第2話
【昨日の鈴木隼人 1/2】
「おい、まだ終わらないのか?」
「もう少しっす」
「ったく……。お前らが会社にいるだけで電気代やらなんやら金がかかってんだぞ。お前らの代りなんていくらでもいるんだ。クビになりたくなければもっと頑張れよ。なぁ、そう思うだろ鈴木?」
あえて名指ししてくる上司に、
「そうっすね」
適当に受け答えてまた仕事を続けた。
その日、仕事でミスをした後輩のフォローをするために一緒に残業をしていた。
それについては上司も把握しているはずだが、こうやって難癖をつけくる。
しかしこんなことは毎度のことだ。
この上司からはパワハラやモラハラを日常茶飯事で受けている。
ハラスメントをされる理由は酷く子供っぽいものだ。
自分で言うのもどうかと思うが、俺はその上司よりも仕事が出来た。
そして何故だかわからないが部署内の後輩からの信頼が厚く、何かと頼られるタイプでもあった。
上司はそれが面白くない。
自分よりも人気があることが許せないのだろう。
何かにつけて嫌がらせやいびりを繰り返した。
しかし一般社員である俺はどうあがいても上司の言いなりになるしか無い。
まさに社畜生活というやつをずっと続けてきた。
だから今回も毎度のことと割り切って適当に受け流して終わらせようとしたのだが――今日の上司はいつもと違った。
「つーか、お前もさぁ。鈴木なんかに頼む前にやることあんだろ。まずは俺のところに来いよ。『ミスをしてすいませんでした。無能で申し訳ありません』って頭下げて謝罪しろよ。迷惑かかんのは俺だぞ。わかってんのかよ」
後輩をいびりはじめた。
「は、はい……。申し訳ありません。ミスをしてすいませんでした……」
「声が小せぇ。聞こえねぇよ」
「……ミ、ミスをしてすいませんでした!」
後輩の上ずった声が人の少ないオフィスに響く。
後輩は仕事のミスによる精神的ダメージもあったのだろう、上司の辛辣な言葉に涙目になっている。
それとは対象的に上司の顔には愉悦が浮かんでいる。
この状況を楽しんでいるかのようだった。
更に付け加える。
「おいおい、大の大人が何泣いてんだよ。それじゃ俺が悪いみたいだろうが」
「い、いえ……そんなつもりは……」
「だったら声を掛けてあげた俺の優しさに感謝しろよ! ありがとうの一言くらい言えよ! 鈴木なんかと一緒にいるからこうなるんだろうが。こんな会社のゴミと一緒にいるからダメなんだよ! お前も同類だと思われるぞ!」
「あははは!」と笑う上司の楽しそうな顔と言ったらない。
絶対的な優位から部下を見下し、優越感に浸っている。
それ見た瞬間。
怒りが一気に沸点に達した。
「こいつはゴミじゃねぇ」
ここが会社であることを忘れて上司を睨みつけた。
俺のことを言うのはまだ許してやる。
だが、頑張っている後輩を馬鹿にするのは許しがたかった。
ただでさえ俺を嫌っている上司は当然遠慮なく睨み返してくる。
「あ? なんだその目はよぉ、鈴木!」
ここぞとばかりに圧力をかけてくる。
しかし今回ばかりは受け流すことも、引くこともできない。
「俺のことは構いませんよ。でもこいつは関係ないっすよね」
席から立ち上がり、上司と真正面から向き合った。
「誰に向かって口を利いてんだ、お前は」
「こいつはゴミなんかじゃない。言い直してくださいよ」
「言い直すわけねぇだろ。ゴミカスのお前と一緒にいる奴等はみーんな同類。ゴミ同然だ。つまり全部お前が悪いってことになるな!」
「…………ああ、そういうことっすか」
「わかったか? 全部全部ぜーんぶお前のせいなんだよ!」
「……ええ、わかりましたよ」
「ははは! そりゃよかった!」
「だったら……俺がいなけりゃいいんだよな! わかったよ! こんな会社辞めてやんよ!」
こんなあけすけな挑発に乗ったことは情けなかったが、頑張る後輩を馬鹿にされたことだけは堪える事ができなかった。
「隼人さん! 落ち着いてください!」
「うるせぇ!」
すがる後輩を振り払う。自分の荷物をカバンに突っ込んだ。
俺の怒鳴る声に、残業している他の社員がこちらを見ている。
さすがの上司も突然俺がキレたことにぽかんとしていたが、俺はかまわずオフィスを後にした。
どこに行ったって嫌なヤツはいる。真面目なやつほど損をする。社会はそういうもんだってことくらい嫌になるほど知っている。
俺だって辞めたくてやめるわけじゃない。俺を頼ってくれている後輩達には申し訳ないとも思っている。
でも俺がいたら、みんなに迷惑がかかる。
そう思うと、これ以上あの会社にいることはできなかった。
