地獄の剣と対面
混濁する意識の最中。
東儀宗十郎と言う男は、夢遊の最中に居た。
『俺は…何、を』
一度死んだ男、その男の肉体の主導権は、彼の魂によって支配されている。
地獄道の住人、刀輪処の咎人、彼の精神は、魂の精神によって突き動かされる。
痛みを散らす様に、動くその魂の活動は、東儀宗十郎にとっては心地良いものだった。
『あ、ぁ…考える、のも、面倒、だ…此処は、心地、良い』
肉体の主導権は奪われた。
故に、東儀宗十郎は肉体由来の激痛を感じ得ない。
このまま、心地良い温水の最中で彷徨う事で、永遠に自身の肉体を放棄し続ける事が出来る。
幾ら、厳格な男であろうとも、痛みの前には凄んでしまう。
それは、古代から続く、人間の根源的恐怖であり、それを回避する為に楽な道を選ぶ。
だから、東儀宗十郎は痛みから逃れる為に、心地良い空間に留まり続ける。
それに対して、誰も彼を糾弾する事は出来ないだろう。
『…お兄ちゃん』
だが。
精神世界の外側から聞こえてくる声に、東儀宗十郎は目を開く。
この空間には存在する筈が無い、妹である東儀妃紗愛の声が、確実に彼の耳元に届いた。
『妃紗愛…』
彼は、声のする方に耳を澄ます。
彼が望めば、肉体の一部の主導権を奪い返せる。
耳と目を、東儀宗十郎は転生者から奪い返した。
そして、世界を覗き込む。
想像を絶する、絶句する様な映像が、彼の目に入り込む。
血だらけの妹が、其処に居た。
体中には切り刻まれた痕が残り、その近くには、刀剣類を噴出させた腕が伸びている。
その腕は、誰が見ても、自分の腕である事が分かった、自分の手で、自らの妹を傷つけている。
『お兄ちゃん、元に戻って、お願い、お兄ちゃん…』
妹の懇願する声。
その姿を見た東儀宗十郎は心を乱される。
『妃紗愛が、元に戻ってる…もとに、戻ってるのに…こんな傷だらけに…俺が、俺がしたのか?』
肉体の主導権が奪われ、暴走状態にある東儀宗十郎の肉体。
精神世界で、東儀宗十郎は一気に自分が恥ずかしくなる。
両手を伸ばして自分の顔を覆う、歯を食い縛り、ぎりぎりと歯軋りをする。
『なんて、不甲斐ないんだ、俺は…このまま、堕落し続けるのか、俺は…ッ』
目に映り続けるのは、妹の悲しそうな顔。
東儀宗十郎が近づき、その腕を大きく振るう。
東儀妃紗愛を殺そうとしているのだろう、その一撃を前にして…東儀妃紗愛は。
大きく腕を開いて、抱き締めて欲しいと懇願する様に、涙を流して笑みを浮かべた。
最期の姿は、笑って死ねる様に、そう感じた東儀宗十郎は自分自身に憤慨した。
『妹に、そんな顔をさせるのかよ、俺はッ!』
腕を伸ばす。
その瞬間に、東儀宗十郎の腕が精神世界から消える。
代わりに、現実世界の腕と同調し、主導権を奪い返す。
だが、腕から生える刀剣類は、骨の芯から生えている。
筋肉を破り神経を削り皮膚を裂いた、それが十数本も生えている。
耐え難い激痛である、血涙を出してしまう程に、東儀宗十郎は悶える。
『ッ…痛み、が、なんだ…これが、一体なんなんだ、人の道を踏み外す事が、正しい道へと外れる事が、何よりも痛い筈だろうが…こんな、こんな痛みに耐え切れずに、人の道を踏み外すくらいなら…この痛みに耐え切れず、激痛の末に死んでしまえ、東儀宗十郎ッ!!」
決意をする。
覚悟が決まる。
精神世界から踏み出し、現実世界へと戻る。
即座、彼の肉体は同調し、激痛が全身を襲う。
後悔が過る。
その後悔ですら、東儀宗十郎は憎しみを抱く。
足が揺れる、大地を踏み締める事が出来ぬくらいに崩れ出す。
それでも東儀宗十郎は歯を食い縛って大地の前に立ち続ける。
体中の激痛を、東儀宗十郎は耐える。
何度も死にそうになる、その度にまだ耐えれると東儀宗十郎は我慢をする。
口から溢れ出す血の味、唾液と共に飲み込んで歯を食い縛る。
「…、お、兄ちゃん?」
戦闘の末。
何時の間にか精神性を交代させていた東儀妃紗愛が、東儀宗十郎を心配して名前を口にする。
