉笑夢は確か中学校に上がる前で、当たり前だがまだまだ美少年の域を出ておらず春人の方が背も高かった。
懐かしさに比例するように年齢差に頭が痛くなってくる。
なぜ自分は8つも年下の男に、夜中に押しかけ訪問なんぞされてるのだろうか。
「あーもう、なんでこんな適当に投げるかな、皺になんだろ」
「うるせぇよお母さん」
「オレはおまえの母親じゃねえよ……」
テーブルの上に放り投げられた小さめのカバンは別にいいが、しわくちゃのままばさりと椅子の背もたれにかけられたジャケットは気になる。
丁寧に広げて伸ばし、しっかりとハンガーにかけてやる。
「で、何があってこんな夜中に突撃してきたんだよ。来るの来週じゃなかったっけ、オレ眠いんだけど……」
風呂から上がるのが遅くなり、今から行く、という唐突なメッセージに気が付いたのは30分ほど前だった。
ここしばらく琉笑夢は仕事が忙しかったのか、全然連絡もよこさなかったというのに。
「ん」
ずいっと目の前に差し出されたのは琉笑夢のスマートフォン。
「……ん?」
「見れば」
買い置きの飲料水を出してやるため冷蔵庫にかけていた手を止める。表示されているのは琉笑夢のSNSのアカウントだ。
自慢じゃないが春人はそういうのに疎い。色々面倒臭いなぁと思ってしまって暇な時にだーっと眺めはするのだが、自分から深く手は出せずにいる。
けれどもそんな春人であっても、よくわからないポーズを決めている洒落た琉笑夢の個人写真だとかポスターだとか食事風景だとか、そういうのにとんでもない数のいいねが付いていることはわかる。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……まで数えて止めた。残業の疲れも祟って目が疲れていた。
「見……ましたけど」
「何か気づいたこと全部。早く正解までたどり着けば」
そんなことを言われても。気付いたことは琉笑夢が褒めてほしいという顔をしているということだけだ。
他の人から見れば普段の表情と変わりはないのだろうが、こういう時の琉笑夢はホクロのある方の口許と目許の端がむふ、と緩む。
だが、肝心のどこを褒めればいいのかがわからない。
「えっ……と、いいねがたくさん?」
「当たり前」
「……ほぼ毎日更新してて、偉いな」
「あとは」
「身長、また伸びたか?」
「伸びてねーけど187.3cm」
「いやでか」
「次、早く」
せっつかれても見当も付かなくて段々と言葉に詰まってしまう。
「……一昨日の朝食オシャレだな、何語?」
琉笑夢の眉間の皺が増えた。
「あっなんだよピーマンあるじゃん。おまえピーマン食えるようになったのか」
眉間の皺がまたまた増えた、しかもかなり深い。
「その……あれか、おまえこのコーヒー絶対後から大量の砂糖ぶちこん」
「さっきからふざけてんの? 俺、気長くないの知らなかったっけ」
ついにびしりと琉笑夢の額に青筋が立ってしまった。琉笑夢の気が長くないことは十二分に理解しているが、困った。
ここまで来ても琉笑夢が気付いてほしがっているものがわからない。
しかしこれ以上間違えると、たぶん琉笑夢がキレる。
「えっと……まあ、あれだ。公式マークがついてる。琉笑夢はやっぱりすげえな」
切れ長の目を極限まで細めた琉笑夢に最後の回答も不発だったことを悟る。だがそんな顔をされてもわからないものはわからない。
昔なら頭の一つでも撫でてやればちょっとは機嫌もよくなったものだが、今じゃあ立ったままの琉笑夢の頭を撫でようとしたらつま先立ちになって手を高く上げるか琉笑夢に屈んでもらうかの二択しかない。
ふー、と呆れに満ちたため息が降って来て、煙臭さにげほ、と唸る。
「な、なんなんだよ。わかるように言えよ」
