サラリーマン鈴木隼人は放っておけない!〜クラスでは無愛想な人気モデルのクール系美少女が俺の前ではよく笑うのだが〜

重里

【第1章】 

第1話

 2年3組。

 入口の札に書かれた文字を眺めながら、呆然と立ち尽くしていた。


 俺は鈴木隼人すずきはやと32歳。

 一緒に登校した16歳の妹と昇降口で別れ、これからこの教室に入るところだ。


 生徒として。


 わけのわからないことを言っていると思ったかもしれないが、実は俺もこの状況を理解できていない。


 しかし困ったことに夢でも妄想でもない。


 俺は昨晩から17歳の高校生、崎川恭介さきかわきょうすけに転生したらしい。

 気づいた時にはそうなっていたのだから、この事実を受け入れるしかなかった。

 高校生になってしまったからには学校に行かねばならず、しぶしぶながらこうやって来ているというわけだ。


 教室や廊下。窓から見える向こうの校舎。それらはあまりに懐かしい景色ではあった。

 だがあくまで初めて行く学校、初めて入る教室だ。

 それは自分の過去を思い出したからというだけであり、懐かしくはあっても、この場所に対して郷愁というようなセンチメンタルな感情が湧いてくるわけもなかった。


 そもそもだが、俺としては初登校だが、本来的には初登校はないのだ。

 そんなややこしい状況に置かれてしまったが故に、せめて校内を見て回る必要があると、朝早く登校したのだが――。


 教室の中を覗くと、窓から差し込む細い光の中、女子生徒が一人ぽつんと席に座っているのが見えた。

 

 長い黒髪に目鼻立ちがはっきりとした美少女だった。

 短いスカートからはきめ細やかな肌の長い脚がすらりと伸びていた。

 だが、それ以上に気になったのは、違和感を感じるほどツンとした表情をしていることだった。 

 それに張り詰めたように、伸びた背中。

 それらが彼女をまるで作り物のように見せていた。


 つまり非常な美少女ではあるが、愛嬌というような可愛らしさの要素はまるでなかった。

 正直、近寄り難いタイプだった。

 だがやはりクラスメイト。


「……お、おはよう」


 挨拶くらいすべきだと考えた。意を決して教室の入り口をまたぎ、小さな声で言った。


「……」


 しかし彼女は俺を一瞥しただけで、直ぐに視線を机に落としてしまった。

 その顔は無表情とはまた違う。無関心からくるような冷たさがあった。

 教室は静かだ。

 外を吹く風が、窓を叩く音だけが聞こえてくる。


 無視。


 何事もなかったかのようにノートを広げて何かを書き始めている。

 これほどの美少女様ともなると、挨拶すらしてくれないらしい。

 もしくは崎川恭介はこの子に嫌われているのか?