その問いに、東儀宗十郎は意識を朦朧とさせて、そしてそれすらも軟弱だと自らの心の内で叱咤して意識を取り戻す。
すると、東儀宗十郎の肉体から生えていた刀剣類は、ゆっくりと体内へと戻っていく。
彼の、壊れかけた精神が、転生者の支配から完全に奪い取ったのだ。
東儀宗十郎は、ゆっくりと妹の東儀妃紗愛の方に顔を向ける。
「…あぁ、…悪かった、妃紗愛、元に戻ってたのに、お前を…殺そうとして」
目を細める。
妹の東儀妃紗愛はその顔を見て、兄が戻って来たと嬉しそうにしていた。
元に戻った二人、ようやく、真面な人生が歩めると、東儀宗十郎は思った。
その一瞬が、彼の肉体が油断してしまった。
前のめりに倒れそうになる東儀宗十郎に、手を伸ばして受け止める妹の東儀妃紗愛。
彼女の胸の中に納まる東儀宗十郎、東儀妃紗愛は、彼の頭を掴んで顔をあげると、…薄桜色の唇が近づいていた。
「ん、ちゅッ」
そして、あろうことか、実の妹が…東儀宗十郎の唇を貪っていた。
力すら抜けてしまった東儀宗十郎は、口の中に入り込む舌先と唾液を排出する事も出来ずに侵入を許してしまう。
口の中を舌先が蹂躙し尽くした末に、唇が離される、透明な唾液が糸の様に繋がっていて、顔を離すと共に糸が切れた。
困惑した表情を浮かべている東儀宗十郎に、発情した犬の様に、紅潮した頬に蕩けた目を向ける東儀妃紗愛。
いや、それは東儀妃紗愛ではなかった。
「ひ、ひひッ、あぁ、もう、ときめちまうなぁ、お兄ちゃん、心臓がばくばくしてるよ、オレ、どうやらマジみたいだぜ」
甘い笑みを浮かべて、妹であったものは、再び転生者へと戻っていた。
「心の先まで犯して、オレのものにしちまいたいよ」
東儀宗十郎の激痛に耐える様。
痛みを超える精神の強さに、転生者は心を奪われてしまったらしい。
東儀宗十郎は、転生者に何か言うよりも…、突如、現れた人間に視線を向けた。
俺と妃紗愛の行動に対して、手を叩いて賞賛をする一人の男。
俺たちの元へと向かって来る輩は、二人組であった。
「すっばらしい戦いだ、いやマジでそう思ってる、なあ、お前もそう思うだろクド」
それは大柄な男だった。
長身走駆、だが細身、針金の様に細いが芯の通った男だと俺はそう見えた。
しかし、その服装は奇抜だ、モデルの様に細い足は裸足で、ジーンズを履いている。
その上はワイシャツで、第一と第二ボタンを外している、顔が良く見えない様に、赤色のパーカーコートを羽織っている。
羽織っていると言うのは文字通り、頭にパーカーを被っているが袖には手を通していない。
それはまるで、赤頭巾の様にも見えた。
そして、その男の共感性を求める言葉は、隣の少女に向けられた。
こちらは大柄な男に比べたら背の低い、一般女性身長と同じ妃紗愛よりも小さいので、中学生か、それ以下にも見えた。
灰色の髪をしているその女性の頭部には、付け耳であるのか、犬の耳が生えていた。
いや…かすかに動いている、それが精巧な作りである付け耳だとしても、本物に近しい。
…いくら俺でも、この現状に対して偽物だとは言わない。
こうして能力者が出ている状況下で、わざわざ危険を賭して前に出てくる馬鹿は居ない。
であれば…この二人は、おれたちと同じ、能力者であるのだろう。
「お前、たちは、能力者、なのか?」
俺の質問に、赤頭巾の男は笑みを浮かべた。
歩きながら近づいて来るので、暗い場所でも、その男の顔が良く分かる。
かなり、美形だった、変な恰好をしているわりには、何処か、映画とかで出て来そうな俳優の様な二枚目だった。
「能力者?…いや、違うよな、それは」
首を左右に振ると同時に、ポケットに手を伸ばす。
そして、男が取り出したのは小さなスプレー缶だった。
そのスプレー缶を俺に向けると。
「俺たちは『
スプレーを俺に向けて発射する。
淡い霧状の液体が俺の顔面を覆うと、ガツンと、頭の後ろを強く叩かれたかの様な衝撃に見舞われる。
