第4話 将来の約束──②

 その後、数日経ってから琉笑夢は彼の母親の姉に預けられることになり、鈴木家を出て行った。

 やはり実の母親からはネグレクトを受けていたらしい。


 後から聞いた話だが、もともと琉笑夢の伯母はバーを経営していたらしく、琉笑夢を引き取れるようにしっかりと身辺整理をしていたのでその間だけうちが実母から預かっておくという約束だったようだ。


 同県ではなく隣の県で暮らすということもあり、琉笑夢は最後の日はいつも以上に甘えたで、ぐずりながら春人から離れようとしなかった。

 琉笑夢の涙を初めて見た春人は可哀想になり、ついついいつも以上にしつこかった結婚したい攻撃にうんと頷いてしまった。

 正にうっかりだ。やってしまったと焦ったが後の祭りで、これまた初めて見た琉笑夢の満面の笑みに訂正することも不可能となってしまった。


 春人との「将来の結婚」の約束を取り付けた琉笑夢はその後ぱったりと泣き止み、「結婚できるようになったら迎えにくる」と6歳児にしては潔く漢らしい約束を一方的に取り付け、派手な格好をした伯母に連れられて去って行った。

 琉笑夢とした約束だけが嫌な重さを伴い心の奥に残っていたのだが、そうは言っても所詮は子どもの戯言だ。琉笑夢も大きくなれば忘れるだろう。



 そう思って、いたのだが。







「琉笑夢くん、本当に春に懐いてたわねぇ」

「いやあれは懐いてたっていうか、たまたまオレだったっていうかさ」

「あら、そうだったの?」


 穏やかな日差しが差し込むベランダ。

 のほほんとした母親に強制的に付き合わされる穏やかなティータイム。

 そして袖をまくれば、いまだにしぶとく残っている数多の歯型。

 しばらく長袖以外着れねえやとわざとらしく嘆いてみせれば、母親は笑いながら紅茶を飲んだ。


「だって歳が近いのオレだけだったじゃん。夏兄もいなかったし」


 歳が近いと言っても8つも離れてはいるのだが。

 それに春人の兄は春人なんかよりも優しくて面倒見がいい男だ。そして母親と同じくのほほんとしている。

 もしも兄が家にいたのなら、琉笑夢は兄の方に懐いていたに違いない。


「あらぁ、でも琉笑夢くん春にだけだったのよ」

「なにが?」

「あのね、貴方が学校に行ってる間はずうっとお利口さんだったの」

「そ……うなんだ」

「ええそうよ。貴方がいない時に莉愛ちゃんとか近所のお兄ちゃんたちとかも遊びに来てくれてたんだけど、物を壊したり投げたりもしないし、お行儀もよかったの」

「へ、へえ」

「というか、あんまり表情が変わらないというか……春にだけよ、あんな風に可愛い笑顔を見せたりわがままを言って駄々をこねてたのは」

「………………へぇ」


 たっぷり数秒をかけて母親の言葉を消化して、音を立てて紅茶ごと喉の奥に押し流した。

 琉笑夢のあれはわがままなんて可愛いものではなかった気がする。そして笑顔も。なまじ顔が整っているだけに可愛いことは可愛いとは思うが、如何せん効果音がにこっ、ではなくにたっ、なのだ。

