ニア①

 商業ギルドを出たアレスとアーデルハイトは大通りを避け裏通りを進み、王都東部にある王都大図書館を目指していた。

 裏通りは人が少なく、アレスにとっては超快適。大通りほどではないものの出店も沢山出ていて商人がここ二ヵ月来ていないとは思えない程だった。

 本当に効果があるのか分からない謎ポーションを売っている出店、少し黒ずんだ肉を焼いている出店、奇々怪々な骨董品を売る出店。それらを横目で眺めつつ二人は裏通りを進む。


「薄暗いが、表と比べて随分とマシだな」

「本当に人混みが苦手なんですね。気をつけてくださいね、裏通りは表通りと比べてずっと治安が悪いので」

「……確かにそのようだな。さっきから後ろのガキ、こっちをつけてきてるな。俺は金なんて持ってないんだがな」


 アレスの後方十メートル程離れた距離、物陰から十歳前後の少女が裏通りに入ってきた辺りからずっとつけてきていた。

 服装は薄い布一枚でそれも所々汚れていおり、伸びっぱなしの赤茶色の髪は皮脂で汚れみすぼらしい。

 頭隠して尻隠さず――いや、尻隠して頭隠さず、と言うべきだろうか。少女は身体こそ物陰に隠しているが、顔は終始二人を見続けている。

 足音は聞こえないが、息遣いは少し荒め。尾行するにしては少しお粗末が過ぎるだろう。


「王都には貧民街もありますからね、そこの子供でしょう。最近はスリや置き引きの被害も増えているとの報告も受けていますからアレス殿、注意して下さいね」

「注意も何も、俺は特に目ぼしいものは持っていないぞ。取られるようなヘマはしないが、取られたところで損害は無い」


 アレスは森にいた時と同じで軽く動きやすい植物性の素材でできた服に、肩から腰にかけてショルダーバッグ、それらを覆うように黒に近い深緑色のローブ。バッグの中身は薬草や植物の種が入っている程度。王都から出てすぐの森で採れるようなものばかりだ。

 薬草は回復用ポーションの材料にはなるが、売ったところではした金にもならないだろう。


「あのガキには、俺が金を持ってるようにでも見えるのか? ……いや、俺じゃないか、貴様だな」

「え、私ですか?」


 アーデルハイトは小綺麗な格好をしているからある程度は金を持っているように見られても仕方がないだろう。第一、一国の姫だ。手持ちは不明だが、総資産としてはここ王都の民からしてみれば目が飛び出るほどに持っているのは容易に想像できるだろう。

 今着ている服だってシルク製だ。光に反射して光沢するその服は、誰が見ても口を揃えて高級品と言うに違いない。


「ひとまず、あのガキはそこまで気にしなくていいだろ。女騎士、さっさと図書館に行くぞ」

「そうですね、ついてきてるだけでまだ被害にあったわけでは無いですからね。図書館はこの裏通りをまっすぐ進むだけなのでささっと行っちゃいましょうか!」


 そう意気込むアーデルハイトの後についていく形でアレスは王都大図書館を目指した。


 王都大図書館は王都にある図書館の中で一番大きく、蔵書の多い図書館だ。規模が大きい分、禁書に指定されている本も複数あり、図書館としての規模は大きいが禁書を警戒してか王都の民はあまり寄り付かない場所となっている。

 そんな王都大図書館の目の前の通りまで来たアレスとアーデルハイトだったが、先程の裏通りからずっと少女がつけてきていたのだった。


「おい女騎士、ここまであのガキついてきてるぞ。貴様の話であのガキはスリだの置き引きだのを俺達のどちらかにするもんだと思っていたが、ここまでいくと尾行だな」

「まぁ、尾行でも軽犯罪でも別に害は無かったわけですから。それより、ここが王都で最大級の蔵書を誇る、王都大図書館です! 幼児用の絵本から小説、資格取得の教本から魔導書、はては禁書まで様々揃ってますよ!」


