第5話
崎川恭介の通っている高校は高台にある。山を切り崩して建てられた関係上、体育館やグラウンドは校舎よりも一段低い場所に建設されていた。
体育館の2階部分は校舎1階と同じ高さにあり、通路が側面を通っている。その通路の奥にある部屋へ俺と美少女は連行された。
そこは生徒指導室だ。
大して広くもないその部屋でマッチョな教師二人と向かい合って座っていた。
当然、教師の威圧は凄まじい。
「遠山に無理やりタバコを吸わそうとしていたと。なら何故遠山のカバンにタバコが入っていたんだ?」
「だからそれも俺が無理やり入れたからですって。さっきからそう言ってるじゃないっすか」
この美少女は遠山って名前なのか、などと考えながら適当に受け答えた。
その遠山とやらがなぜ学校内でタバコを吸っていたのかはわからない。ましてや俺が助けてやる義理なんてまったくなかった。
だがタバコを持つ震えた手。怯えるように彷徨わす視線。でも強がる言葉。
それらがどうにも忘れられなかった。
何か助けを求めているように感じてしまったのだ。
だから俺がタバコを吸っていて、偶然通りがかったこの女に無理やり吸わそうとしていたと、教師に言ってしまったのだった。
まったく、自分でも何をしているんだという気持ちになる。
しかも今の俺は32歳のおっさん鈴木隼人ではない。高校2年生の崎川恭介だ。
この体の持ち主の経歴に傷をつけてしまうかもしれないことに、申し訳ない思いはあった。
だが、どうにもこの美少女――遠山が放っておけなかったのだ。
俺の返事を聞いた教師は、遠山に向き直って聞いた。
「崎川はそう言っているが、それは本当か?」
「………………」
「なんか言え。遠山」
「………………」
教師の口調は徐々に厳しいものになる。
そして遠山を疑っていることを隠さなかった。
この部屋に連れてこられた時、カバンの中を調査された。
タバコが見つかったのは彼女のカバンからだ。それにタバコにはかすかにリップが付着していた。
俺が何を言ったところで、状況的にそう思われてしまうのは仕方がない。
教師はふぅと大きく息を吐きだした。
「……ったく。お前、自分の立場わかってるだろ。学年トップクラスの成績。生徒会副会長。それにモデルの仕事。お前が学校でタバコを吸ってたなんて知れたら、今までお前を育ててくれた親御さんや仕事関係者が悲しむぞ」
だんまりを決め込む遠山に、教師は面倒そうに言った。
モデル?
隣に座る遠山を横目で見た。端正な顔立ちの美少女は俯いていた。
読者モデルかなんかをやっているのだろうか。
若いヤツの読むような、ましてや女性誌なんて見たことがないからまったく知らないが、まあ、これだけ整ったルックスをしているのだから、芸能関係者と言われても不思議ではなかった。
しかし教師が「親御さん」という言葉を使った瞬間だった。
遠山は体をビクリとさせた。
俯いていた顔を上げて、
「違います。わたし……わたしが吸っていたんです」
遠山は意を決したような口調ではっきりと言った。
「おまえ……!」
「崎川は黙ってろ!」
瞬時に教師が俺の言葉を遮った。やっと証言が取れると踏んだのだろう。
それにしても、言わなきゃ罪から逃れられるものを敢えて言うとは。
この女はバカなのか。それともバカ正直なバカか。
「遠山、それは本当なんだな?」
教師は前のめりになって聞き返す。
「はい。私が吸ってました。彼は吸っていません」
「……そうか」
教師はやっぱりなというような顔をして、残念そうなため息を吐いた。
俺もため息の一つくらい吐きたくなった。
せっかくの名演技を台無しにしやがって、という意味のため息をだ。
先程の話からすれば、遠山は生徒会副会長でモデルもやっているらしい。
喫煙をしていたなんて周囲に知れたら、教師の言う通りとんでもないことになるだろう。モデルは確実に廃業コースだ。
教師は座り直してテーブルの上で指を組んだ。
「遠山、もう一度確認しておく。お前がタバコを所持していた。そして学校内で吸った。間違いはないな」
「……はい」
遠山はどこか暗い顔をしながらも、しっかりとした口調で答えた。
なんともアンバランスだった。そんな顔するくらいならなぜ学校でタバコを吸ったんだと思わざるを得なかった。
高校2年にもなって悪ぶりたいわけでもないだろうし、何がしたいのか本当に意味がわからない。