 兄のような存在であったかもしれない春人にすらあれだ。将来あの執着心や独占欲を一身に浴びせられることになるであろう琉笑夢の恋人は大変だろう。

 春人はまだ見ぬ琉笑夢の恋人に、心の中で十字を切った。


「私も琉笑夢くん抱っこしたけど、首に噛みつかれもしなかったわ」


 母親の一言のせいで首を絞められた瞬間を思い出してしまって、ちりっと背筋が寒くなる。

 慌てて擦って温めた。


「あのね、春。琉笑夢くんにどうして春が好きなの? って聞いたらね、綺麗だって言ってくれたから、って言ってたの」

「え、キレイって」


 春人は手に持っていたカップから顔を上げた。


「ええ、髪と名前を褒めてくれた貴方を見上げたらキラキラして見えたんですって。だからこわくなかったって」


 確かに琉笑夢を始めて風呂に入れた日、春人は琉笑夢の髪色と名前を褒めた。


「自分の髪の色と、名前が嫌いだって言ってたわ……だから、嬉しかったんでしょうねぇ」


 琉笑夢が自分の髪や名前を嫌う理由は、彼の言動や態度を見ていればなんとなく察しが付く。

 春人は自分の髪を手に取った。ありきたりな黒色のそれは琉笑夢とは真逆の色だ。輝きもしていない。そういえばあの時、琉笑夢は首を仰け反らせやけに眩しそうに春人を見上げていた気がする。

 琉笑夢は春人を見上げるたびキラキラしていると思っていたのだろうか。琉笑夢の髪の方がずっとキラキラしているというのに。

 それに、髪の色や名前を褒めるなんて誰にもできることだ。育てられ方がちょっとあれだっただけで、新しい環境下でも琉笑夢はきっとたくさんの人に褒められ、好かれるだろう。

 春人にしたようなことを友達や好きになった子にしなければ。

 けれども春人以外にはそういった異常な行動は一切とらなかったというのだから、やはり琉笑夢の悪行の数々は、兄という立場だった春人への甘えから来るものだったのかもしれない。

 きっと家族愛というものが恋しかったのだ。

 そうであるならばちょっとは自分のことを本当の兄だと思ってくれてたのかな……なんて感慨に浸りながら紅茶をすする。底が見えてきた。


「琉笑夢くんね、ずっと春の傍にいたいって言ってたのよ」

「琉笑夢が?」

「ええ。一緒に寝た時にね、春とずっと一緒に暮らしたいって。自分が春のことを養ってあげたい、大きくなったら今度は自分が春のことを抱きしめてあげるんだって」

「ルゥ……」


 なんだか不可解な台詞が混じった気もするが、それ以外がじんと心に響いたので特段気に留めることもなく喜ぶ。

 それは嬉しい、春人の方こそ我慢が効かなくて怒ったり叱りつけたり叩いたりしてしまったけど、そこまで懐いてくれていたなんて感無量だ。


「だからね聞いたの。じゃあうちの子になる? って。でも絶対嫌だって断られちゃった」

「えーなんでだよ」


 クスクスと喉を震わした母親に春人は首を傾げた。


「なんでだと思う? 当ててみて」

「母さんってほんとクイズとか好きだよな」


 逆に聞き返されて、春人は肩を竦めた。


「やっぱ伯母さんと一緒にいたかったんじゃねえの?」


 何度か会ったことのある伯母を琉笑夢は自然に受け入れていた。

 派手そうな毛皮のコートを着ている女性だったが、琉笑夢を見つめる視線は穏やかで、琉笑夢も伯母には怯えることもなく彼女の手をぎゅっと握りしめて嫌がる素振りさえ見せなかった。

