第4話
まったくついて行けない授業は想像を超えて辛かった。
毎日10時間以上働いていた俺からすれば、6限の授業なんて楽勝だろと思っていたのだが、わからないというのはやはり精神的にくるらしい。
その日の授業が終わる頃には、酷くクタクタになっていた。
だがまだ帰れない。
放課後はあの無愛想な黒髪美少女のせいで出来なかった学校探索をするつもりだったし、理恵と一緒に帰る予定にもなっていた。
「先に帰っちゃダメだよ! 生徒会が終わるまで待っててね! わかった? いいね! あと他にもなにか困ったことあったらすぐに私のクラスに来るように!」
今朝一緒に登校している時、おかんのごとく色々と釘を刺された。
それと記憶喪失については、親には黙っておいてもらった。下手に心配掛けたくないし。そもそも嘘だし。
それにしても、兄妹とはいえ理恵はやたらと親切だった。世話焼き系の妹なのかもしれないと思いながらも、何かそれ以上のものさえ感じていた。
だがいまは利用できるものはなんでも使わせてもらうと割り切って、
「ああ、わかった。色々すまないな、ありがとう」
誠意を込めて感謝を述べておいた。
すると、意外だというような表情をして理恵は言った。
「……お兄ちゃん。記憶が曖昧ってのは心配だけど、前より素直な感じ凄くいいと思う。なんかかっこいいかも……」
そう言って少し頬を赤らめた。
当たり前だが、元の崎川恭介と中身が俺になった崎川恭介は、違いがあるらしい。
でも外見が変わらないからか、そこまで怪しまれている様子はなかった。
それよりも照れたように笑う理恵が本当に可愛くて困ってしまうのだが。
中身が32歳のおっさん鈴木隼斗であるからだと思うが、妹である理恵に対しても異性としての魅力を普通に感じてしまっている。
だがそこはしっかりと理性を保たねばならないと自分を戒め平静を装う。
「そ、そっか? 色々と心配掛けてごめんな」
「ううん。むしろ頼ってくれたら嬉しいし」
「ああ、そうだ。今度お礼するよ。飯でも食いに行くか」
「は、はぇ!? べ、別にお礼とかいらないし! 妹として当たり前のことだし! ……でもご飯は一緒にいきたいなぁ……」
先程よりもさらに顔を赤らめてもにょもにょとする理恵は上目遣いで俺を見る。
16歳美少女の破壊力ここにあり。
おじさん。早速理性が飛びそうになった。
「じゃ、じゃあ今度……今度いこうな!」
そんな理恵の可愛らしさに、ごまかすように慌てて返事をする。同時に中身が本当の兄ではない事に罪悪感でいっぱいになった。
それにしてもちょっと素直に感謝を述べただけでこれって。
崎川恭介は一体どんな態度で理恵に接していたのだろう。
―――で、本題の学校探索だが。
思ったよりも早く終わってしまった。
昔はそれなりに広く感じた学校だが、社会に出て10年以上経つと色々なものを見てきているからだろう。
敷地的にはそれなりの広さはあっても、教室も体育館も音楽室も校庭も全てがこじんまりとしているように感じ、あまり時間がかからなかったのだ。
生徒会は1時間くらいかかると理恵は言っていた。
壁掛けの時計を見るとまだ20分以上ある。
持て余した時間をどうするかと考えながらぶらついていたら、タバコが吸いたくなってきた。
きっとこういう暇な時間があると、元の俺ならすぐに手を出していたせいだろう――。
などと考えていたが、どうやらそれだけが理由ではないらしい。
鼻をくんくんさせると、やはりどこからかタバコの匂いがした。
俺が今いるのは学校の中庭。
場所からしてこの匂いの発生元は学校の敷地外じゃない。
間違いない。近くで誰かが吸っている。
今どきは教師ですら学校ではタバコを吸えないと聞いたことがある。
まさか生徒が? いや、さすがにそれはないか。
でも、もしそうなら俺にも一本わけて欲しいものだ……と、不埒な事を考えたわけではない。けっして。
ただの興味本位。時間もあるしってことで匂いの元を探った。
放課後で人っ気はない。
その場所はすぐにわかった。
中庭の外れにある植樹に囲まれた小さな広場。いかにも穴場的な場所に人影が見えた。
隠れて吸うってのは今昔かわらないらしい。
だがよく見てみると、けっこうな煙が出ている。
これは電子タバコじゃない。紙巻きタバコの特徴だ。
このご時世にわざわざ紙巻きタバコを選ぶとはなかなかわかってるヤツかもしれない――などと考えながら、様子を伺いつつさらに近づいたとき。
「……嘘だろ」
俺は目を疑った。
タバコを持っていたのは、朝早くから教室にいたあの無愛想な黒髪の美少女だった。
たゆたう白い煙をぼうっと眺めている。
あんな優等生っぽいやつが学校でタバコだと?
まさかな。
茂みに捨てられていたタバコを見つけて拾ったに違いない。
――が、その予想は当たらなかった。
親指、人差し指、中指の3本で不器用にタバコを持って、まさに口に近づけはじめた。
しかしその手は震えていた。
タバコをなかなか口まで持っていかない。
吸うつもりなのかそうでないのか。
感情と行動がちぐはぐなように思えた。
その違和感があったからかもしれない。
俺は考えるよりも早く声を掛けていた。
「おい、学校でタバコなんてやめとけって」
「――――っ!!」
俺が声をかけると、黒髪の美少女は体をびくりとさせて非常な驚きを見せた。
そして怯えたように体を小さくして視線を彷徨わせる。
それは今朝教室で会った時とは随分と違う印象だった。
「タバコ吸ってんの見つかったら謹慎や停学くらいの処分はあるだろ。やめとけって」
「……べ、別にあなたには関係のないことよ!」
黒髪の美少女はすぐに表情を整えて強い口調で言い返す。
それは教室で見せたあの冷たい表情だった。
しかし相変わらずタバコを持つ手は震えていたし、肩も小動物のように小さくなったままだ。
「見つけちゃったんだからしょうがねぇだろ。なんでわざわざ学校で吸ってんだよ」
「うるさい! どっかいってよ!」
その言葉を無視して俺は歩み寄ると、不器用に持っているタバコに手を伸ばした。
美少女は咄嗟に体を回して俺の手を避ける。
「や、やめて! 大きい声出すわよ」
「はいはい。良い子はこんなことすんな。よこせって」
美少女の手を取り、タバコをポイともぎ取った。
まだ火を付けたばかりなのだろう、タバコはほとんど減っていなかった。
「……か、返してっ!」
「大体さ、お前タバコの持ち方すら知らないだろ。慣れてねぇのバレバレだっての」
言いつつ靴の裏で火をもみ消そうとした、そのときだった。
「お前ら! そこを動くなっ!」
背後から野太い声が聞こえてきた。
振り向くと、筋肉隆々のおっさんが足早に歩いてくるのが視界に入った。
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