――――だが。
俺が声を掛けた時に見せた怯えた表情。
あれは切羽詰まって何かから逃げ出そうと必死になっている奴がする顔だ。
社会人になって、仕事や人間関係が苦しくて、でも逃げるわけにもいかなくてどうしたらいいかわからなくて悩んでいる。
そんなヤツがするような顔だ。
普通の高校生があんな表情をするものか。
その顔が頭にこびりついて離れなかった。
だからなのだろう、気づいたら手に力が込められていた。
どうやら俺は遠山のことを批難できそうにない。
馬鹿はここにもいるらしい。
崎川恭介には申し訳ないと思いながらも、本当に面倒な奴だと思いながらも、やらなきゃいいのに、わかっているのに――――。
俺はまっすぐに手を上げていた。
「はいはい! 先生!」
「なんだ、崎川」
教師は面倒そうな目を俺に向けた。
遠山から言質がとれたことで、自分の勘が当たっていたことに安心していたのだろう。
「遠山さんは嘘ついていると思いまーす!」
「……なに? どういうことだ」
教師は眉間にしわを寄せた。
「そいつの言ってることぜーんぶ嘘ですよ。だって吸ってたのは俺だもん」
敢えて頭の後ろに腕を回し、椅子にもたれかかって態度を悪くする。
すると遠山が食ってかかってきた。
「ち、ちがっ……なんでそんなことを言うの。あなたになんのメリットがあるのよ」
「は? お前こそなんでそんな嘘つくんだよ。高2にもなって不良やりたかったのか? あ、もしかして俺の事が好きなのか? そういえば、最近俺のことちらちら見てるもんなぁ。だからこうやって罪をかばってくれてんのか?」
「……バ、バカじゃないの!? そんなことあるわけないじゃない!」
「じゃあ、なんでだよ。お前のくらだねぇ嘘を先生が信じそうになってんぞ。ほんと女ってのは嘘が上手だよなぁ!」
「男とか女とか関係ないでしょ! あなたがそうやって嘘を言うからややこしいことになって――――」
言い合いをする俺たちの横で教師の手が振り上げられた。
バァン!!
その手が思い切りテーブルに叩きつけられ大きな音が部屋に響く。
テーブルがぐらんぐらんと揺れた。
「お前らいい加減にしろ! 適当なことばかり言ってると二人とも許さんぞ!」
大体、怒るぞと警告するヤツは既に怒っているもんだ。
平静を保とうとしていた教師の顔は、般若のごとく恐ろしいものに変わっていた。
遠山も引く気がまったくないらしい。
俺のことを敵視するような目で睨んでいた。
「……ったく。ほんとめんどくせぇヤツだな……」
助けてやる、なんて言う高慢じゃない。
慈善事業のつもりもない。
きっとこれは自己満足に過ぎない。
そんなことはわかっていたが、俺は教師の前に置かれていた『ワイルドヘブン』と書かれた箱。それとライターを奪った。
「お前! 何してる!」
教師が叫んだ。
続いて伸びてくる教師の手を背後に飛び退いて俺はひらりと避ける。
箱を振ってタバコを口に咥え、ライターの火を付けた。
シュボッ。スゥーー。
「ぶはぁーーーー……」
思い切り吸い込んで、真っ白な煙をこれでもかと教師に向かってたんまりと吐き出してやった。
「……さ、崎川ぁぁぁあーーー! 貴様ぁぁっ!」
教師は顔を真赤にして、いまにも飛び掛からんばかりにぷるぷるとわなないた。
俺は平静を装い敢えて煽るような言い方をする。
「あ、気付かなくて、さーせん。先生も一本やりま…………げほ! げっほ!」
だが崎川恭介の体はタバコに慣れていない。俺は激しくむせ返った。
しかもやたらと不味いし、頭もくらくらしてくる。
「いい加減にしろぉぉーっ!!」
教師がその隙を見逃すはずがなかった。
げほげほと咳き込む俺に太い腕が迫る。あっという間に取り押さえられて、顔を床に押し付けられた。
「ぃでっ!」
「俺の前で吸うとは舐めたことしやがって! ただで済むと思うな!」
腕をひねり上げられタバコを奪い取られた。その手には無駄に力が込められている。
「離せよっ!」
たまらず叫んだ。
しかし「だまれ!」とでも言わんばかりに側頭部に肘鉄を入れられ、俺は言葉を失った。
まるで暴徒の沈静化に手慣れている警官のようだった。
そんななんとも情けない俺の姿を遠山は目を丸くして見ていた。
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