第9話


「はい。これ」


 学校帰りに来たのだろう、制服姿の遠山は玄関で出迎えた俺に小洒落た紙袋を差し出した。

   

「なんだ?」


「手土産よ? 人の家にいくなら手土産くらいもっていくわ」


「そうじゃねぇ。何しに来たんだってことだ」


「なにって……」


 遠山は意外なことを聞くものだという顔をした。


「昨日の件。ちょっと話したかったからよ」

 

 ……話したい? 

 俺が勝手な嘘をついたことでも責めに来たのか?

 それとも感謝でも述べるつもり――――それはないか。

 どうみてもそんなタイプじゃない。


 ちなみに崎川恭介の家の住所は、謹慎中の俺の様子を見に行くと担任に話したらすぐに教えてくれたそうだ。

 生徒会副会長ともなると信頼も厚いのだろうが、個人情報をすぐに引き出せるとか恐ろしすぎる。


 とりあえず玄関で話すのもなんだから、崎川恭介の部屋に通すことにした。

 部屋は二階だ。

 階段を上がる途中、家の中が静かなことに遠山は気づいたらしい。

 

「ご家族は?」


「両親は仕事。妹は学校」


「そう」


 遠山は一瞬、逡巡しているような顔つきをした。

 この家に二人きりなのを気にしたのかもしれない。


 嫌なら帰ってもらって一向に構わないのだが、崎川恭介の部屋へ案内すると、遠山は特に気にする様子もなくそのまま部屋に入ってきた。

 

「へぇ、小綺麗にしているのね。もっと汚いのかと思った」


「いきなり失礼なヤツだな。俺は綺麗好きなんだよ」


 本当は崎川恭介が綺麗にしていただけで、実際の俺の部屋はかなり汚いのだが。


 遠山は部屋の中をくるりと見渡して、視線を彷徨わしている。

 ああ、座る場所か。


「ソファとか座布団ないし、まあ、ベッドにでも座ってくれよ」


「あなたはどこに座るの?」


「俺もベッドに座るが?」


「そう、なら私は床に座るわ」


 遠山はスカートをぽんぽんと叩いて流れるような動作で女座りをする。

 部屋にはすんなり入ったくせにそこは警戒をするのかよ。

 なんかムカつくんだよなぁ、こいつ。

 俺は遠慮なくベッドに座り、壁に背をもたせかける。


 しかし、遠山は座ったまま一向に話し始めなかった。

 視線を彷徨わしどこかを見いる。

 ただ静かな時間だけが過ぎていった。


 ……なんとも居心地が悪い。仕方無しに俺から切り出した。

  

「で?」


「……え?」


「え、じゃないだろ。昨日のことで何か話したくて来たんだよな? なんで黙ってんだよ」


「……そう、そうよね。あの……崎川って私とこうやって話すのは初めてよね?」


 いきなり答えにくい質問をしやがる。


「たぶんそう……かも……。いや、どうだったかなぁ……」


「私は……あなたと接点なんてなかったと思うわ。でもなんであんなことをしたのかしら? まったく理解ができないのよ」


「あー……。俺がタバコを吸いたかったからだが?」


「嘘ばっかり」


 あながち嘘でもないのだが、ぴしゃりと釘を刺されてしまった。

 