それが、即効性の睡眠薬である事を、俺は目が覚めた時に気が付くのだった。
…再び目を醒ました時。
俺は、真っ白な天井を見つめていた。
体中に纏わり付く毛布の感触、そこはどうやら、寝室、ベッドの上であるらしい。
「…ここ、は?」
俺が目を開き周囲を見回した。
そして腕を伸ばそうとしたが、硬い感触と共に、俺の腕は制限される。
「…え?なんだ、これ」
俺の手首には、手錠がされていた。
腕を左右に動かして、手錠が解けないか確認をする。
どういった状況であるのか、俺は混乱している。
周囲を見回して、何がどうなっているのか確認した。
此処は、何処だ。
いや、ここは、部屋か?それは分かる。
他には何か情報は、そう思った時、俺は耳で水が弾ける音を聞いた。
それはシャワーの音だった、どうやら、近くにシャワー室、または風呂があるらしい。
蛇口を捻る音、それと共に、シャワー室が開かれる扉の音が聞こえてくる。
そして、此方へと近づいて来る足音が聞こえて、俺は此方へとやって来る人間に目を向けた。
真っ白なタオルを頭に被せて、髪を拭いている白髪。
獣の様な視線が俺に向けられる、その脂肪の一切ないシックスパックが、俺の目に映った。
「あっれ、起きてたんだ、ソウちゃん」
男だ。
俺が気絶する前に見た、あの赤頭巾の男が、全裸で俺の前に立っていた。
「なんで…裸なんだよッ!!」
俺が叫ぶと、男が俺の方を見ながら笑う。
「そっりゃぁ…シャワー浴びてたからだろ、家から帰ったら普通はお風呂でゆっくりじゃねえの?」
なんで…そんな常識的な事が言えるんだ。
いや、家から帰ったら風呂に入るのが常識であるかどうかはまた違うが、的外れな所は其処じゃない。
「此処は何処だ、俺はなんで、こんな所にいる、と言うか手錠を外せ、この…ッ」
悪態を吐こうとしたが出来ない。
悪口と言うものは、身体的特徴を悪く言うものであったりする。
だが、その男はまったく、悪い部分が一つも無い。
下半身裸で、其処からぶら下がっているものを見ても、悪いと言える部分が何一つ無かった。
何も無さ過ぎて嫌味に見える、まるで俺が悪口を言われたようだった。
「あっつい視線送ってくるねぇ、いや、別にみても減るもんじゃねぇけど…で、それよりも、ソウちゃん」
誰がソウちゃんだ、馴れ馴れしい。
と言うかどうやって名前を知ったんだ、この男。
いや、根本的に…。
「俺の妹は何処だ?」
それが一番重要だ。
俺の質問に対して、男は歩いてタンスに手を懸ける。
タンスを開けると、其処からボクサーパンツを取り出して履くと、近くに置いてあった椅子に座って足を組む。
「ジッブンの心配よりも、妹さんの方が心配かよ、いいねえ、兄妹愛なワケだ、…安心しろって」
にかっと笑いながら、机の上に置かれた手錠の鍵を掴んで男はベッドの上に向かって来る。
「妹さんは無事だ、当然、お前の事も保護として扱っている、こうして手錠を付けたのは、お前が
俺の後ろに組まされた手錠を、男は解錠する。
「…おい、そんな簡単で良いのかよ」
俺の言葉に、男は大丈夫だと言って手錠を外した。
「お前は逃げないだろ、知りたい事もあるだろうし、妹さんの治し方とかな、それを知る為なら、暴れる事もしないだろ?」
…妹の治し方を知っている、だと?
それが本当なら…確かに、逃げるなんて選択はしない。
むしろ、話を聞くまで俺が逃がさない。
俺が真剣な目をしているからか、男はホラ、と言って手を伸ばす。
「俺たちは敵じゃねぇよ、つぅワケで先ずは自己紹介だ、俺の名前は
握手をするように、俺は手を伸ばして、男の手を取った。
「自己紹介するまでも無く、お前俺の名前知ってるだろ」
ソウちゃんなんて呼び方するくらいだ。
俺がそう言うと、男は確かに、と笑みを浮かべた。
屈託のない爽やかな笑みだったが、先ず俺は、無幽玄と言う男に、服を着ろと言いたかった。
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