近くのテーブルにスマートフォンを置いた琉笑夢の手が伸びて来た。そのままぐっと胸ぐらを引き寄せられて、後ろ頭を大きな手のひらで鷲掴みにされる。
あっと言う間に小奇麗な顔が近づいて来て、思いきり唇を押し付けられる。
ぶつけられた唇は夜風のせいで乾いていたが、風呂上りで濡れていた春人の唇に直ぐに馴染んだ。
「ッ……む、ん──!」
最初から貪り喰うようなキスに付いていけない。
首を振って逃れようとするが身長差があるためなんなく押さえ込まれ、ぎゅっと引き結んでしまった唇を舌と歯で強引にわりさかれて、ねっとりとした舌を執拗に絡められる。
熱い呼気も注ぎ込まれ、溢れる唾液をすすられた。
煙草特有のじんわりとした苦みが舌を通して染み込んできてむせそうになる。苦い物が苦手なくせになんで煙草はすぱすぱ吸えるんだ。
ことあるごとにキスされるせいで、琉笑夢が愛用している煙草の味も覚えてしまった。
「はぁ、んっ……ぅ」
壁まで追い込まれながら隙間なく密着してくる体。喉の奥まで舌をねじ込まれ、あまりの息苦しさに顔をずらす。
舌の裏から歯茎、内頬、奥歯、上顎を順に舐られながら、初めて琉笑夢にキスされた日のことを思い出していた。
頻繁に体のあちこちをがじがじ噛まれてはいたけれど、頬にキスされたのは確か琉笑夢が中学校に上がってからだ。
しかしどう考えてもこれまでの噛みつき癖の延長線上の行為にしか思えなくて、俺にもちゅーしろと強請られてもはいはいと言いながら適当に頬や額に返していた。しなければしないで機嫌を損ね引っ付き虫になって後が大変だし。
だから、頬でも額でもなく唇を奪われた時は結構驚いた。
琉笑夢が14歳で春人が大学4年生だった。その頃には数ヶ月で一気に背が伸びていた琉笑夢に身長を4センチほど抜かれていた。
今に比べたらまだまだ舌の使い方も拙いものだった気がするけれども、喰らうような吸い付き方は変わっていない。
そんなことを思い出している間もキスは続き、息が乱れる。
今ではこの体格差だ。どうあがいても力じゃ敵わないことを知っているので琉笑夢の気が済むようにさせていると、視界の隅で赤く灯る煙草の先が見えた。
「……っ、ルゥ、ちょっ……待て」
「煩え」
拒否されたと思ったのかあからさまに拘束力が強まる。苛立つように後ろ髪を下に引っぱられてさらにキスが深くなって慌てた。
そうこうしているうちに、熱そうな煙草の先が琉笑夢の襟首と白くきめ細かな肌に近づいていってしまう。
なんとか逃れ、叫ぶ。
「んぅッ……ち、げーよ、煙草! 火傷したらどうすんだ、そういうのはちゃんと火い消してからやれって!」
結局注意している間にじ、と服の襟に煙草の先が付いてしまったのが見えて、「おまえな、危ねえだろ!」と喚きながら琉笑夢の服の襟に付いてしまった細かな灰や焦げ跡をはらう。
しかし、ぱんぱんと強めに叩いてもなかなか取れない。
どうして琉笑夢は一つのことに熱中すると直ぐに回りが見えなくなってしまうのだろう。そんな所も昔から変わっていない、図体ばかり大きくなっても全く世話が焼ける。
「ああぁ服が……跡ついちゃったじゃん、似合ってんだから大事に扱えって、全く……」
「……あのさぁ」
「なんだよ」
完全に気が削がれてしまったらしい琉笑夢は、やけに大げさなため息を吐いた。
いつのまにか煙草を吸わない春人の部屋に勝手に備え付けられていた灰皿に煙草がぐりっと押し付けられ、火が消える。
最初からそうすればいいのに。
「わかる? 俺いま、おまえにキスしてんだけど」
「はあ? 何言ってんだそれぐらいわかるわ」
現にだらだらと口の端から二人分の唾涎が垂れてしまっているではないか、しつこくべろべろしやがって。
「ただ、そういうことをする前にちゃんと周りを見ろって言ってんだよ。怪我してからじゃ遅いんだぞ」
