第8話
俺と理恵に血の繋がりはない。
家に帰ってからそのことについて詳しい事情を聞いた。
父と母は再婚だった。
崎川恭介は父の連れ子で、理恵は母の連れ子だ。
3年ほど前に再婚し、恭介と理恵は一緒に暮らすことになったということだった。
だからお互いに恋愛感情があればそういう関係になっても問題はない、というのが理恵の理屈だった。
たしかに血縁関係として見ればそうなのだろう。
だが――――、
「理恵は本当に可愛いと思う。女性としての魅力も十分にある。でもやっぱり妹としてしか見れない。ごめん」
できるだけソフトに、それでいてしっかりと伝えておいた。
まあ、本音を言えば俺は至ってノーマルな男子であり、若くて魅力的な女性に対して発情しないと言えば嘘になる。
なんなら最高に盛んな時期と言える男子高校生の体になって思い出したが、爆発しそうなくらいの性欲が湧き上がってくる。
これは凄い。むしろ羨ましい。
どうやって処理しよう。
しかしそれはそれ、これはこれだ。
俺はあくまで32歳のおっさん。しかもまったくの他人。理恵に対しての節度はしっかりと保つつもりだった。
でもそんな俺の事情を知らない理恵は、
「わかってる。今は妹でもいい。でも、気が変わることもあると思うし、そんなすぐに結論を出すことでもないって思う」
もにょもにょと体をくねらせて恥ずかしそうにしながらも、はっきりした口調で言った。
出会ってまだ二日目だが少しずつ理恵の事がわかってきた。
こういう時の理恵は結構本音を言っている時だということ。
そして――――、
「だから諦めない……諦めないもんっ! 絶対振り向かせてみせるもんっ! 誰よりもお兄ちゃんの事を想っているのは私だもんっ! お兄ちゃんもぜったいそうなるもんっ!」
若干のヤンデレ気質があるということだ。
夜中に物音がしただけで兄の部屋に入ってきたり、記憶が曖昧だからと一緒に寝ようと言ってみたり、登下校を共にしたりする理由がこれで少し理解できた。
ただ理解は出来たとしても、
「…………お、おう」
顔を真赤にして凄い迫力で言う理恵に気圧されて、ただ曖昧に返事を返すことしかできなかった。
もしかしたら崎川恭介は理恵のこのような性癖を知っていたのかもしれない。だから期待をもたせるような言動は謹んでいたのではないだろうか。
だとすると俺はこの短期間で大きなミスを犯したのかも知れない。
なんとなく不穏な空気を感じていると、突如として理恵は平然とした表情で言った。
「そうそう、謹慎か停学になったらなんだけど」
「あ、うん」
「外出とかしちゃダメだよ? ちゃんと家にいなきゃだからね! あ、そうだ。スマホも私が預かっておいたほうがいいかも! 誰かから連絡きたら困るものね!」
「……え、ええ?」
「だってタバコ吸った罰だもん。仕方ないでしょ! でも私も学校終わったらすぐに帰るようにするから――――それまでの辛抱だから安心してね!」
屈託のない笑みを浮かべてこてりと首を傾ける理恵。
むしろ安心できない要素しか無かった。
俺の処分について学校から連絡が来たのは、夜になってからだった。
処罰は謹慎一週間に決まった。
反省の様子があればそこで解除となるらしい。退学すら匂わせていた割には、案外軽い罰だったことに安堵した。
崎川恭介の父親には激怒されるものと覚悟をしていたが、ありきたりな説教を受けただけで、それ以上の叱りを受けることはなかった。
記憶喪失の件も何も言われなかったところをみると、教師はそこには触れなかったということだろう。
下手な嘘をつかずに済んで、こちらもほっとした。
その代わりに父と母は二人して悲しんだ。
再婚がこのような影響を子供に与えたのではないかと言った具合だった。
むしろこれは怒鳴られるよりもぐっと心に来るものがあった。
タバコを吸ったのはまったくそういう理由ではないし、そもそも中身はまったくの別人なのだ。
それなのに悲しませてしまったことは本当に申し訳なかった。
だが一週間の自由時間を獲得したことは、俺にとっては僥倖と言えた。
