第6話

「お兄ちゃぁーーぁぁぁん!!」


「悪かったって…………」


「お兄ちゃぁーーーーぁぁぁん!!!」


「泣き止んでくれよ…………」


「お兄ちゃぁーーーーーーぁぁぁん!!!!」


 転んで怪我をした子供のように泣き止まない。隣を歩く理恵は学校からずっとこの調子だった。


 もともと理恵とは一緒に帰る予定だったが、生徒会が終わった理恵は生徒指導室に呼ばれ、俺と一緒に帰らされることになった。


 きっとお目付役的な意味があるのだろう。

 どいつもこいつもタバコくらいでえらい騒ぎだ。


 だが理恵が大泣きしているのは生徒指導室から開放される間際に、


「停学は覚悟しておけよ。最悪退学もあるからな」


 教師が脅すような口調で言ったからだ。


 タバコの煙を思い切り吹きかけたのはさすがにやりすぎだったかもしれない。

 生徒指導室に駆け付けた時には既に涙目になっていた理恵が、それを聞いて泣き崩れた。


 だが理恵は、


「お兄ちゃん。実は昨日の夜に頭ぶつけてちょっと記憶が飛んでる所があるんです。混乱してたりするところがあるので、そのせいでタバコを吸っちゃったのかも……」


 記憶喪失の件は黙っておけと言ったはずだが、泣きながらも俺を擁護してくれた。


 これには教師もさすがに驚いていた。

 退学もあるかもしれないと脅した迫力が少し弱まった。


「そうなのか、大変だったな」


「……ええ、まあ。すこしだけ記憶が曖昧というか、なんというか……でも大丈夫です」


「病院には行ったのか?」


「記憶が戻ってきてたりもするので、様子見をしているところです」


 こうなったら嘘を嘘で塗り固めるしかなかった。

 しかし、


「まあ、だからと言ってタバコを吸ったのは事実だ。処罰はあきらめろ」

 

 トーンダウンはしたものの、はっきりとした口調で言われてしまった。


 せっかく理恵がフォローしてくれたのに情状酌量にはつながらなかった。

 やはりタバコの煙を吹き掛けたのはやり過ぎだったのかもしれない。


 遠山については俺が教師の前でタバコを吸ったという前代未聞の行為によって、容疑がすっかり晴れたようだった。

 まあ、俺の見ていた限りあいつはタバコをほとんど吸ったことが無いだろう。あったとしても興味本位といったところだ。


 俺が見つけた時だって吸っていた感じはしなかったし、タバコの減り具合からみても火を付けた直後といったところだ。


 ……となると遠山がタバコを所持し火を付けたことは事実だが、まともにタバコを吸ったのはあくまで俺ということか。


 ――俺は本当に一体何をやっているのだろうか。


 すまん、崎川恭介。


 理恵はというと、えぐえぐと小さく嗚咽は漏らすものの、家に近づく頃にはさすがに泣き止んでいた。

 だがここまで悲しませてしまったことに申し訳ない気持ちになっていた。

 落ち着きを取り戻した頃を見計らって、俺は理恵に謝った。


「わるかったな。心配かけて」


「……ほんとだよ。なんでタバコなんて吸ったの……?」


「いやぁ……ここだけの話なんだけどな……」


「うん」


「実は遠山って女がさ――――」


 と、その名を出した時だった。理恵が興味ありげに俺の顔を覗き込んだ。


「遠山……遠山って、遠山葉月さんのこと?」


「名前は知らないが……同じクラスの遠山。知ってるか?」


 理恵が生徒指導室に来る前に遠山は開放されて先に帰っていたから、あの場所にいたのを知らない。


「うん。有名人だもん。そりゃ、知ってるよ。……で、葉月さんがどうしたの?」


「いや、本当はさ、あいつがタバコ持ってたんだよ。で、俺がそれを見つけてそのタバコを吸ったんだ」


「ええっ!? 葉月さんがタバコを持ってた!? でも吸ったのはお兄ちゃん!? …………ちょっと何言ってるのかよくわからないんだけど……」


「俺も自分で言ってて意味わからないなって思った……」


 本当に意味不明な事をしたものだ。

 

「葉月さん今日も生徒会休むって言ってたから、仕事なのかなって思ってたけど……。そうだったんだ、でもなんでタバコなんてもってたんだろ。仕事の小道具とか?」


「さぁ……。そういや生徒会副会長でモデルもやってるんだっけ?」


「うん、そう」


「たしかに美少女って感じだもんな。見た目は可愛いよな」

 

