魂による契約

俺はひとまず黒曜漆の元から立ち去り妃紗愛のもとへと向かうことにした。

妃紗愛が住んでいる場所へと向かおうとすると無幽玄が妃紗愛の場所へ案内してくれると言ってくれた。

俺はその男の言葉に従って赤いコートの後姿を見ながら男の後ろを歩くことにした。


再び長い長い廊下へと俺は歩き出す。

曲がり角が多い廊下を数分ほど歩く。

そうしてたどり着いた先には扉があった。

その扉は開き戸で俺は早速ドアノブに手をかけて回す。

扉を引いて開けると薄暗い部屋の中が俺の視界に入り込んだ。


そこは寝室のようでベッドが部屋の片隅に置かれている。

そのベッドを椅子のように座っている一人の女性の姿があった。


「…」


妃紗愛である。

彼女は顔を地面に向けていてうなだれていた。

呼吸をするために肩が上下に揺れている。

その仕草はまるでうたた寝をしているようだった。


彼女の無事を確認する。

体中には手当でもしてくれたのだろう真っ白な包帯が巻かれていた。


妃紗愛の手首には手錠がされていた。

万が一暴れだしてもいいようにそれなりの行動の制限をかけているのだろう。

これに対して俺は何も言うつもりはない。

確かに彼女は現在危険な存在である。


廻業などと呼ばれている人格が彼女の中に根付いている以上はそれなりの対策をしていても仕方がないことだ。

俺はゆっくりと彼女のもとへと近づいていく。


「大丈夫か?…妃紗愛」


妃紗愛の名前を口にした。

その言葉に反応するかのように妃紗愛はゆっくりと顔を上げる。

その瞳は今でも夢を見ているのだろうかまぶたを素早く何回も瞬きをしている。


「おい…おい、妃紗愛、大丈夫か?」


俺の呼びかけに対してようやく目を大きく開いて覚醒を果たした。

俺の存在に気がついた妃紗愛はゆっくりと口の端を引いて、笑みを浮かべると。


「あれ、お兄ちゃん、ひひ、ようやく、処女でも奪いに来たのか?」


そのように思わず耳を覆いたくなるほどの汚らしい声があふれ出す。

耳障りだと言わんばかりに俺は目を細めて廻業を睨んだ。


「ひひ、そんな目で見るなよ、視線だけでイッちまいそうだぜ」


俺の侮蔑の瞳に対して廻業は体をくねらせて手錠をしている腕でスカートの上から股を押さえつけた。

そのようなジェスチャーでも妃紗愛を汚されているようで俺は内心腹立たしく思っている。


「お前の事なんざ、どうでもいい…」


そして俺は妃紗愛が聞いているかもしれないから廻業に向けて今後の俺の方針を語り出す。


「妃紗愛、聞いているから言うぞ、これからお前の中にある魂を摘出して、転生者とお前を引き剥がす事にした、ただ、それを行う事で、お前の自我は、お前が死んだ後に消えてしまう、それでも良いかどうか聞きに来た、お前が望むのなら、俺はその方針でお前を治す」


その言葉はある意味廻業を殺すと断言しているようなものだ。

当然ながら俺の言葉に反感を覚えるだろう。


「へぇ…そりゃあ、…ひひ、いいねぇお兄ちゃん、オレも、その話に是非とも乗りたいもんだね」


だが俺の予想とは裏腹に廻業は軽く頷きながら了承を唱えた。

その素早い判断に妃紗愛に語りかけたわけではなく廻業自身がそう選択したのだと悟った。

判断に不信感を抱く。


「なんだ?お前は、俺が言っている事を理解しているのか?」


両手を伸ばして、軽く伸びをする廻業。


「あぁ、承知してるぜ?だから、手を貸してやるよ、お兄ちゃん」


…俺の言った事を理解しているらしい。

いや、理解しているのならばこそ、コイツの言っている言葉が理解出来ない。

わざわざ、自分が消え去る様な真似に手を貸すなど、本当に自殺行為に等しいだろう。


「手を貸してやる、その代わり、オレがキサラから離れるまでの間は、オレがこの肉体を所有する、これでどうだ?」


条件を出してきやがった。

当然、そんな事は認められない。

コイツに体を貸しっ放しにすれば、どうなる事か分かったもんじゃない。


「お前が出しゃばる事じゃない、第一、妃紗愛は俺の所有物じゃない、妃紗愛は妃紗愛のものだ、俺が決める事じゃない」


俺がそう宣言したが、しかし、廻業はうんうんと頷きながらか細く声を漏らしている。


「分かった分かった、それなら、お兄ちゃん以外には性行為をしない、身を穢さない、これを約束してやるよ」


何を譲歩しているんだコイツは。

俺が先程言った通り、妃紗愛の肉体で勝手な真似などさせてたまるか。


「お前、俺の話を…」


俺が言おうとした時。

後ろから手が伸びて、俺の肩を叩く。

後ろを振り向くと、無幽玄が此方を見ている。


「ソウちゃん、誰に話してんだよ」


と、赤頭巾が俺の顔を見て笑った。

誰に話しかけているって、当然、廻業に向けてに決まっている。


「そうか?俺は、この廻業は、自分の魂に話しかけている様に見えるけどな?」


…はあ?俺じゃなくて、妃紗愛自身に話しかけているって事か?


「魂による契約、二つの人格がどちらかの勢力が強ければ支配され、全ての権限を乗っ取られる、だが現状では、二つの人格が鬩ぎ合っている、均衡している状態だ、こうなると、肉体の所有権の奪い合いが行われる、だが、魂に触れた状態で契約を結ぶと、その条件によって契約が遵守される、あの廻業が妃紗愛の魂に触れて契約をする以上、嘘も反する行動も出来なくなるのさ」


魂による契約。

…いや、そういうのもあるのだろう。

俺が知らないだけで、そういう事があるのだと理解する。

何もかも訝し気に捉えていてはダメだ。


そうして、二人の話が終わったのか、ゆっくりと顔を上げる廻業。


「さて、契約は定まった、オレがこの肉体から離れるまでの間はオレが支配する、その条件として、オレが肉体から離れる様に行動する事、性行為をしない事、身を穢す真似はしない事、この三つを遵守する事にしたぜ?」


手錠をかけた腕を伸ばす。

無幽玄が、鍵を持って妃紗愛の手錠を外した。


「さぁて、改めて、東儀妃紗愛の肉体の仮所有者・廻業の天麗妃だ。お兄ちゃん、名前を呼ぶならそう呼びなよ」


スカートの端を以て軽く上げる。

中世の貴族が行いそうな挨拶の仕方に、若干の清楚さを見たが、それは気のせいだろう。

だが、まさか、妃紗愛…いや、天麗妃が仲間になるとは、一体何を考えているのだろうか。

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