そんな気持ちのまま夜の街に行った。会社のことなんて飲んで忘れたかった。
しかしすぐに後輩が後から追いかけてきて、
「考え直して欲しい」「一緒に謝るから」「隼人さんいないと無理っすよ!」
と言って俺が会社を辞めることを引き止めた。
だが、俺ははっきりと断った。
俺がいたらきっとお前たちにも被害が及ぶ。
そして実際そうなっただろと諭した。
しぶしぶ納得してくれた後輩だったが、せめて一緒に飲みに行きたいと言いはじめた。残っている仕事は明日やるからと言って聞かなかった。
そして俺たちは随分と酒を飲んだ。
特に後輩はあおるように飲んだ。
きっとこいつも鬱憤が溜まっていたのだろう。
結果――。
俺よりも先に後輩がぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。
帰り道、後輩を介抱しながら駅まで歩く。
面倒かけやがってと俺は文句をぶつけたが「隼人さぁん! 隼人さぁん!」と酔っ払いながらつぶやく後輩はやはり可愛かった。
こうやって飲みに行くのも最後かもしれない。
そう考えると多少は感傷的な気分にもなる。
そうやって二人で歩いている時だった。
かなり明るめの茶髪をした若い奴ら数人が、ゲラゲラ笑いながら道を塞ぐように前から歩いてきた。
ぱっと見てわかる。いかにもタチが悪そうだった。
俺は酔っ払っている後輩を連れて、出来るだけ道の端っこを歩いた。
だが若者達とすれ違う時、おぼつかない足取りの後輩がそいつらの一人と接触してしまった。
というより、向こうから当たってきたように俺には見えた。
そしてものの見ごとに若者達は挑発的な言葉と態度で絡んできた。
その中の一人が後輩の胸倉を掴んで脅しをかけた。
「痛ってぇなぁ。どうしてくれんだよ」
その他の若者はへらへらとした笑いを浮かべながら、今後の成り行きを楽しんでいる。
泥酔気味の後輩にかわって「すいません」と俺は謝ってその場を収めようとした。
だが後輩の胸ぐらを掴んでいるヤツの目を見た時ぞくりとした。
クスリか何かをやっているのではないかと思えるような、どす黒い目をしていたからだ。
しかし後輩はまだ若かった。
酔いもあったし会社の鬱憤も溜まっていたのだろう。
「あんたがぶつかってきたんだろ」
ろれつの回らない調子で言ってしまった。
がんっ!
直後、胸ぐらを掴んでいた若者は躊躇することなく後輩の顔を殴りつけた。
「ぐぁ!」
後輩は殴られた勢いでよろよろとしながらビルの壁にもたれかかる。
若者はおもむろにポケットに手を突っ込みながら、後輩ににじり寄った。
そして――ポケットからナイフを取り出したのが見えた。
「やめろ!」
俺はすぐさま駆け寄って、そいつの手を取った。
同時に後輩を蹴り飛ばして遠ざける。
道路にごろりと転がる後輩を横目でみながら、俺はそいつと揉み合いになった。
若者は思っていた以上に力が強かった。
おっさんである俺では簡単には抑え込めそうもなかった。
しかも若者は手にナイフを握っている。
見物している若者たちからは「がんばれよ! おっさん!」などと冷やかしの声が聞こえてくる。
格闘技の試合かなにかと勘違いしているように熱狂している。
二度三度と押し合いを繰り返した。
ついには俺とそいつは絡み合うようにして道路に倒れこんだ。
その時だ。
「ぁぁあっッ!」
腹に強烈な痛みが走った。
若者が持っていたナイフが、俺の腹に突き刺さっていた。
「……あ、あぐ……ぅ……」
体の中に刃物が入っている気持ち悪さ。焼けるような痛み。
うめき声が漏れる。
揉み合いしていた若者は、俺を横目にゆっくりと立ち上がる。
そして冷たい目で俺を見下した。
「酔っ払いが調子にのってんじゃねぇぞ。ざまぁ」
何かに陶酔しているかのように口元を歪めて笑っているのが見えた。
しかし、いままでこの状況を楽しんでいた他の若者達は違った。
「やりすぎだろ!」「やべぇって!」「サツが来る前に逃げろ!」
騒がしく喚き立てはじめた。
そして俺を刺したヤツをひっぱるようにして逃げていった。
「は、隼人さん……ッ!」
後輩が駆け寄ってきた。
後輩は電話をかけたり俺に何かを言っていた。だが、出血のせいか頭が朦朧として答えることも動くこともままならない。
次第に遠のく意識の中で自分の体が血に浸っていくのをただ眺めていた。
俺はこんなところで死ぬのか。
そう、自分の運命に諦めを感じていた――――はずだったのだが。
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