「ねぇ、本当のことを教えて。……私と仲良くなりたかったから? それとも私の気を引こうとしたの?」


 真面目な顔をしていうものだから、さすがにこれには驚いた。

 確かにルックスの良さは認めるところだが、こんなことを平然と言う女は初めだった。

 きっと外見に相当な自信があるということだろう。


 ――しかし、いけすかない。


「お前、すげぇ自信過剰だな。尊敬するわ」


 俺は皮肉交じりで返す。

 そりゃそうだろ、自分が美人だってわざわざ言っちゃうような女を好きにはなれない。

 しかし遠山はたじろぐ様子がまるでなかった。


「私、見た目が綺麗だから。モデルやっているしテレビにもでているくらいだもの」


「ほーん……」


 自分のルックスやら経歴を鼻にかけてやがるのか――。

 第一印象通り、やっぱりこいつは嫌なヤツだ。


 だがこいつが出ている雑誌なんて見たこと無いし、テレビもほとんど見ないからどれだけ自慢しようが俺にはその凄さがわからない。


 むしろ、からかってやりたくなる。


「じゃあ、そういうことで良いんじゃね?」


「私と仲良くなりたかったからってこと?」


「そう言って欲しいんだろ?」


「……あなた、結構イヤな人ね……」


「見た目や経歴で人を判断してるヤツよりはマシだろ」


「……それ、私のことを言っているの?」


「ここには俺とお前しかいないだろ?」


「人を見た目で判断してるのは、あなたでしょ」


 遠山は鋭く俺を睨んだ。

 美人なだけに迫力のある目だ。


 しかし今のやり取り、自分には否がないと思っているのか?

 もしくは崎川恭介のような一般人に生意気なことを言われて芸能人のプライドが傷ついたか?


 知るかよそんな事。


 俺は無性にムカついてきていた。

 挑発するように睨み返す。


 しかし俺が睨み返したことで、遠山は視線を俺から逸らした。

 そして小さな声で呟いた。


 ――あなたも一緒なのね。


 声が小さくてあまりによくは聞き取れなかった。

 

「……あ? なんだよ」


「別に。なんでもないわ」


「なんだよ、言いたいことあるならはっきり言えよ。お前ほんと何しに来たんだよ。俺と喧嘩しに来たのか? それとも楽しいおしゃべりがご希望か? まあ、既にそのご期待にはお応えできなさそうだけどな」


「……わからないわ。ただあなたに会わないといけない気がしたから。それだけ」


「ほんと意味わかんねぇ。じゃあもう要件は済んだな。帰れよ」


「言われなくてもそうするわ。あなたも私と話していたらイライラするだけみたいだし」


「ああ、是非そうしてくれ。わざわざ手土産ありがとよ。家族と頂くよ」


 俺はしっしと手を振って帰宅を促す。


 感謝されたくてタバコの身代わりになった訳では無いにしても、上から目線のつんけんとした態度が妙に頭にくる。

 なるほど。これが『氷姫』か。

 ネーミングしたやつ良いセンスしてるじゃないか。


 遠山は淀みない動作ですっと立ち上がるとドアに向かった。

 俺はベッドに座ったまま横目でそれを見ていた。

 玄関まで見送るつもりは毛頭ない。


 しかし遠山はドアノブに手を掛けたまま、立ち止まった。

 俺に背を向けたまま言う。


「見た目や経歴でなんて……できるわけないじゃない、仲良くなんて。バカじゃないの」


 その言葉は俺の挑発的な態度に対する怒りではなく、どこか悔しさが込められているように思えた。

 そして、


「……――――っ」


 ドアの前で立ち止まったまま小さく嗚咽を漏らした。

 とっさに手で口を押さえたが、細い肩が微弱に震えているのは止められなかったらしい。


「お、おい……。お前、まさか泣いてるのか?」


「……泣いてないわよ」


 まさか演技……いや、やはり泣いているように見える。

 どちらにしても女の涙の前で男ができることは太古の昔から一つしか無い。

 