 アーデルハイトはババーンと両手を大きく広げ、蔵書の多さを全身を使って表現する。顔もだいぶドヤ顔で、この図書館に対して相当自信がある事が窺がえる。


「自信があるのは結構だが、俺が興味があるのが歴史書だ」

「へぇ、歴史書ですか。てっきり禁書にでも興味があるのかと思ってましたよ。まぁ、興味があっても禁書の閲覧はダメですけどね!」

「当然だ、禁書は読むのが禁止されている書だから禁書なんだぞ」


 あっはっはー、と軽快に笑うアーデルハイトを一瞬だけみて、視線を少女に移す。

 動きがあった。殺気……と呼ぶには陳腐なものを感じさせながら、今まで物陰に隠れていた少女がアレス達に向かって飛び出してきたのだ。

 少女との距離は約十メートル。少女の足では二人に届くまでに二秒程度時間がかかるだろうか。

 二人は少女が飛び出してきたことを察知するとたとえ相手が十歳前後の少女であろうとすぐさま戦闘態勢に入る。アーデルハイトは剣に手を掛け、アレスは重心を落とし無手の構え。

 少女が真っ先に突っ込んだのはアーデルハイト。剣に手を掛けていたとはいえやはり王都の民相手に抜刀するのは躊躇ってしまったのか出だしが遅れてしまう。


「ぐぅ……っ⁉」


 十メートル程度の距離を駆け抜けたエネルギーと、腰からの捻りの加えられたモーメントを最大限に活かした少女の拳は、アーデルハイトの胴にめり込む。

 幼さからは想像もできない威力の拳を受けたアーデルハイトは数歩身を引き膝が地につかぬように踏ん張る。

 アーデルハイトからの反撃を警戒してすぐさま距離を取った少女は、標的を変更する。

 少女の次の狙いはアレス。アーデルハイトに拳を突き付けた反作用を上手く利用し腰を低くしながらアレスに迫る。

 ――狙いは脚。

 巻き込むように両脚を抱え、姿勢を崩すのが狙いだったが――そんな小細工は、アレスには通用しなかった。

 魔力エーテルを使うことなく体幹のみで耐えたアレスは、そのまま腹部あたりにある少女の頭めがけて思い切り拳をおろす。


「ふげっ⁉」


 ごちん、と小気味良い音が鳴ったと思うと、そのまま少女は膝から倒れ込んでしまった。軽度の脳震盪による意識混濁といった具合だろう。

 再び立とうとするが、脚に力が入らずに再びうつ伏せで倒れる少女。


「甘いぞ、ガキ。体格差を考え姿勢を崩そうとした事は理にかなっているが、両脚ではなく片脚を狙うべきだったな」


 アレスは乱れた服を直しながら、倒れ伏す少女へと今の攻撃に対してのダメ出しをする。


「な、なんで……」

「なんで、だと? それはこちらの言葉だな。俺達の技量が分からないものの挑んできた気概は買ってやろう。だがしかし、自分の右手を見てみろ。女騎士を殴った事で酷い事になってるぞ」


 少女の右手は折れてはいないものの、皮は捲れ肉が露出し、赤々とした鮮血が流れ出ていた。目に見える怪我以外には、打撲もあるだろう。

 この怪我は、アーデルハイトが服の下に着込んでいた鎖帷子くさりかたびらによるもの。刃を通さないための鎖帷子だが、今回のような肉弾戦に於いても多少重さで速度が落ちるというデメリットはあるもののそれでも余りある程のメリットがあるのだ。


「ア、アレス殿、大丈夫ですか……」

「大事無い。……女騎士が鎖帷子を着込んでいた事は、尾行してる最中に気付くと思うのだがな。金属音が聞こえただろうに」

「……聞こえたけど、剣の音と勘違いした」

「そうか、それは残念だったな。鍛錬が足りない自分を恨め」


 倒れながらも、焦点の合わない目でしっかりとアレスを見つめている少女。殺気こそ宿っていないものの、何か恨みのようなものが感じられる。


「殺す気は無かったが、返り討ちにあうとは思っていなかったようだな。なんだ、女騎士に恨みでもあったのか?」

「……えっ、私ですか?」


 腹を抑えながらだがだいぶ本調子に戻ってきたアーデルハイトがあっけらかんと言う。自分が狙われていたなどとは思ってもいなかった、とでも言いたげだ。


「……貴族は嫌いだ、大嫌いだ。ニアは、金があっても助けてくれない貴族が嫌いだっ!」

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