 長く美しい黒髪。ぷるんとした唇に通った鼻筋。瞳はきらきら輝いている。

 ルックスは抜群だ。


 遠山のことを思い出しながら答えると理恵は妙にツンとした表情をしていた。


「へ、へぇ……。お兄ちゃんってああいう感じが好きなんだねぇ。可愛いとか言うの初めて聞いたんだけど……。ふーん……」


 ぷっくりと頬を膨らまし、不服そうにしている。


 ……どうした。なにかまずいこと言ったか、俺。


 でもあれは性格がめっちゃきつそうだろ。

 それに朝教室で会った時、挨拶すら返さなかった。

 挨拶しないとかどんな教育受けてきてんだよ。

 可愛いからと、周りから甘やかされたタイプに違いない。


 ……しかし何故だ。

 理恵の機嫌が直らない。  


「ど、どした?」


「……いいもん。私なんてどうせ全然だし。葉月さん本当に可愛いし、綺麗だし、スタイルいいし。モテモテだし」


「ま、まあ、遠山は整いすぎて、冷たい感じはするけどな……」


 ふんっと拗ねるように言う理恵に俺は遠慮がちに答える。

 どこか投げやりな調子で理恵は続けた。


「……まあ『氷姫』だからね」


「『氷姫』? なんだそれ?」


「そっか。お兄ちゃん記憶が。……葉月さんね、モデルやっててテレビにも出てるんだよ。しかも超売れっ子。可愛いのにあのクールさがウリなんだ。それでキャッチコピーが『氷姫』」


「マジで!? そんな有名人なのかよ」


「うん。若い女子なら知らない人はいないんじゃないかってくらいに人気あるよ。そんなことも忘れちゃってるの? コスメとかファッション真似してる子も多いじゃん」


「……ほ、ほぉ~……」


 そんな凄いヤツだったとは。驚きの声しか出ない。


「だけど学校でもそのまんまの感じだから、近寄りがたいよねぇ。女子でも声を掛けられないくらいの芸能人オーラ出してるし。生徒会でも葉月さんが言えば大体その通りになるって感じ。まあ、あまり生徒会には顔出さないけどね」


「……まさに姫だねぇ」


「ね、『氷姫』。実際その通りだなってみんな言ってるよ」


 『氷姫』か――。

 教室で見た時のツンと澄ました表情や態度は、たしかに言い得て妙という気はする。


 ただ、そう言われるのもよくわかるのだが、さっきまで俺が見ていた彼女の姿は、随分と必死で怯えていた。


 あれはとても『氷姫』という感じではない。


 氷でいうのならば、脆くてすぐに溶けて消えてしまいそうなふわふわのかき氷のようだった。


 ――――やはり、よくわからない女だ。


 それに引き換え、理恵は喜怒哀楽がはっきりとしていてわかりやすい。

 感情や気持がストレートに表に出るタイプなのだろう。


 そんな理恵に、先程の間違いを訂正しておかなければならない。


「そうだ、理恵」


「うん?」


「全然ってことはないからな」


「……うん? なんのこと?」


「俺はお前のことも可愛いと思ってるぞってことだ」


「へぅ!?」


 先程、遠山と比べて自分の事を卑下していたが、実際の所は理恵はかなりの美少女である。

 事実は事実としてちゃんと伝えておかなければならないと思ったのだ。


 それに遠山と違って、理恵は愛嬌があって女の子らしさがにじみ溢れている。

 これはモテるに違いない。お兄ちゃんとしてはとても心配だ。


「……あ、ありがと」


 恥ずかしそうに毛先をくるくると弄ぶ仕草も可愛らしい。

 そんな理恵に俺は続ける。


「ははは。自信持て妹よ。もしも俺が兄じゃなければ、口説いているくらいだぞ!」


 まあ、中身は本当に兄じゃないのだが!

 だから、全ての理性の導入して自分を制御しなければならない。それくらいに理恵には魅力がある。

 もし俺が同年代の男子だったとしたら、こんな可愛い女の子とはどぎまぎしてまともに話せないだろうというくらいだ。


 そんなことをふむふむと考えながら歩いていると、理恵はどこか恥ずかしそうにしながらも、こちらに目を向けてきた。


「そ、それって私に異性としての魅力を感じてるってこと……だよね?」


「……ん? あくまで俺がそこらにいる男子だったらってことだぞ。でも俺は兄だから……」

 

 と言いかけた俺の言葉を理恵は遮った。


「え? だって私達、血は繋がってないんだからそういうのも無しではないでしょ?」


「……は?」


「だからお兄ちゃんがもしその気なら私……期待しちゃったりして……なんて言ってみたりして……」


 理恵はもにょもにょと体をくねらし頬を赤らめた。


「…………は、はいぃぃ?」


 崎川理恵さん。

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