第12話


 謹慎期間が終わり登校日となった。


 早めに登校して職員室へ行くと、ビジネス文書的に書いた反省文を提出した。

 するとこれが思いのほかウケが良かった。


「崎川は文章をまとめるのが上手いな」


 などと褒められてしまい、少し驚いてしまった。

 会社ではそんなことを言われたことは一度もなかったのだがなぁ――。


 そして謹慎は無事に解除された。




 2年3組――。

 入口の札に書かれた文字を眺めながら、一週間前にもまったく同じことをやったな……と苦笑いする。


 だがあの時とは違い、既に教室内は騒がしかった。

 多少の緊張を覚えながら教室に足を踏み入れた。


 一斉に視線が集まった。同時に教室内が静かになる。

 俺がタバコで謹慎を食らっていたことをクラスメイトは当然知っているのだろう。


 俺はその視線の中を自席に向かってずかずかと歩く。

 声をかけてくるヤツは一人もいない。

 どう接するべきか距離感を測っているような視線が刺さるだけだった。


 途中、遠山葉月の傍を通った。


 ぴしりと伸びた背中にツンと澄ました顔。

 美少女だが相変わらずの無愛想だ。

 本当にもったいないと思う。


 しかし俺にとってはこのクラスで唯一の知り合いでもある。

 遠慮なく声を掛けることにした。

 

「よう、遠山。おはよう」


 遠山は顔は動かさず、目だけ動かし俺を見る。

 特に表情を変えるでもなく口を開いた。


「あら、おはよう」


「おや、驚いたな。今日は挨拶してくれるんだな」


「何を言っているのかしら。当たり前でしょ」


「ふっ。よく言うぜ」


 まったくよく言うぜ。

 一週間前は無視したくせに。


 それがおかしくて、俺は笑ってみせる。

 すると遠山も俺が何故笑っているのかをわかったのだろう。


 「ふふっ」


 と吹き出して微笑を浮かべた。


「私だって知っている人には挨拶くらいするわよ」


 どうやら遠山の中で、俺は知人に格上げされたらしい。

 まあだからといって何が変わるわけでもないのだが。


 しかしクラスメイトからすると、この遠山の行動――ただの挨拶はどうとでもあったらしかった。


「ききききょ――っ!」


「……あん?」


 裏返った声が背後から聞こえてきた。


「きょ、恭介っっ!! どうなんってんだよ!!」


 席に着くやいなや突撃してきたのは、登校初日に声を掛けてきた崎川恭介の友人らしき男だった。

 驚き戸惑ったような顔をしている。


「……どうって、なにがだ?」


「な、な、なんでお前が遠山さんと挨拶してんだってことだ! 俺ですら一度も無いのに! しかも遠山さん、笑ってなかったか!?」


「そうなのか? まあ、人間だし普通に笑うんじゃね?」


「いや、たぶん人間じゃない! 見ろよあの完璧な美しさを!」

 

 身振り手振りつけ、友人は遠山の美貌を力説する。


 少し笑っただけで驚き戸惑い、人ではない美しさと評される。

 学校では徹底的にそういうキャラを演じているらしい。


 たしかに非常な美少女ではことは認めるところだし、同年代の男子なら神聖視しちゃうのも無理はないとは思うが――――。


 俺の見立てではそんな完璧人間とは全く思えないのだがな。

 

 しかし友人はすっと真顔に戻った。視線の先を変えた。


「……でも恭介、あっちは大丈夫なのか?」


「は?」

 

 少し神妙な面持ちでいう友人の視線を追うと、そこには遠山とは真反対と言っても良いくらいの優しさ溢れる顔をした女の子が席に座っていた。


 彼女は俯いていたが、どことなくこちらを意識している感じがあった。


 そして言うまでもなく俺にとっては、誰?である。

 だが、彼女を見たことで崎川恭介の記憶に、甘酸っぱく、それでいて苦しいような感情がこみ上げてきた。


 ははぁん――……。


 この感覚は。

 さては崎川恭介と何か恋愛的なものがある子らしい。


 なんだよ、スマホの中身にはまったくそんな痕跡は見つけられなかったが、ちゃんと青春してるじゃないか。

 内心にやりとしてしまった。


 だが俺に「大丈夫なのか?」と聞かれても、何のことかはさっぱりだった。

  

「ま、大丈夫だよ」


 俺は適当に受け答える。それしか答えようが無いとも言うが。

 すると友人は、少し残念そうな顔をした。


「そか、ならいいんだけどさ……」


 そして何かを思い出したかのような口調で言った。


「ああ、そうだ。それよりもだ恭介――」


「ん?」


「謹慎だよ。マジで驚いたぜ。一応、連絡は控えてたけど……なあ、学校でタバコ吸ったのってマジなのか?」


「あ、ああ……」


 崎川恭介のイメージをことごとく壊しているのかもしれない。さすがに気まずい。


「……まあ、吸ったな」


 しかし事実は事実。正直に答えるしかなかった。


「そか……恭介がタバコって今でも信じられなくてよ……。ちなみに、それは自分から吸った……でいいんだよな?」


「は? それ以外に何かあるか?」


 妙なことを聞くものだと思った。

 しかし友人は俺の回答に何故か安堵したらしい。


「いや、それなら良いんだ…………」

 

