第65話

 彼が倒れてから2日。

 今日も学校には来ていない。


 私が送ったLIMEメッセージには、昨晩既読がついた。

 しかし返信は未だにない。

 どうして返信をしてくれないのだろう。

 簡単なものでもいいから。返事くらいくれてもいいのに――。


 いっそのこと私からLIME通話を掛けてしまおうかと思ったが、体調が優れないのかもしれない。そう思うとぎりぎりで踏みとどまった。


 だがこのままでは埒が明かない。もやもやとした気持ちも膨らむばかりだ。

 とにかく状況だけでも知りたかった私は、なりふりは構っていられなかった。


 人の動きが多い昼休み。

 普段ならこんな時間に校内を歩き回るなんて絶対にしないのだが、1年生のクラスがある棟に私は出向いた。

 クラスの入り口でたむろし、げらげらと笑っている男子に声をかける。


「ごめんなさい。少し、いいかしら」


「っんだよ……うっせぇ……っえ?」


「崎川理恵さんの教室はここよね。いるかしら?」


「……は、はづ……!? え、えぇっ!!」


 私に振り向いたその男子は背筋を伸ばし硬直する。ぴしりと固まってしまった。

 その他一緒にいた男子は若干私から遠ざかった。

 これではアテにはならなそうだ。


 仕方無しに彼らの横から顔を覗かせ、クラス内に視線を向ける。

 すると部外者の訪問に気付いたクラスの生徒が一斉にこちらを凝視した。同時に空気が凍ったのかと思うほど、教室内は静寂に包まれる。


 その中に理恵さんがいるのを見つけた。


「――あ、理恵さん」


 そんな雰囲気など無視し、軽く手を上げ声をかけた。

 

「は、葉月さん!?」


 裏返った声で返事をする彼女。ガタッと音を立て、勢いよく席から立ち上がった。

 

「少しお話しできないかしら?」


「へっ!? 私と……ですか!?」


 理恵さんは目をキョロキョロと泳がせた。

 友達だろう。彼女の傍にいた女子生徒が理恵さんの袖をぐいっと引っ張った。何かを耳打ちしている。


「……だ、大丈夫だって」


 などと理恵さんが言っている声が聞こえてくる。

 取って食ったりするわけないのに。

 私……。まだまだ好かれていないのかしら?


「……ま、まあ……いいですけど……」


 友人から開放された理恵さんが答えると、教室内は更に大きくざわついた。





「お昼休みに、ごめんなさいね」


 場所を変え、廊下の端にある屋外スペースで理恵さんと向き合った。

 4人も入ったら窮屈になるような場所だ。

 

「なんの用ですか……。こないだのことなら……べ、別に謝るつもりなんてないですから……」


「え……?」


 何を言っているのかわからなかった。が、……ああ。そういえば崎川の部屋で会った日。私への対抗心から色々と言っていた事を思い出した。


 血の繋がっていない兄に対しての気持ちが溢れんばかりの彼女を思い出す。

 少し可笑しくなってしまった。


「……ふふっ」


「な、何笑ってるんですかっ」


「いえ、なんでもないわ、気にしないで……ふふっ」


「ぅー……そういうところ! そういうところがムカつくんですけど!」


 当時は理恵さんの言葉なんてどうってことはなかったけれど、いまならその気持がわからなくはないんだもの。可笑しくもなるわ。


 人はちょっとしたことで変わっていくものなのね。

 でも――。

 今日はそんな事を聞きたいわけではない。


「ごめんなさい。本当になんでもないの。崎川の事を聞きたくて。どうしてるかしら」


「ああ……。お兄ちゃん。昨日、病院から帰ってきましたよ。今日は部屋で療養してます。さすがに明日は学校来るんじゃないですかね」


「そう、よかった。大丈夫なのね」


 退院していた事に、ひとまずの安堵をする。


「打ち身とちょっとした擦り傷。その他の検査は全く異常なしでした。……でも、お兄ちゃん。なんだかすごく元気がなくて。部屋にずっとこもってます。勝手に入ったら前みたいにいきなり怒りだすし、話しかけても反応悪いし。……あ、もしかして記憶が戻ったのかな……」


 理恵さんの最後の言葉が引っかかった。


「……記憶が戻る……? どういうこと?」


「え? お兄ちゃん、少し前に頭打ってから、ところどころ記憶が曖昧らしいんですよ。自分で記憶喪失だって言ってました。……知らなかったんですか?」


「え、ええ……」


 そんな事は崎川の口からは一度も聞いたことはなかった。


「まあ……だからって別に普通って言えば普通でしたけどねぇ。少し性格が明るくなった感じはしましたけど。あ、でも……勉強ができなくなったのは困ってたか」


「勉強ができなくなった……? 元々、勉強は苦手ではなかったの?」


「何言ってるんですか。お兄ちゃん勉強はできますよ。テストの順位発表もいつも上位に入ってたみたいだし。でも記憶喪失で色々忘れちゃってるみたいで、こないだのテストはやべーって言いながら必死に勉強してましたけどね」


「……え? 上位? テスト結果の順位が?」


「ですです。葉月さんほどじゃないですけど、たしかいつも10位くらい、じゃなかったかなぁ?」

 

 崎川はこの間の試験で50位に入ってすごく喜んでいた。

 それに勉強が苦手だと私には言っていた。

 実際、中学で習うような基礎すら出来ていない、酷い学力だったのに?


「崎川……崎川とは話せないかしら? LIMEメッセージも送っているのだけれど、返事がないの」


「ええっ? 葉月さんを無視ですか?」


「既読スルーされているわ」


「……うーん、二人って仲良かったですよねぇ……?」


 理恵さんの私を見る目が少しだけ鋭くなったことには気付いたが、気にせず私は続ける。


「――と、私は思っていたのだけれど。一言も返事がないわね」


「たしかに……あの律儀なお兄ちゃんにしてはおかしいですね……。機会があったら聞いてみます。けど私でも話しかけにくいんで、今は無理かもですけど……」


 理恵さんも困ったような顔をしている。


 私のLIMEを無視し、理恵さんですら話しかけにくい。

 それに――。

 本当は勉強が出来るだって?


 崎川――。

 どう言うことなの……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る