「……この鈍感天然野郎が」
濡れた唇を拭いながら注意してやったのに、歯の隙間から唸るように言われて素であ? が出た。
確かに鈴木家の人間は天に然が入っている傾向にある。父親と母親の道子を筆頭に、兄の夏人ものほほんとしているのだ。
だからこそ春人だけはしっかりしなければと、幼い頃はよく自身を律したものだ。
春人よりも大人びていた莉愛は大学卒業とともに年上の彼氏と結婚し、いまでは2児の母だ。同じ大学だった頭のいい莉愛は首席で卒業し、妊娠したお腹で堂々と卒業証書を受け取っていた。
膨らんだ腹と艶やかな袴を着た見た目も派手な莉愛と、びしっと決めたがどう見ても袴に着られているようにしか見えない春人が二人並んで撮った卒業写真を母親はいたく気に入り、今でも実家の居間に飾られている。
莉愛が子どもを連れて遊びに来た時には「いや、これじゃあたしの旦那春じゃん」なんてげらげら笑いながら、第二子がいる腹を柔らかく叩いていた。
ちなみに兄の夏人は半年前にめでたく結婚し婿養子に入り鈴木姓から田中姓へと華麗なる変貌を遂げ、来年の春には子どもも生まれる予定だ。
きっと田中家にも、鈴木家の血が色濃く受け継がれていくに違いない。
「いーやおまえは完全に鈴木家の人間だ」
何も言っていないというのに心の中を読まれてひえっとなる。
「おまえ……こわ」
「怖いのはおまえだ。ほらもっかい見ろ。目開いてよく見ろ、おら」
再び押し付けられた画面に辟易する。だから何度見せられてもわからないというのに。
ヒントがほしくてちらりと琉笑夢をうかがえば、心底呆れたような瞳が春人を見下ろしていた。
「フォロワー数。これでわからなかったら裏垢作っておまえの寝顔晒すから」
「ええ……何が目的だよ」
琉笑夢はいつも最後の一言が余計だ。
だが、言ってやりたいことは山ほどあったがせっかく与えられたヒントを無碍にしてこれ以上不機嫌になった琉笑夢に襲われるのも困る。
いいねの数を数えた時のように、今度はフォロワー数を確認してみる。いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……と数えてやっぱり目が痛くなって、ひゃくまん……ごひゃくまんまでしっかり指さしで数えて頭が痛くなった。
ごひゃくまん飛んで23人……あ、今の瞬間でもう3人増えた。
「お前、人気者だなー」
「で?」
「え、えーっと……」
「わかる? 500万人超えた」
「あ……ああそっか! そういうことか、よかったな夢が叶って」
痺れを切らした琉笑夢にほぼ答えを言われたようなものだが、それを褒めてほしかったのかと理解してさっそく笑う。
フォロワー数500万人超えを目指していたなんて知らなかった。あの琉笑夢がここまで有名になるとはなかなか感慨深いものがある。それに、これで裏垢での晒し行為は免れた。
しかし、せっかく褒めてあげたというのに琉笑夢の機嫌は優れない。それどころか下がっていく。
何が足りないのだろう。
うんと手を伸ばして、長い腕で自分を壁際まで追い詰め覆い被さるように囲い込んでくる青年の頭をよしよしと撫でてやる。
それでも残念なことに琉笑夢の機嫌はよくならず、それどころかさらに彼を纏う温度がしっかり下がってしまった。
もうここまで来たら、さすがの春人でもお手上げだ。
「いや、マジで何を求められてるのかわからん、ごめん」
「ああそう時間切れ、犯す」
「ちょっ──うお!」
ぐいっと首根っこを掴まれて、そのまま隣室までずるずると引きずられてシングルのベッドに放り投げられた。
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