 それはわからないが、この美少女の態度が妙に癪に障った。

 こいつとは仲良くなれない。そう割り切ると緊張が少し和らいだ。

 教室に入っていく。


 席は――。

 この記憶が確かなら窓際の後ろのはずだった。

 今朝気付いたことだが、元の俺――鈴木隼人の時の記憶や知識はしっかりと残っている。

 それに加えて今の俺――崎川恭介の記憶も多少だが感じることができるようになっていた。

 ただしそれは断片的ではっきりしたものではない。どちらかといえば印象といったニュアンスに近く、あくまで曖昧なものでしかなかった。


 崎川恭介の記憶を頼りに自席と思しき席に辿り着くと、すぐさま机の中の物色を始めた。

 ここが崎川恭介の席である証拠が欲しかった。

 教科書、ノート、筆入れなど一通り見てみたが個人を特定できるものはなかった。

 次いで机の横をみると、引っ掛けに体操着袋があるのを見つけた。


『崎川恭介』


 袋に小さく書いてあった。

 この断片的な記憶が頼りになること、無事に席に辿り着けたことにほっとして、胸をなでおろした。


「ふぅー」


 安堵から、大きく息を吐きだした。

 その瞬間だった。いままで無関心の様子だった黒髪の美少女が、俺をじろりと睨んだ。

 彼女の冷たい視線が突き刺さり、たまらず窓の外を眺めて誤魔化した。


 静かな教室にはうるさかったかもしれない。吐息がおっさんっぽかったのかもしれない。

 だからってそんな目で見なくてもいいのに、と考えてしまうくらいの迫力がある。


 そう言えばこの黒髪の美少女を見た時、崎川恭介の記憶にはモヤモヤとしたものが浮かび上がった。

 それはあまりにおぼろげではあったが、嫉妬に近い感情のように俺には思えた。美少女に嫉妬する意味はよくわからない。


 それにしても彼女が放つプレッシャーは相当なものだ。

 中身が大人の俺ですら、下手に音を立ててはいけない緊張を感じていた。

 おかげで席から立ち上がることすら、まるで罪のような気がしてくるくらいだ。

 せっかく早く登校したのに、校内を見て回るなんてこの雰囲気ではとても無理そうだった。

 

 仕方無しに席から外を眺めて、時間を潰すことにした。

 なんとも無駄な時間を過ごすことになってしまったが、しばらくすると登校してくる生徒もちらほら現れた。

 10代の若さ弾けるパワーは朝から全開だ。教室内はあっという間に喧騒に包まれてしまった。


 その騒ぎの中であっても、俺は窓の外に視線を投げ続ける仕事をこなした。

 崎川恭介になって一日目。下手にクラスメイトと交流してボロがでることを恐れたからだ。

 できるだけ他人と接点をもたないよう、心がけていたのだが。


「恭介っ」


 肩をぽんっと軽く叩かれ、名を呼ばれた。

 振り向くとそこには、軽く茶色に染めた短髪の男子が立っていた。

 人の良さそうなタレ目をしているのが印象的だった。


 崎川恭介の記憶が浮かび上がってきた。

 安心感のようなものを感じている。

 この感じ、たぶん友人だ。

 友人か――。

 むしろ面倒なことになってきたなと思いながら、名前もわからないので、とりあえず挨拶を返すことにした。


「……ああ、おはよう」


「お、おお……おはよう? 珍しいな……って、まあいい。なぁ……昨日のことなんだけどさ……」


「昨日?」


 俺は昨晩から崎川恭介に転生しているため、それ以前のことはわからない。

 どう答えるべきか内心戸惑っていた。すると友人は気まずそうにしながら続けた。


「……俺、考えたんだけど。やっぱり豊田のことさ……」


 と、彼が何かを言いかけた時だった。

 バンッ!!

 勢いよく教室のドアが開いた。野太い声が飛び込んできた。


「座れっ! ホームルーム始めるぞ!」


 体格の良い男性教師がずかずかと大股で教室に入ってくる。

 同時にざわついていた生徒が即座に散っていく。


「……あ、やべっ。またな」


 俺に話しけてきた彼も同様に、軽く手を上げて去っていった。





 授業が始まった。

 当然、10年以上ぶりになるわけだが。


 ――うむ。全くわからん。


 本当の俺は32歳。高校の授業なんて覚えているわけがない。

 そもそも受験勉強をするのが嫌だからという理由で、大学に行く気すらなかった。それくらい勉強が好きではなかったのは覚えている。


 それで比較的入学が簡単なIT系の専門学校へと逃げたわけだが、どこかで逃げればどこかで苦労するように、この世界はできているのかもしれない。


 それが地獄の社会人生活の始まりだった。

 でもまさか高校生に転生することになるとは、そんな苦労は誰にも想像できないだろうが。


 そんな事を考えながら、分からない授業は聞き流しつつ教室をぐるりと見回していた。

 教師の板書を皆一生懸命に書き写している。説明に耳を傾けている。非常な真面目さで授業を受けていた。

 驚いたことに、前を向いていないのは俺だけだった。俺が高校生の時のクラスとは大違いだ。

 最近の学生は皆こんなものなのか? それともこのクラスが異常なのか?

 それはわからないし、どちらでもいい。

 とにかく大事なことは――。


 なんでこんなことになったんだ。


 そう――。

 昨晩、飲みに行った帰りだ。

 あの時から全てが始まったんだ。


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