 だからやはり身内が一番安心するのだろうと思っていたのだけれど。


「ううん、違うの」


 静かに首を振った母親は、穏やかな表情のまま空になった春人のコップに新しく紅茶を注いでくれた。

 そういえばコップを投げつけられた時は大変だったな、なんて苦笑しながら再びそれに口をつける。



「春の弟になっちゃったら大きくなった時、春と結婚できなくなっちゃうだろ、ですって」



 朗らかに言い切った道子に春人は勢いよく紅茶を噴き出した。

 げほっげほっと咽ながら呆然と母親を見上げる。


「は…………」

「あの子ねえ、いつかあなたのこと手に入れるんだって言ってたの。どんな手を使ってでもって」

「どんな手、を……………」


 落ち着けアイツは6歳だ、6歳の子どもの言葉だと心の中で言い聞かせる。

 そりゃあ確かに、「春にいはおれのものだ」と頻繁に言われてはいたが。それにしたって。


「帰る時も、貴方のいないところでこうも言われたのよ? 春にコイビトができそうになったら教えてねって。躾直しに行くからって」


 アイツは6歳──って、躾直しって6歳児が使う言葉か。躾という言葉を先に言ったのは春人だが。

 琉笑夢が帰った日、やはり寂しくもあったがこれでやっと一人の時間が持てるとすっきりした気持ちで部屋へと戻り、戦慄した。

 琉笑夢に破かれないようにと隠してあったポスター類は全てびりびりにされ、雑誌も破かれていた。また同じく一カ所に集めて隠していたお気に入りのCDも丁寧にゴミ箱に突っ込まれていた。力任せに投げ捨てられたのだろう、何枚か割れていた。

 強盗でも押し入ったかのような惨状に、最後の最後でやられた……と半ば諦めのため息を零したのも記憶に新しい。


 しかも今母親は、自分に恋人が「できそうになったら」と言った。恋人ができたらではなくできそうになったら躾直しに来るのだと。

 つまり、琉笑夢は春人に恋人ができないように春人を長らく躾けるつもりでいるということなのだろうか。いや十中八九、そうなのだろう。


「すごいわよねえ、愛が一途で。あんなに小さいのに」

「いや……でも……あの……」


 隣の県へと旅立っていった琉笑夢。もしかしたら長い休暇には春人に会いにくるのかもしれない。動画通話も頻繁に強行されそうだ。

 まだ人生経験の浅いごく普通の男子中学生である春人には、あの小さな体躯からぶつけられる重すぎる感情を対処し切れる自信がなかった。

 彼の進む道を、真っ当な道へと軌道修正させることは果たしてできるのだろうか。


「それに春、貴方琉笑夢くんと結婚するって約束しちゃったのよね?」

「でも、それはさあ!」

「子どもってね、大人との約束はちゃーんと覚えてるものなのよ? 春だって、小さい頃にお父さんに約束をすっぽかされたこと、いまだに忘れてないでしょう」


 ぐ、と言葉に詰まる。

 仕事で忙しかった父親と遊園地に行く約束をしていたのだが、その日も父親に仕事が入ってしまって父親は春人にひたすら謝りながら仕事場に行ってしまって、パパのウソツキとわんわん泣いたのだ。

 10年以上経った今でも、約束を反故にされたあの日のことはしっかりと覚えている。

 今なら仕方のないことだったと理解できるのだが、春人も幼かったのだ。


 もしも琉笑夢も、あの約束をずっと覚えていたとしたら。


 握りしめた手のひらが汗だくだった。

 春人はようやく気が付いた。琉笑夢のあれは、愛情表現が下手とかいう話ではなかったのかもしれないということに。

 仮に春人に対する歪んだ愛情が家族愛を履き違えたものだとしても、だ。


 やはり琉笑夢は病んでる。確実に病んでる。

 しかもヤンデレ科ヤンデレ属に属する、立派なヤンデレ予備軍だ。


 どうしたらいいだろう。やっぱりSNSで助けを求めるか。

 目立つように以前ちらっと考えたやつを捻って、


「諸事情により近所の金髪碧眼の美少年(6歳)を預かることになった俺だが懐かれた結果、金髪碧眼の美少年(6歳)がヤンデレ予備軍だったことが判明した件について」とかいうタイトルにして。


 いや違うな、ここはもっと詳細に、

「諸事情により近所の金髪碧眼の美少年(6歳)を預かることになった俺だが懐かれた結果、金髪碧眼の美少年(6歳)がヤンデレ科ヤンデレ属に属する立派なヤンデレだったことが判明した件について」

 とかにするべきか……いやダメだ、やっぱり絶対流行る気がしない。


 だらだらと汗を流す春人に。道子はからからと笑って、言った。


「将来が楽しみねぇ、春」

「母さん……それ洒落にならねえって」


 綺麗な母親の笑顔に、春人は天を仰いだ。


 いい天気だ。限りなく澄んだ空は琉笑夢の瞳みたいに、どこまでも青かった。

 

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