 とホッとした表情をする。

 そして友人は笑顔に戻る。


「……って違うか! タバコはもうやめとけよ!」


「お、おう……。そうだな。体に悪いしな」


「わかっているならいい。お前はそんなタイプじゃないだろ?」


 友人はぽんと俺の肩を叩く。

 そして席に戻っていった。

 

 そんなタイプじゃない――――か。

 彼に他意はないのだろうが、それは当たり前だ。


 なにせ中身は32歳のおっさんだからな。


 崎川恭介はいったいどんな人間だったのだろうか。

 きっとあまり表に出るタイプでも羽目を外すタイプでもなかったのだろうとは思う。

 だが、このクラスの雰囲気の中でこうやって謹慎の件を心配してくれる友人はいる。


 そう考えると、結局彼の名前を聞けなかったことは心残りだった。




 ――が、そんなことはあっという間に忘れてしまった。


 授業。

 

 これが俺を苦しめるからだった。


 授業中の教師の説明を聞こうが、教科書を読もうがさっぱりわからない。

 あれ? 高校の勉強ってこんなに難しかったか?

 などと考えているうちに次に進んでしまう。

 ペースも早すぎるのだ。


 正直、俺の学習レベルではとてもついていけるとは思えなかった。


 これでも社会に出てからは業務に必要なことは必死に覚えたし、勉強もした。

 当然だがそれらをしっかりとこなしてきたからこそ、いままで社会で生きてこられた。


 でもこの学校の授業にはまったく歯が立たなかった。

 というよりもそもそも頭に入ってこない。


「……はぁぁぁぁ……」

 

 午前の授業が終わり、やっと苦痛の時間から開放されたことで俺は大きなため息を吐いた。


 先程声を掛けてきた友人が昼飯を一緒に食べようと誘って来たが、一人で飯を食うことにした。

 下手に接触をしてボロがでるのも怖かったというのもあるが、あまりに勉強が不出来過ぎて、自分に落ち込んでいたというのもある。


 購買で適当にパンを買って人気のない場所を探す。

 体育館裏がちょうど誰もいなかったので、そこから下に見えるグラウンドを眺めながら、パンをかじった。


 絶望的な学力――。

 どうすりゃいいんだこれ……。


 1年生の理恵には頼れないし、正直、変な誤解を増やしそうだから頼りたくもなかった。

 崎川恭介の知能が俺に移植でもされていれば、きっとこんな思いはしていないのだろうが、残念ながらそういうものは一切ない。

 崎川恭介の記憶はあくまで風景や人物を見た時に、おぼろげで断片的な印象がたまに浮かぶだけなのだ。


「くそっ、使えねぇなぁ……」


 八つ当たり気味にぼやいて、またうなだれた。

 

 ――そこでふと疑問が湧いてきた。


 俺はいつまでこの体にいるのだろうか?


 なんとなしにいつかは元の体に戻るのだろうと思っていたが、考えてみればそれは俺の希望に過ぎない。


 戻るかも知れないし、戻らないかも知れない。

 冷静に考えれば、どうなるかわからないというのが現状だ。


 もしこのまま元の体である鈴木隼斗に戻れなかったとしたら、俺は崎川恭介として一生を過ごすことになる。

 全くついて行けない勉強をなんとかしなければならないということだ。


 鈴木隼人の時はそれなりに勉強をして高校受験。

 普通レベルの高校に進学した。

 何を学んだかはいまとなってはさっぱり覚えていないが、勉強はそれなりになんとかなった記憶はある。


 だが今の俺は授業に全くついて行けていない。

 補習や追試でなんとかなるレベルを明らかに超えている。

 つまり将来待っているのは――――。


 留年。ダブりだ。


 そういえば高校生の頃、いつのまにか学校に来なくなり気付いたときには中退していたヤツがいたなぁ……なんてことを思い出したら凄く怖くなってきた。


 勉強についていけないヤツの気持ちが32歳になって初めてわかった。


 マジで洒落にならねぇ!


「……はぁぁぁぁ……っ!!」


 ため息なのか叫びなのかわからない声が喉から漏れ出た。

 腹は減っているのに、せっかく買ったパンをかじっても全く味なんてしなかった。


 嫌だ……もう嫌だ!

 教室に戻りたくないっ!


 心の中で叫んで膝の間に頭をつっこんで現実逃避する――――。


 その時だった。


「……崎川? こんなところで何をしているの?」


 どこか冷ややかな声が頭上から聞こえてきた。


 膝の間から覗くようにして声の主を見る。

 綺麗な黒髪を片手で耳にかけながら、澄まし顔でこちらを見ている美少女がそこにいた。


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