「……ったく。悪かったって。さっきのはあれだ。売り言葉に買い言葉みたいなもんだから気にすんなって」


「わかってるわよそんなことくらい…………うぅっ」


「だから、泣くなよ……」


「泣いてないって言ってるでしょ」


「いや、それは卑怯だろ……」


「……そうよ、私は卑怯者。タバコの罪をあなたに被せたまま逃げているんだもの」


「それはもういいって言ってるだろ。それに別にお前の気を引きたくてやったんじゃないから安心しろって」


「……じゃあ、本当はなんでなの? 何故あんなことをしたの? 私を助けることにあなたはなんのメリットがあるの? それがわからない」


 遠山はやっと振り向いた。やはり目が赤かった。


 しかし答えにくい事を聞かれて困った。

 俺自身、よくわかっていないのが本当のところだからだ。


 メリットだとかそんなものは考えていなかったのは間違いない。

 敢えて言えば遠山が何かから助けを求めてるような、逃げ出したいと必死にもがいているような、そんな雰囲気があったからだと思う。


 結局のところは32歳おっさんの老婆心というやつなのだろうと結論づけた。


 しかし遠山にそんなことを説明はできない。

 少し考えた結果、無難な回答をしておくことにした。


「……んー、なんか違和感があったから、かな?」


「違和感?」


「ああ。わざわざ学校でタバコ吸うヤツってのは、イキリたいからとか、ハクがつくからとか、仲間が吸ってるからって感じだろ?」


「そうなの?」


「理由はどうあれ吸ってんの見つかったらどうなるかくらいは、覚悟して吸ってんだろ。だけどお前、タバコ持ってる時おどおどしてたよな。覚悟が決まっていない、そんな感じだった。そんな風になるヤツは学校でなんてわざわざ吸わねぇって」


「……よく見ているのね」


「あれだけ怯えた目をしてれば誰でもわかるだろ。だからなんとなく助けたくなった。それだけだ」


 実際、あの時の遠山の不安定な感じを放っておけなかったのは本当のことだ。


「そう、そういうことだったのね……。おせっかいな人ね……」


「ああ、そうかもな」


「……答えてくれてありがとう」


「いえいえ」


「……じゃあ帰るわね……」


 そう言ってまたドアノブに手をかけた。

 今度こそ出ていくはず――しかし遠山は、やはりしばしそこを動かなかった。


「どした?」


 ドアノブに手をかけたまま固まっている遠山に声をかける。

 まさかまた泣いてないよな、などと気にしながら見ていると、


「……あ、あの。崎川……」


 喉から絞り出すような声だった。


「あん?」


「……き、昨日は本当にごめんなさい。それと崎川の言う通り、本当はすごく怖かった……」


 気まずそうに目を伏せていた。

 しかし声のトーンは先程よりも随分と優しく、柔らかなものだった。

 それは『氷姫』とは程遠い、穏やかな雰囲気がある。


 そんな遠山に俺も肩から力を抜いた。


「そか。なんかわかんねぇけど頑張ったんだな」


「……どうだろ。結局はあなたに迷惑をかけただけよ……」


「俺のことはマジで気にしなくていい。こういうのは慣れてるからよ」


 10年以上勤めた会社を啖呵切って辞めた俺だ。

 今更タバコで謹慎くらいなんてことはない――。

 崎川恭介には申し訳ないとは思っているけどな!

 

「ううん。この恩は必ず返すわ」


 遠山は伏せていた目を俺に向けると、きりっとした口調で言った。


「別にいらねぇって。それにこれ、貰ったしな」


 手土産を手に取る。

 随分とお高級な洋菓子ってところか。

 遠山はふるふると小さく首を振った。


「そんなもの……」


「うまそうだな。後で美味しく頂くよ。でもさ――」


「なに?」


「さっきまでの無愛想で澄ました感じよりも、今みたいな素直な方がお前に似合ってるぞ」


「っえ……な、なによ、いきなり……」


 遠山は一瞬俺を見たあと、恥ずかしそうに視線を逸らした。


「別に他意はねぇよ。単純にそう思っただけだ」


 思ったことを率直に伝えただけだ。実際その通りなのだから仕方ない。


「……あ、ありがと……」


 遠山の真っ白ですべすべの頬がほのかに赤く染まっている。

 なんだよ、こういう可愛いところもあるのかよ。こんな感じだったらこいつとも仲良くなれるだろうに。


「……崎川……あの……」

 

「ん?」


「もしよかったらなんだけど、また……」


 そう遠山が何かを言いかけたときだった。


 ガチャガチャ! ガチャン!!


 大きな音が一階から聞こえてきた。


「お兄ちゃぁーーん! ただいまぁ! ただいまぁ!! お兄ちゃぁーーん!!」


 ドタドタドタッ!


 階段を駆け上る足音が一気に近づいてくる。


 …………理恵だ。


 ああ、帰ってくるの早いなぁ……。


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