理恵には家にいろと言われたが、従う気は毛頭ない。
とりあえず謹慎初日は、崎川恭介に転生した時にまっさきに思いついた事をするつもりだった。
そう自分の――鈴木隼人の自宅へ行くことにした。
崎川恭介の自宅の最寄りの駅から電車に乗って数駅。そこからまた乗り継いで1時間半後には自宅に着いていた。
2階建てのアパート。部屋は2階の角部屋だ。
他人の体で自分の家に行くというのは不思議な気分だった。
数日帰っていないだけなのに、見知らぬ場所のように落ち着かなかった。
自宅のドアの前まで行ってみたが人の気配はなかった。
ポストも覗いてみたがチラシがたんまり溜まっていた。
鍵を持っていないから部屋の中には入れないが、毎日暮らしていた我が家だ。
生活感がまるでないことはすぐにわかった。
俺の体――鈴木隼人はここにはいない。
近所付き合いはなかったし、恋人もいなかった。
友人や仲の良かった会社の同僚とは、ほとんどがLIMEで連絡を取っていたから電話番号すら知らない。
鈴木隼人の時のスマホが無い今、当時の交友関係者に連絡する手段がなかった。
最後の手段――。
実家に連絡すべきかと考えた。
もし俺の体に重大なことが起っているならば、きっと実家には連絡が行っているはずだ。
だがやはり今の体で、俺が鈴木隼人であることを証明するのが難しいと思った。
「俺だよ! 俺!」
とでもやるか?
無理だ。
いくら昭和生まれでITリテラシーの低い親であっても、見知らぬ他人に個人情報を漏らすようなことはしない。
ここに来る前からある程度の予想はしていたことだが、俺は自宅ドアの前でただ立ち尽くすしかなかった。
しかし若い男子がドアの前でずっと立っているなんて怪しすぎる。
怪しまれる前に、早々に立ち去ることにした。
元の体に戻れない限り、結局のところどうしようもなかった。
それだけの成果をもって俺は帰路についた。
崎川恭介の自宅に帰ってきたのは、昼過ぎだった。
崎川恭介の両親は共働きだから、理恵が返ってくるまで俺以外家には誰もいない。
とても静かな時間が過ぎていく。
その中で俺はカップ麺をすすりながら崎川恭介のスマホをいじっていた。
スマホのロックを解くのは簡単だった。
崎川恭介の体に残っている記憶はあくまで印象的なものだけであり、具体的な情報はなにもない。
だからロック解除は苦戦。もしくは無理だろうと思っていたが、いとも簡単に誕生日――理恵から聞いていた――で解除されてしまった。
IT業界にいた人間としては、不安になる暗証番号だ。
スマホの中に、何か俺と関係しているものがないかを探した。
LIMEのトーク履歴を遡って読んでみたが、友人と思しき相手ともそれほど頻繁にやりとりしていた様子はなかった。
写真アプリも風景や建物ばかりで、他人と一緒に映っているものは少なかった。
交友関係は狭かったようだ。
動画アプリの履歴も人気配信者の動画ばかりがでてくる。
ブラウザの履歴もこれと言っためぼしいものはなかった。
……まあ、思春期真っ盛りの男子高校生らしいサイトくらいは見ていたようだが、これは男として不思議ではないから別に良い。
その他、色々と触ってみたが俺と繋がるようなものは何も見つけられなかった。
「わかんね」
とどのつまり大した情報は得られなかった。
スマホをソファに放って、ごろんと寝転がる。
他に何かできることはないか。明日からの予定をどうするか。
静かな家の中で寝転びながらそんな事を考えていたら、朝から動きっぱなしだったせいもあるだろうが眠くなってきた。
どうせ誰もいないのだ。
このまま昼寝でもしようと目を閉じたときだった。
ピンポーン。
やたらと大きな音でチャイムが鳴った。
「……んだよ」
せっかく寝ころがった体を引き起こす。
壁に備え付けの画面を見た。
「……は?」
俺は目を丸くした。
あの黒髪の美少女――遠山葉月がそこに映っていたからだ。
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